エゼキエル書講解

1.エゼキエル書1章1-3節『エゼキエルの召命とその使命』

エゼキエルは、ヨヤキン王と共に捕囚にされ、捕囚の地で預言者として召命を受けた人物です。彼の父ブジはエルサレムで祭司をしていましたので、彼自身も既にエルサレムで祭司をしていたか、あるいはその訓練を受けていたか、そのいずれかであったと思われます。祭司職は世襲されていたからです。彼の祭儀や律法に関する知識の豊かさは、その可能性を示しています。エゼキエルの預言者としての召命は、捕囚後5年目の30歳の時と考えられます。それゆえ、エゼキエルは25歳までエルサレムで生活していたと考えられます。

彼の誕生の時は、ヨシヤ王の宗教改革(紀元前622年)がなされていた時であり、彼は、その改革について、彼の父が祭司として王と共に熱心に取り組んでいる様子を見ながら少年時代を過ごしました。そして、青年時代には、政治的・霊的指導者たちの腐敗堕落ぶりや、ヨシヤ王によって遂行された宗教改革が破綻していく現実を目撃し、また偽りの楽観主義に対して厳しく糾弾する預言者エレミヤの働きなどを間近に目撃し、将来、祭司としてその改革に携わらなければならないという強い志を抱いて過ごしていたのかもしれません。エゼキエルが預言者として召命を受けた「ヨヤキンが捕囚となって5年目」(エゼキエル1:1,2、紀元前593年)の頃、エルサレムは、偽りの楽観主義に酔いしれ、偽りの平和を語る預言者たちが活動していました。エルサレムは、偽りの楽観主義を警告する預言者エレミヤの声に耳を傾けず、その6年後の前587年に大破局を迎えます。

国の滅亡と神殿の破壊とバビロン捕囚という出来事は、イスラエルの歴史にとって未曾有の大打撃であり、捕囚とされた者や国に残った者を、絶望の淵に立たせることになりました。永遠に存続すると考えられていたダビデの血統を引くユダ王国が滅び、祖国から切り離された捕囚の民は、神は果たして自分たちのことを覚えておられるのか、そもそもヤハウエは無力であったのではないかという懐疑、自分は一体何者か、アイデンティティの問題に苦闘することになりました。主の臨在が約束されたエルサレム神殿は破壊され、異国の地は穢れた地と考えられていましたので、主に捧げるべき犠牲祭儀も行えません。その状況の中で、果たしてヤハウエをどのように礼拝していけばよいのか、それは真剣な問いとなりました。自らを異教化させ、ヤハウエ信仰を棄て、ユダヤ人であることをやめて、その心のわだかまりを克服しようとする人も現われました。しかし、そこでなおヤハウエの民として生きようとするユダヤ人にとって、これらの疑問に答えてくれる指導者が必要でした。エゼキエルは、そのような状況の下で、捕囚の民を指導する責任と使命を主から託され、捕囚の意味と、彼らの歩むべき方向を指し示す預言者として立てられました。

エゼキエルが預言者として召命を受けた「第30年の4月5日」(エゼキエル1:1)は、エゼキエルの年齢を指すと考えられます。この箇所以外のエゼキエル書が示す日付は、ヨヤキン王の捕囚の日から計算されています。「第30年」がエゼキエルの年齢を示すものであれば、エゼキエルは、25歳のときに捕囚とされ、「ケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間に」5年間過ごした後に、預言者として召命を受けたことになります。

詩編137編には、捕囚の民の嘆きが次のように歌われています。

バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思って、わたしたちは泣いた。
竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
わたしたちを捕囚にした民が
歌をうたえと言うから
わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして
「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。
どうして歌うことができようか
主のための歌を、異教の地で。(詩編137篇1-4節)

バビロンの地に捕囚とされたユダの民の生活は、それほど制限を受けていたわけではありません。王や貴族の中の何人かは、とらわれの身となって監視されていましたが、捕囚民すべてがそのような厳しい監視の下に置かれていたのではありません。その多くは、土地に定着し、エレミヤが言うように、家を建てて住むことも、果樹を植えてその実を食べることも、ある程度の富を得る自由も与えられていました。宗教的にも自由で自治的な生活も許されていたようです。そして、このとき民を指導していたのは、長老たちでした。勿論、すべてが自由であったわけでありませんし、奴隷的な苦しみもなかったわけでもありません。

エゼキエルが預言者として召命を受けた「ケバル川の河畔」の場所は、バクダッドから南へ90キロのところにあるニップルという町です。ケバル川は、ユーフラテス川から引かれた運河で、ニップルの町を貫いて流れていました。その河畔にあるユダヤ人居留地はテル(丘)・アビブとして知られています。捕囚のユダヤ人たちはそのほかにも、テル・メラとテル・ハルシャにも住まわされていたという事実が確認されています(エズラ記2:59)。バビロンの支配者は、捕囚民をそのような場所に住まわせ、廃墟となっていた町を再興させていたのではないかと現代の研究者は見ています。ニップル地方の28の居住地にユダヤ人共同体が存在し、そこにはアッシリアによって滅ぼされたイスラエルからの捕囚の民も共に住み、他のパレスチナの地から連れ去られた捕囚民もその周辺にいたといわれています。

彼らは、それぞれの居住地で、ある程度の自由を保証され、宗教生活の自由も与えられていましたが、ユダヤ人はそこを異郷の穢れた地と考えていましたので、そこに神殿を建てることも祭儀的な礼拝を守ることはできないと考えていました。それゆえ、ユダヤ人はケバル川の河畔で礼拝を守っていたようです。1章3節の「ケバル川の河畔で」のエゼキエルの召命と、ユダヤ人共同体の礼拝の場所との関係が考えられます。ユダヤ人は、そこでヤハウエを礼拝していたのでしょう。その礼拝は、ダニエル書に見られるような、共に祈ることが中心であったと考えられます。そうして礼拝を守っていた時に、自分たちを捕囚にした民からさげすみを受け、その礼拝者たちが嘆き悲しみを歌ったものが、詩篇137編であると考えられます。

エゼキエルは、祭司として、ユダヤ人共同体の礼拝を指導する立場にあったということは十分考えられます。預言者として召命を受ける前も、その任に当たっていたということも考えられます。エゼキエルは、同胞の民の間にあって主の言葉を語る預言者として召しを受け、そこでユダとイスラエルの民に向かって預言し、諸国民に向かっても預言する者となったのでしょう。

エゼキエルの預言者としての活動は、紀元前593年から前571年までの22年間であったと考えられます。エゼキエルは、前587年のエルサレムの最終的破壊の前と後に預言を語りました。エゼキエルは、エレミヤ(前626-前580年)より若く、少し遅れて現れた同時代人で、第二イザヤ(前550-540年頃)よりほぼ一世代先輩格に当ります。少年時代は祭司の家で、ヨシヤ王の改革を共に情熱を持って進める父ブジの教えに従って、祭司としての訓練を受けて過ごし、青年時代はエレミヤの神殿説教など、その活動を身近で目撃し、エレミヤから多くの感化を受けて過ごした、と考えられます。エゼキエルの使信が基本的にエレミヤと同じであるのはその生い立ちから来ると考えられます。

しかし、エゼキエルはエレミヤとはまったく別の性質をもった人物でありました。彼はエレミヤのように苦しみにさいなまれる人間性をほとんどもっていません。彼は、徹底して神の口として語り、主の言葉は必ず成就するという確信に立って語り、栄光をただ主にのみ帰することを第一に考えて行動する預言者でありました。彼のことを「旧約聖書のカルヴァン」(ツィンマリ「旧約聖書神学要綱」)と呼ぶ学者もいます。

エレミヤとエゼキエルは、共に祭司の子として生まれましたが、祭儀に対する二人の態度は全く異なっています。エレミヤは、祭儀に対して最後まで厳しい批判者としてとどまりました。エゼキエルは、偽りの祭儀や律法遵守に厳しい批判もしましたが、そのあり方に関して強い関心を示し、自分の使命を祭司的預言者であることを自覚していました。

エゼキエルの使信は、捕囚の民に“なぜユダの国が滅びエルサレム神殿が破壊されることになったのか、その理由は、出エジプト以来バビロンの捕囚に至るまで、彼らがそこで異教の神を礼拝し、ヤハウエの神殿の名に値しない穢れたことばかり行っていること”を告げることに向けられていた点に特質があります。エゼキエルは、前587年の大破局まで徹底して、ユダとエルサレムに対する主の裁きを語りました(1-24章)。しかし、エルサレムの町の破壊と神殿の破壊後は、一転して、イスラエルの救いを語っています(33,34,36-48章)。このようにエゼキエルのメッセージは、神殿崩壊後全く変化しています。

エゼキエルの預言者としての使命は、イスラエルの家の見張り人としての、主の口となることにありました。預言者は皆その特質を持っていましたが、彼の場合特にそれが際立って強調されています。「主が言われる」という言い方ではなく、「わたしは」と1人称で主の言葉を告げるそのスタイルがそれを物語っています。

エゼキエルは神の見張り人として、このように徹底して神の口として語ることを求められました(3章16-21節、33章)。もし彼が主から命ぜられた語るべきことを語らず、人が罪を犯すなら、その責任は彼自身にあるといわれています。時代の民の中にあって語る預言者の責任、その使命がそこにはっきりと示されています。これは、今日、時代の民の中で、キリスト者が神によって立たされている預言者的な使命を考える上で、非常に重要な意味を持っている言葉です。

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