列王記講解

32.列王記下21:1-26『改革の逆戻り-冬の時代(マナセ・アモン)』

本章には、ヒゼキヤの後を継いだその子マナセと孫アモンの時代が記されています。この時代は一言でいえば、ヒゼキヤが行った宗教改革が水泡に帰し、偶像化へ逆戻りした、冬の時代であると言うことができます。

ヒゼキヤの息子マナセ(在位前696-642年)は、祖父アハズ同様、アッシリアの忠実な臣下としてふるまい、55年間も王位に君臨しました。この治世の年数は、北王国の王も含め、最長です。この事実自体が、彼がアッシリアに忠実な追随者として生きたことのしるしとなっています。歴代の王の中でも、最高の評価を与えられているヒゼキヤは29年間、ヨシヤは31年間の王位期間であったことを考えると、彼がいかに長い間王位にあったかが判ります。しかし、この長い間続いた偽りの平和と繁栄がもたらした時代の宗教的・信仰的後退が、取り返しのつかない滅亡への決定的呼び水になったことを、列王記の記者は明らかにしています。その偶像化への極悪非道ぶりは、2-9節に報告されています。申命記史家である列王記の記者は、約100年後のユダ王国の滅亡と捕囚という破局の原因を、究極的にはマナセの悪行に帰しています(列王下21:11-15,23:26-27)。

アッシリアの王エサル・ハドンの年代記には、彼の宮殿建設に建築資材を提供した東方の22人の王の中に、マナセの名が挙げられています。また、エサル・ハドンの後継王、アッシュルバニパルが行なった前667年のエジプト遠征に際し、協力した十二人の王の中に、やはりマナセの名が挙げられています。マナセは、アッシリアの属王として、当然この遠征に兵を派遣したであろうと考えられます。ことによると、マナセ自身もそれに参加したかもしれません。マナセが50年以上の長きにわたって王として君臨しえたのは、このアッシリアとの関係を良好にしていたためであると考えられます。この時代の政治的「平和」は、彼が、政治家としては有能であったことを示しています。おそらくマナセの時代に、ユダは、ヒゼキヤの時代にペリシテ人諸都市に併合された領土の大部分を、回復したと思われます。

2節以下に、マナセの下で、バアル礼拝やアシュラ礼拝が息を吹き返し、「天の万象」への礼拝が活発に行われたことが報告されていますが、アッシリアでの礼拝を、ユダ王国に強要されたとは述べられていません。アッシリアへの政治的な屈服が、カナン的な星辰礼拝を民の間に広がるのを助長したのでしょう。あるいは、政治的にアッシリアに従属するだけでなく、マナセはアッシリアの宗教へ、個人的に傾倒し、自ら主体的にアッシリアの偶像宗教を取り入れようとしたのかもしれません。いずれにせよ、4-6節で「主はかつて、『エルサレムにわたしの名を置く』と言われたが、その主の神殿の中に彼は異教の祭壇を築いた。彼はまた、主の神殿の二つの庭に天の万象のための祭壇を築いた。彼は自分の子に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、口寄せや霊媒を用いるなど、主の目に悪とされることを数々行って主の怒りを招いた。」と、彼のもたらした偶像崇拝への道が、厳しく非難されています。

このマナセ時代に見られるヤハウエ礼拝の後退と、異教宗教的要素の蔓延に対し、預言者ゼファニヤは、ゼファニヤ書1章4-9節において次のように主の裁きを告げています。

わたしは、ユダの上と
エルサレムの全住民の上に手を伸ばし
バアルのあらゆる名残とその神官の名声を
祭司たちと共に、この場所から絶つ。
屋上で天の万象を拝む者
主を拝み、主に誓いを立てながら
マルカムにも誓いを立てる者
主に背を向け
主を尋ねず、主を求めようとしない者を絶つ。
主なる神の御前に沈黙せよ。
主の日は近づいている。
主はいけにえを用意し
呼び集められた者を屠るために聖別された。
主のいけにえの日が来れば
わたしは、高官たちと王の子らを
また、異邦人の服を着たすべての者を罰する。
その日、わたしは敷居を跳び越える者すべてを
主君の家を不法と偽りで満たす者らを罰する。

このように、マナセがアッシリアの臣下として治めた時代は、ヤハウエ信仰において、冬の時代であったといえます。信仰面の堕落は、現実の政治にも、当然反映されます。16節の「マナセは主の目に悪とされることをユダに行わせて、罪を犯させた。彼はその罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たした。」というこの書の評価は、前後のヒゼキヤとヨシヤの統治と対比されて、一層厳しいものとなっています。

「自分の子に火の中を通らせ」(6節)ることは、彼の祖父アハズも行ったが(列王記下16:3)、エレミヤは、「彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことをわたしは命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。」(エレミヤ7:31,19:5)と述べ、この罪が単に子供を火の中を通らせるだけでなく、「火で焼いて」犠牲として捧げる、一種の人身御供として用いられていた現実に対して、厳しく糾弾しています。申命記18章10-11節では自分の子に火の中を通らせることだけでなく、占いやまじないも厳しく禁じられています。預言者もまじないに対し、厳しい非難をしています(イザヤ2:6、エレミヤ27:9、ミカ5:11)。口寄せや霊媒については、サムエル記上28章3節以下に具体的に描写されていますが、聖書はこれについても厳しく非難しています。

このように、マナセ王は、民を惑わせ(9節)、「かつてアモリ人の行ったすべての事より、更に悪い事を行い、その偶像によってユダにまで罪を犯させた」(11節)最悪の王としてここに描かれています。

そして、このマナセの罪の故に、「見よ、わたしはエルサレムとユダに災いをもたらす。これを聞く者は皆、両方の耳が鳴る。わたしはサマリアに使った測り縄とアハブの家に使った下げ振りをエルサレムに用いる。鉢をぬぐい、それをぬぐって伏せるように、わたしはエルサレムをぬぐい去る。わたしはわが嗣業の残りの者を見捨て、敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となり、略奪の的となる。彼らは先祖がエジプトを出た日から今日に至るまでわたしの意に背くことを行い、わたしを怒らせてきたからである。」(12-15節)という主の裁きが告げられています。

「測り縄」と「下げ振り」は、古くなった建物が倒れそうになったかどうかを確かめる時に、用いられました。これを預言者は、「主はこのようにわたしに示された。見よ、主は手に下げ振りを持って、下げ振りで点検された城壁の上に立っておられる。」(アモス7:7)といって、御言葉に聞き従わず、罪を犯しつづける民を、その御言葉を「測り縄」「下げ振り」として、裁くという主の使信を伝えています。

イザヤ書34章11節には、「主はその上に混乱を測り縄として張り/空虚を錘として下げられる。」と述べられています。本来、「わたしは正義を測り縄とし/恵みの業を分銅とする。」(イザヤ28:17)といわれる主が、主の御言葉に聞き従わない者に下す裁きは、それにふさわしい「測り縄」と「下げ振り」による裁きがなされることが述べられています。この場合、ユダに与えられるのは、「サマリアに使った測り縄とアハブの家に使った下げ振り」であるといわれています。それは救いをもたらす基準となった測りではなく、裁きの基準となった測りです。

つまり、サマリアが滅びたように、ユダも滅びるという預言が、ここに語られています。「これを聞く者は皆、両方の耳が鳴る」(12節)といわれるほど厳しい裁きが、告げられています。マナセはこの預言の言葉を、真剣に受け止めることはありませんでした。そして、その子アモンも、同じ道を歩みつづけました。それでもマナセは、その罪にもかかわらず、平安のうちにその生涯を終え、自分の宮殿の庭園にある「ウザの庭園」に葬られて、先祖と共に眠りについたといわれています。後代のユダヤ教の伝承では、預言者イザヤはマナセによって殺されたとされています。歴代誌下33章の並行記事には、マナセは、アッシリアの王によってバビロンに引かれて行き、そこで悔い改め、エルサレムに戻ってバアル礼拝を排斥したと述べられていますが、ここにはその様な記事は見られません。歴代誌は、この悪しき王が、長い平穏な治世を全うしたという不合理を、応報主義的観点から合理化するため、その様なエピソードを伝えたのではないかと、注解者の多くは推測しています。ユダヤ教では、このエピソードから外典「マナセの祈り」が生まれています。

しかし列王記は、これらのことはありえないこととして退けています。彼の息子アモン(在位前641-640年)は、「父マナセが行ったように、主の目に悪とされることを行った。父の歩んだ道をそのまま歩み、父が仕えた偶像に彼も仕え、その前にひれ伏し、先祖の神、主を捨て、主の道を歩まなかった。」(20-22節)といわれ、彼は王となり2年ももたず、家臣の謀反によって暗殺されています。

その後を継いだのが、ヨシヤです。マナセとアモンの2代で、ヒゼキヤの改革を逆行させる偶像化を歩み、ユダの信仰の歩みが大混乱していたのを、ヨシヤは、ヒゼキヤ以上に宗教改革を徹底して断行しますが、それでも「しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。」(23:26)と、国の滅亡と捕囚が避けることのできない現実として目の前にあることを、列王記は記しています。この滅亡に、何の希望もないように、読む者の心に響くかもしれませんが、申命記史家の列王記の記者は、その言葉の中に、一つの希望を示しています。12-15節の言葉を注意深く読みますと、この国を滅亡させ、捕囚とさせるのは、主なるヤハウエの行為であることが明らかにされています。主は「わたしは…する」と言われています。その崩壊が民の堕落、とりわけ、王の堕落に対する主なる神の応答としてなされるのであれば、その裁きに服する者に、一つの希望が語られています。それは、背反が主の御言葉に対するものであり、その測り縄によりなされたものであるなら、その測り縄に従い、悔い改める捕囚の民に、主が救済の手を差し伸べることが可能である事実を、同時に明らかにされています。これを読む直接の読者として想定されているのは、捕囚の民です。現在の苦難の意味を問い、そこから解放されたいと祈り願う民は少数であっても、主の言葉に立ち返るなら希望があることを、この最悪の歴史を綴りながら、列王記の記者は伝えています。裁きは救いであることを、この物語から読み取ることが大切です。

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