列王記講解

4.列王記上4:1-5:14『ソロモンの統治と繁栄』

4章は、ソロモンの支配が国中に及び、国家組織が整ってきたことを物語っています。「ソロモンは全イスラエルの王となった」(1節)といわれていますが、「全イスラエル」とは、ソロモンが支配していた国全体を指し示しています。ソロモンの死後、その王国は分裂し(列王上12:1―33)、北王国をイスラエル、南王国をユダと呼ぶようになります。

2―6節に、今日の政治で言う内閣に相当する王国の行政組織が記されています。ダビデ王も行政組織をもっていました(サム下8:15―18,20:23―26)。ダビデ王の行政組織に比べ、ソロモンのそれは、クレタ人とペレティ人の監督官(サム下8:18)が廃止され、「知事の監督」(5節)と「宮廷長」(6節)を新設した以外は、役職をダビデ時代と変わりがありません。その役職には、王位継承の争いの際、ソロモンを支持した者やその家族を取り立てています。このようにソロモンは基本的にダビデの組織を継承していますが、そのモデルはエジプトの宮廷にあったのではないかといわれています。シシャの二人の子エリホレフとアヒヤが「書記官」(3節)と記されていますが、「書記官」という役職は、エジプトの宮廷においては、王の個人的秘書兼国家の書記長として重要な任務を持っていました。「シシャ」は「シェワ」(サム下20:25)、「シャウシャ」(歴代上18:16)、「セラヤ」(サム下8:17)と同一人物で、エジプト人であったようです。発足間もないイスラエル王国が「他の国々のように」立派な王制を敷くには、最強の王国を手本にするのがよいというのがダビデとソロモンの考えで、それに習熟した「シシャ」がエジプトから呼び寄せられて、その任につき、重んじられることになったのでしょう。

「補佐官」は、王の信頼の厚い側近で、王の意向を住民に伝え、住民の事情を王に伝える高官であったようです。今日の日本の政治でいえば、内閣官房長官のようなものです。

「祭司」もここでは行政組織の役職の一つと考えられています。この役職表のうち、4節の「ツァドクとアビアタル」は後世の編集者による加筆と思われます。なぜなら、ツァドクについては、その子アザルヤが祭司としてすでに出ておりますし(2節)、アビアタルはソロモンによって追放されているからです(2:26-27)。この二人の名を除くと、ソロモン内閣の官僚の名は、皆父の名とともにあげられています。これは、王に使える役職は世襲されていたことが示されています。このことは7―19節に記される地方組織の知事の名を見ても明らかです。ここに12人の知事の名とその地方の名が記されていますが、その全ての地方が北王国イスラエルにあります。南ユダ王国は含まれていません。知事がこのように北王国イスラエルに立てられたのは、全国から王室のために年貢を徴収するためで、知事はその責任者でありました。12の地方に12人の知事がおり、それぞれの地方は、1か月分を王室に年貢として食料を納めていまいた。各地方が順次1年で一周するよう年貢を受け持っていたわけです。言い換えれば、ユダは王家直属の所領として、年貢を納めなくてもよい特権を与えられていた可能性があります。19節の末尾に「この地にもう一人の知事がいた」といわれるのは、ユダの地が考えられ、知事の監督をしていた「アザルヤ」がそれに該当すると考えられます。ここに列挙されている名前の中で「ベン・フル」など、明らかに父の名だけで呼ばれているのが五つあります。「ベン」とは「~の子」という意味で、その地方組織の知事も王の側近ら同様、世襲されていたようです。ここに列挙されている地方名は、ヨルダン川東部を含む北王国イスラエルにありますが、その区分けは伝統的なイスラエル諸部族の所領に属しているわけではありません。かつてのイスラエルの部族と並んで、カナンの諸都市が何の区別もなく挙げられています。このことはかつて独立していたカナン都市国家が、イスラエル国家のうちに完全に組み込まれてしまったことを意味しています。

そして、こうした広い地域を支配するようになった「ユダとイスラエルの人々は海辺の砂のように数が多かった。彼らは飲み食いして楽しんでいた。」(20節)といわれています。「海辺の砂のように数が多かった。」という言葉は、神が族長たちに与えた祝福の約束(創世記22:17,32:13)がソロモンにおいて成就したことを列王記の記者は述べようとしているのかもしれません。

「ソロモンは、ユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトとの国境に至るまで、すべての国を支配した。国々はソロモンの在世中、貢ぎ物を納めて彼に服従した。」(5章1節)といわれるほどの広大な地域をソロモンは支配し、その覇権を握っていました。この地域は「肥沃な三日月地帯」といわれる穀倉地帯です。「貢ぎ物を納めて彼に服従した。」とは、ソロモンが大王としてこれら地域を支配したということです。この支配は大いなる富をもたらすことになりました。

ここに数えあげられている物資とその量は、ソロモンの宮廷の華やかさを示しています。それは国内の知事がもたらしたもの(4:7)以外に、支配下においた国々が献上したものです「ソロモンの得た食糧は、日に上等の小麦粉三十コル、小麦粉六十コル、肥えた牛十頭、牧場で飼育した牛二十頭、羊百匹であり、その他、鹿、かもしか、子鹿、肥えた家禽もあった。」(5:2-3)といわれます。1コルは1ホメルと同じ量であるといわれています。ホメルは一頭のロバが運搬できる量で、400―200リットルの間で変化する量の単位です。ですからここは、ソロモンが一日に得たのは、上等の小麦粉が30頭のロバに背負われてもたらされ、その他にも普通の小麦粉がロバ60頭分、多くの家畜がもたらされました。

これらの数字が示すものは、ソロモンの宮廷の贅沢な生活ぶりです。ここに示される王宮の一日の消費量は、莫大なものです。オリエント世界で肉は通常祭礼のときしかありつけぬような貴重品であったことを考えれば、ソロモンの宮廷が消費する莫大な経費を賄わされるのは国民でした。しかもそのために年貢を収めていたのが、北王国のイスラエルだけであるとするならば、彼らの不満は相当大きなものがあったと思われます。後にヤロブアムが反乱を起こし、失敗してエジプトに逃亡しますが(11:26以下)、ソロモンの死後、王国は分裂し、彼が北イスラエル王国の王となります。その背景には、ソロモンのこうした豪奢な生活を支えさせられた北イスラエルの不満を挙げることができます。

このソロモンに対する不満の原因は、その軍事力の増強にもあります。ソロモンは行政上の改革と並んで、軍事面の改革も行いました。イスラエルの古い召集軍制度や、ダビデの傭兵制が歩兵だけから構成されていたのに対し、ソロモンは馬に引かれた戦車による戦術をイスラエルに導入しました。しかしソロモンの時代は平和な時代でありましたから、これらの戦車部隊が実戦に投入されることはありませんでした。これらはソロモンの王としての権力の威厳を象徴する役割を果たすだけのものとなりました。しかしそのために、これらの戦車を管理する厩舎が国のいたるところに造られ、その関係者や馬にやる食料の調達も行われねばなりませんでした。その負担は全て税で賄われるわけですから、国民生活に対する大きな圧迫になるのは当然です。

「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える。」(詩篇20:8)「災いだ、助けを求めてエジプトに下り/馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしいことを頼りとし/イスラエルの聖なる方を仰がず/主を尋ね求めようとしない。」(イザヤ書31:1)という後の預言者の批判を真摯に受けとめ、このときのソロモンの軍事力充実への転換を冷静に判断する必要があります。

確かに知恵を求めたソロモンに神は素晴らしい知恵を授けられました(5:9以下)が、ソロモンの知恵が必ずしも、民の福祉に役立つものとして用いられず、「他の国々のように」エジプトへの憧れ、その模倣に流れる、王制の問題を、まさに繁栄の絶頂を極めるソロモンの統治機構の中に見ることができます。列王記はその事実を淡々と記すだけです。

しかしそうした問題があるにしても、「ソロモンの在世中、ユダとイスラエルの人々は、ダンからベエル・シェバに至るまで、どこでもそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下で安らかに暮らした。」(5:5)といわれています。ヘブル語の平和を表す「シャローム」は、ソロモンのヘブライ名「シェロモ」と似た響きです。ソロモンの時代にイスラエルはかつてない繁栄と平和を享受しました。

「ダンからベエル・シェバに至るまで」これは理想のイスラエル領土の北端と南端を指します。ダンはヘルモン山の麓、ヨルダン川の水源の一つの近くにある今日のテル・ダンにあります。ベエル・シェバは、南ユダのネゲブの砂漠にあるオアシスの町です。その名の起源はアブラハムにさかのぼり、「七つの井戸」ないし「誓いの井戸」を意味します(創世記21:22―34,26:26―33)。これらイスラエルの領土の「どこでもそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下で安らかに暮らした。」という平和がソロモンの時代にもたらされたことは、神殿建築を可能にし、繁栄をもたらしましたが、傲慢になり大きな罪の堕落への誘惑を秘めていました。ダビデはその誘惑に陥らないよう、「あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる。また主は、わたしについて告げてくださったこと、『あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が断たれることはない』という約束を守ってくださるであろう。」(Ⅰ列王2:3-4)と警告と励ましを与えていました。平和と繁栄の絶頂のときほど、自戒しこの言葉を真剣に聞くことが大切です。

旧約聖書講解