サムエル記講解

50.サムエル記下19:9b-44『エルサレムへの帰還』

ここにはアブサロムの率いるイスラエル軍に勝利したダビデがエルサレムへの帰途につく幾つかのエピソ-ドが記されています。ここに記されているエピソ-ドは、ダビデがエルサレムから退去する時の場面同様、人々の動きが実に具体的に描写されています。退去の際に登場した人物が何人も再び顔を出します。それによって、状況の転換が見事に際立たせられています。ここにはダビデをめぐる危機的状況が一応克服された様子が見られますが、最後の場面は、新たな危機的状況を引き起こす火種が明らかにされています。

エルサレムへ帰還するダビデを最初に迎えようとして立ち上がったのは、アブサロムに同調してダビデと戦った北イスラエル王国の諸部族です。アブサロムの反乱の際には、これら諸部族はダビデに反対する立場の立つ者の意見が優位を占め、アブサロムに油を注ぎ王として承認し、正規のイスラエル軍として、ダビデと戦いましたが、その戦いに敗北した今、ダビデ擁護論が力を回復し、その主流派となりました。そこには節操のない場当たり的な政治的現実主義に議論が見られますが、新しい王が死んだ後、古い王を歓迎し、従順な態度で迎えることにより、新しい体制の下で王への影響力も確保しておこうというしたたかな計算が働いていたものと思われます。こうして彼らは王の衛兵として、王を連れ戻す行動に出ようとしました。

これらの意見と計画はダビデのところに届きました。ダビデはその事態の本質を直ちに見ぬきました。これらアブサロムに呼応したイスラエル召集軍は、ダビデに忠誠を尽くして付き従った兵士たちとともに、傘下に入ることになります。その兵士たちの優秀さでは問題にならなくても、その数は相当なものなので、勢力の均衡という問題を考えると、もう一つの勢力として、ダビデは、ユダの召集軍をも呼び寄せておく必要を感じました。ダビデは、その仲介者として、今回もまた祭司ツァドクとアビアタルを用いました。ダビデは、彼らを通じ、エルサレムに王を連れ戻すのに、北のイスラエル諸部族に遅れをとってはならないと強く訴えました。それは、ユダがダビデにとって骨肉の兄弟の関係であるからという理由で訴えられました。しかし、それは必ずしも政治的な領域では決定的なものとなるとは限りません。ダビデはそのこともよく承知していましたので、アブサロムが与えた全イスラエル軍の将軍の地位を、アマサにそのまま承認する用意があることを伝えました。このことはヨアブをその地位から更迭することを意味していました。ここにダビデのわだかまりを垣間見ることができます。ダビデはヨアブの政治家また軍人といての判断や行動の正しさを認めつつも、命令に反してアブサロムを殺害したり、死んだ息子のために嘆いている自分に対して取った態度に、些かのこだわりをもっていたかもしれません。ダビデはここで政治的な理由を巧みにつけて、ヨアブから軍の指揮権を取り上げてしまったのです。確かにこれにより、イスラエル軍の力とユダの軍隊のバランスに加え、イスラエル軍の兵士たちにもかつての指揮官アマサがそのまま指揮を取ることは、自分たちの立場にとっても都合がよいと思えたに違いありません。しかし、そのように軍が融和的になることにより、軍が本当に機能するかどうかは別問題です。ダビデがこのように手練手管を用いて都合のよい結果を引き出そうとしたことは、その場は上手くいっても、後にイスラエルとユダの対立を生むことになりますし(41節以下)、シェバの反乱に際し、ヨアブはこの新しい自分に変わった司令官アマサを殺害します。

サムエル記の記者は、これら一連の行為により、「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした。」と記していますが、それは民衆のレベルでのことで、軍を動かすレベルでは必ずしもそうはいえないことが、これら後に起こる出来事が物語っています。

とはいえダビデの策が当面功を奏し、帰途につく王がヨルダン川を渡るのを助けるためにユダの人々が真っ先にギルガルまでやってきたといわれています。

そして、ユダの人々と共に一人の人物がヨルダン川を渡って来るダビデを迎えるためにやって来ました。それは、かつてエルサレムを退去するダビデを罵り、石を投げて悩ませたバフリム出身のベニヤミン人シムイです。さらにエルサレムを退去するダビデに食糧を持参して力づけて見送ったことのあるサウルの孫メフィボシェトに仕えていたツィバも、十五人の息子と二十人の召し使いを率いて、王が川を渡るのを助けるためにやってきました。この二人の人物はいずれもサウル家の縁者でありながら、エルサレムを退去するダビデにまったく違う態度で接していたにもかかわらず、ここでは同じようにダビデに忠誠を示す者として、やって来ました。

何よりシムイは、あの時とまったく違う態度です。彼はベニヤミン族の千人の仲間を率いて、ダビデの前にひれ伏し、王への非礼、その罪を詫び、その罪を咎めることなく忘れて欲しいとひたすら懇願しています。その償いの行為として、誰よりも早く駆けつけて来て王を迎えることにより、自分こそイスラエルの中で王との障壁を最初に取り除く者として、今度は誠実に仕えようという態度を示しています。彼がどれほど真実な思いでそのような行動を取ったかは、簡単には判断できません。

しかし、ダビデとその側近たちがエルサレムを退去する時、ずっとつきまとって呪っては石を投げ、王も同行の兵士も疲れ果てるほど、執拗に苦しめたシムイが、何の咎めだても受けず死なずに生きておれるようなことがあってはならないという考えを、王の側近たちの多くがもっていたと思います。それらの意思を代表してツェルヤの子アビシャイは、主が油注がれた王を罵ったこの人物は死をもって罰せられるべきだ、という意見を述べました。

この意見に対してダビデは、「ツェルヤの息子たちよ、ほうっておいてくれ。お前たちは今日わたしに敵対するつもりか。今日、イスラエル人が死刑にされてよいものだろうか。今日わたしがイスラエルの王であることを、わたし自身が知らないと思うのか。」といって、その考えを退けました。ダビデはかつてのシムイの呪いに対して、「勝手にさせておけ。主の御命令で呪っているのだ。主がわたしの苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない。」といってその呪いを受け入れました。そして、その時にダビデが言った通り、その呪いは幸いに変えられる時が来ました。今がその時です。かつて自分を罵った者がいち早く駆けつけ、王として迎え入れ、祝福しようとしているのを見て、ダビデは、新たな支配権を受ける者として、彼に恩赦を与えねばならないと考えたのです。今日はめでたい祝いの日です。自分がイスラエルの王として、改めて認められた祝いの日です。その日に死刑などが行われて、報復がなされるのはふさわしくないのです。ダビデはそのような考えを示し、シムイに向って、「お前を死刑にすることはない」と誓った言われています。ダビデは、王としてはこのように振る舞い、救い主イエスの姿を指し示すような行動を取りましたが、個人的にはかつて自分に侮辱を加えたシムイのことを忘れてしまったのではなく、後には執拗に報復しています(列王上Ⅱ:8-9,36-46)。個人の感情としても本当に赦すことの難しさを思わされます。ダビデが王の職務を神よりのものとし、その苦しみもまた神よりのものとして、すべてを受容し、呪いを祝福に変えて生きることが出来た、その信仰を保つには、彼もまた救い主に守られていつまでもあるあるというさらなる信仰を必要としていました。そこにダビデの限界があり、私たちの限界があります。謙遜にこの事実を受けとめる時、やはりキリストに依り頼み、その赦しの力により頼む信仰なくして、本当に人を赦しきることができないことを思わされます。

サウルの孫メフィボシェトもダビデを迎えにやってきました。彼に仕えるツィバは彼がエルサレムに留まったのは、「イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す」といって、ダビデが退去するこの時は自分が王になるチャンスとして与えられているという理解を示したというのです。しかし、ここでメフィボシェトが登場し、ツィバが偽りを言って、自分の将来の立場を善くするためのダビデへの取り繕いの下心ある行動であったことを明らかにします。メフィボシェト自身は、王の食卓に並ばせられた光栄に対するダビデへの恩義を決して忘れることはなかったと伝えています。王は彼の切々たる訴えに激しく心を打たれ、「もう自分のことを話す必要はない。わたしは命じる。お前とツィバで地所を分け合いなさい。」といって、一度メフィボシェトの財産を全部ツィバに分け与えるとしたのを、ここでその地所を分け合うようにと変更を明らかにします。しかし、メフィボシェトは王が無事にお帰りになるなら、そのようなものはどうでもよい、といいます。ツィバの言葉が真実かメフィボシェトの言葉が真実か、サムエル記の記者は明らかにしていません。

王とその息子とが戦争をし、多くの人がその利害を考え、行動し、その結果を見て、それぞれ自分の将来をよりよいものにするため、勝者となった王を迎え入れようとするさまざまな行動、生き様がここに描かれています。神はその人の心の真実を知っておられます。しかし、人はそれを簡単に見極めることができません。ダビデその人の心の真実まで見ることができるよう啓示を受けていたわけでありません。ダビデはすべてを疑うこともできました。どちらかが偽っていても、そのどちらも真実として受け入れることが、王、指導者として、国を治めていくのに必要なことを、ダビデは誰よりも知っていた人物でありました。だからこの二人の問題にダビデはそれ以上立ち入ることをせず、誠実に二人の言葉を信じたのだと思います。

エルサレムに帰るダビデをイスラエルとユダの迎える人々の物語から、32節では一変して、逃亡中のダビデを物心両面で支え、本当に信頼できるギレアド人バルジライが80歳の高齢の身でありながらダビデを見送りにヨルダン川までやってきた物語が記されています。彼は裕福な資産家で、マハナイム滞在中の王の生活を支えた人物です。ダビデはバルジライに一緒にエルサレムに来て欲しいとその願いを述べますが、高齢の彼には、宮廷での今以上の豪奢な生活を約束されても、もはや何の意味ももっていませんでした。彼には余生を故郷で過ごし、父母の眠るその土地で死ねることをむしろ願いました。しかし、彼はこの素晴らしい王と一緒に過ごせた想い出を大切にすることができました。自分はダビデと一緒に行けなくても、まだ若い息子と思われるキムハムを自分に代わって王のお供をさせたいと申し出ます。

サムエル記の記者は、ダビデとバルジライの互いを思う心を実に美しく表現しています。バルジライは、キムハムを「どうかあなたの目によいと映るままにお使いください。」と申し出ますが、ダビデは、「キムハムにわたしと共に来てもらおう。キムハムには、お前の目に良いと映るとおりにしよう。お前にはお前の選ぶとおりにしよう。」と答えています。ダビデは自分の気にいるようにキムハムを使うのでなく、バルジライが望むような形で使いたいと答え、この老人のこれまで示した恩義に対する感謝を表したいとダビデが心から願っている、その心の動きが実に美しく描かれています。

物語はこれで終わればハッピー・エンドですが、そうはいかないのが現実の人間の問題です。ダビデには色んな面があります。純粋な心で人の行為を喜び、それに報いる面もあれば、したたかな計算で人を動かした面もあります。後者の行動に対して、そのつけが思わぬところで返ってきます。41節以下の最後に記されているのは、ダビデのとったユダとイスラエルに対する融和策が、両者の南北対立、主導権争いを生むことになります。そして、それはやがてシェバの反乱を生むことになります。

ダビデのエルサレムへの帰還、王としての再出発は、これら人間の様々な思惑が絡む歴史であったことが一方で描かれています。しかし、こうした人間の思惑を超えて神が歴史の主として支配し、その歴史を導いておられるのを見ることが大切です。神の意思により油注がれた王ダビデこそ、王でありつづけるのです。この神の意思の中で、これらの人の様々な生きる姿が描かれています。あるものは空しい努力として、あるものは素晴らしい物語として描かれています。しかし、その意味を見極めるのは、やはりその現実を生きる人間の責任でもあることを考えさせられます。

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