サムエル記講解

33.サムエル記下2章1節-3章1節『二重王国』

イスラエルはペリシテとのギルボアの戦いでサウル王とその子ヨナタンが戦死し敗北しましたが、国のすべてを失ったわけではなく、サウル王朝も完全に消失してしまったわけではありません。サムエル記下2章は、サウル以後のイスラエル王国の状況を記しています。サムエルを通して示された神の決定と約束は、ダビデがサウルに代わる王となるということですが、現実の歴史は複雑な人間の思惑の中で展開され、ストレートに進んでいっているわけではありません。エシュバアル(イシュ・ボシェテ)のイスラエル王国とダビデのユダ王国という二重王国時代を経てダビデによる全イスラエルの統一(5章)がなされますが、そこに至るまで7年6ヶ月の間、ダビデはヘブロンでユダ王国の王にとどまります。その間、イスラエルとユダはその指導権を巡る争いをしますが、人間の思いを超えたところで神の計画が摂理的な支配の中で進展していることが明らかにされて行きます(3章1節)。

本章にはダビデ王国発端についての以下の三つの断章が収められています。

① ヘブロンにおけるダビデの即位に関する物語(1-4節)

② ヤベシュ・ギレアドの住民たちへのダビデの伝言の断章(4b-7節)。

③ イスラエルとユダとの最初の戦いについての断章(8-32節)。

第一のヘブロンにおけるダビデの即位に関する物語は実に簡略な記述でなされています。ギルボアの戦い後のダビデとペリシテとの関係がどうなったのかということにサムエル記の記者は何もここで記していません。ペリシテの側から見て、ダビデがヘブロンで油注がれユダの王に正式に就任しスラエル王国が分裂し、サウル王朝と戦う勢力として台頭したことは、むしろ好ましいと考えられていたと思われます。アフェクでペリシテの武将たちの疑惑を受け戦線から離脱したダビデがユダに移住したことを、アキシュはペリシテの遠く支配の及ばない地域をダビデがペリシテのために支配地域を拡大し、なおかつペリシテの敵であるイスラエルと戦い、ペリシテの忠実な家臣としてダビデが行動を起こしていると見なしていたのかもしれません。イスラエルの二重王国の成立はペリシテにとって好都合な事柄と見なされていた可能性があります。

しかし、サムエル記の記者はこの事実をそのような観点から記してはいません。ダビデがヘブロンで王になる道がまさに主の意思によるものであることを記すことに重点が置かれています。

2章1節の「その後」とは、サウルとヨナタンが死んでギルボアの戦いでイスラエルが敗北した後ということです。その時のダビデの行動に注目して出来事が記されています。ダビデは自分の判断でこのチャンスを生かそうとしたのではなく、「主の託宣を求めて」行動を起こしたことが明らかにされています。ダビデが主の託宣により行ったのはヘブロンでした。ヘブロンはユダにおける最も重要な場所でありました。そこはアブラハムゆかりの地であり、ユダ族と結びつきを持った他の諸部族(カレブ、オトニエル、エラフメエル等)の集合場所であったからです。ペリシテ人のアキシュがどう考えようとも、ダビデ自身は主の託宣という方法で、自分の行くべき場所を定め、ペリシテとの関係を完全に断ち切り、二人の妻を連れて行き、また家臣とその家族もそこに移住し、主の導きによる新しい歴史の出発点についた、ということをサムエル記の記者は明らかにしています。

ですからここの記事全体は、ダビデこそ主の意思を第一とする王で、主がその王国を祝福しておられる(3:1)ことを明らかにしています。この点を押さえながら物語の展開を見て行くことが大切です。

ヘブロンはユダの南部に位置する町ですが、かつてサウルはこのあたりにも強い影響力を持っていました。しかし、ダビデはアマレクを討ってツィクラグに多くの戦利品を持ちかえった時に、それを友人であるユダの長老たちに贈り物として送りました(上30:26以下)。ダビデはこの贈り物のゆえにユダの多くの町々から既に好意を持たれ指導者として待望されていました。ダビデを追っていたサウルが死んだ後、歓迎ムード一色になっているヘブロンでダビデは油注がれユダの王として公式に就任します。ダビデは既にサムエルにより密かに油注ぎを受けていました(上16:13)。それはひそかに示された神の意思でありましたが、その神の意思が人にも認められることになり、ダビデは文字通り新しい選ばれた王としての第一歩を歩み出すことになります。実に短い断章ですが神の御心が成就する歩みが示される決定的な出来事として覚えられる必要があります。

第二のヤベシュ・ギレアドへのダビデの伝言記事は、主の油注ぎを受けた王サウルの亡骸をヤベシュ・ギレアドの住民が丁重に葬った行為を、主君に対する忠実(ヘセド)として称賛することによって、ダビデはそれを主への誠実な信仰の行為としての意味を与え、ギレアドの為に主の慈しみを祈ったダビデの姿を伝えています。ダビデはギレアドの勇敢さを称え、自分もこれに報いたいと語り、サウル王は死んだが、ユダの家は自分をユダの王としたと伝えています。これは新しい王である自分に忠誠をつくし平和の内に新しいイスラエルの統一された王朝の建設に協力してほしいという遠まわしな要請の言葉でありました。ここに政治家としてのダビデの優れた資質が示されていますが、それ以上に主の将来の計画に一致した行動を平和の内に実現しようとするダビデの賢明な努力と見なすべきでしょう。

しかし8-32節の第三の断章は、この新しい王の意思に逆らう試みとして記されています。ギルボアの戦いでイスラエルは敗北し、サウル王とその子ヨナタンは死にましたが、イスラエルは領土を狭めながらもその王国は残りました。サウル軍の司令長官アブネル(サウルとは従兄弟)は生きて帰還し、サウルの息子イシュ・ボシェトは戦闘に参加しなかったので、サウル家の命脈は保たれることになりました。アブネルはイシュ・ボシェトを擁立して新しいイスラエルの王とし、ヤベシュ・ギレアドのマハナイムに移住しました。しかし、サウルの死後、イスラエルの実権を握ったのはアブネルです。「イシュ・ボシェトは四十歳でイスラエルの王となり、二年間王位にあった」(10節)と言われていますが、彼はヨナタンの弟で、ヨナタンとほぼ同年零のダビデがユダの王になったのが30歳の時(下5:4)であったことを考えると、実際はダビデよりもっと若い20代以下であったと思われます。彼が20代で戦闘に参加しなかったとすれば、身体に障害を持っていたからかもしれません。そうでないならまだ少年であったからかもしれません。いずれにせよ王にふさわしい資質を持つ人物とはどう見ても考えられません。イシュ・ボシェトとは「恥じの人」という意味を持ち、歴代誌上8章33節、9章39節では彼の名は「エシュバアル」(バアル(神)の人)といわれています。いずれにせよその名が示すように、彼に対するサムエル記の記者の評価は厳しいといわざるを得ません。彼の在位は二年とされていますが、ダビデが全イスラエルの王になるのは7年6ヶ月後のことですから、実際、イシュ・ボシェトがイスラエルの王であった期間もほぼ同じ長さであったと思われます。

イシュ・ボシェト政権誕生の場所にヨルダン川の東岸にあるマハナイムが選ばれたのは、そこがペリシテの支配の及ばない遠く離れた安全な場所であったからです。イシュ・ボシェト政権が支配した地域のリストが9節に記されています。サウル王の時代に比べ小さくなったとはいえ相当な広さを保っていました。このことは、ペリシテ人の勝利がサムエル記の記事が与える印象ほど圧倒的なものでなかったことを示しています。中部パレスチナ地方とヨルダン川東岸が残ったのはアブネルの力のおかげであろうと思われます。

ともあれイスラエルの国は残り、サウルの血をひくイシュ・ボシェトによるサウル王朝は存続しますが、南にユダ王国が出現し二重王国時代がしばらく続くことになります。

しかし、両王朝は最初から激しい敵対関係にあったのではありません。ダビデの行動も(4-7節)、ギブオンの池でのユダとイスラエルの戦いも最初から致命的な争いにまで至っていたわけではありません。ギブオンはイスラエルの最も南に位置する重要な堅固な町でした。新しく誕生した両王国がここで覇権を巡ってにらみ合いをしたのも十分理解できます。14節に記されているアブネルのヨアブに対する申し入れの言葉は、最初から他国に侵入した敵に対するようなものではなく、穏やかな競技による勝負で決着をつけようという提案です。「勝負させてはどうか」は、「演じさせよう」という意味の言葉が用いられているからです。十二人の若者による勝負は本当に互いの命をねらう戦いではなく、格闘技による平和な戦いが考えられていました。しかし、互いの頭を押さえ合い本当に剣を抜いて相手のわき腹に突き刺し合い皆共に倒れる結果となり、互いの憎悪の感情がわき、ついに激しい戦闘になってしまいました。

そして、この戦いでダビデの家臣の方が勝利を収め、負けたアブネルのイスラエルの兵は退散をはじめました。ダビデの家臣の中でもとりわけ戦闘的だったのは、ダビデの姉の子で甥であるヨアブ、アビシャイ、アサエルの3人です。

この戦いに敗れて退散した敗軍の将であるアブネルは決して臆病な人間でも武将として無能な人ではありませんでした。彼が撤退したのは、これ以上同じイスラエル部族の間で戦いをするのは賢明でないと判断したからです。そして彼はダビデの王、軍の将としての統率力の高さを知っていましたので、直ちに全面戦争するのは得策でないと考えていました。彼はそのような判断で退散したのです。しかし、ツェルヤの子たちはこの勝利に有頂天になり、敵を追いもっと大きな致命傷を与えようと考えていました。かもしかのように足の速いアサエルがアブネルを執拗に追いました。アブネルは強い武将でしたので、この若い血気盛んなアサエルを一発でしとめることができましたが、そうなれば弟を殺された復讐心に燃えて兄のヨアブが大勢の軍隊を連れてやってくるに違いないと冷静に判断していました。アブネルはこの全面戦争になるのを避けたかったのです。

しかし、アサエルは武勇を上げることだけを考え、頑として離れませんでした。そのためアブネルは不本意ながら、アサエルを槍の一突きで倒してしまいました。アブネルが心配したとおり、アサエルの死を知ったユダの兵士たちと兄のヨアブとアビシャイは、その復讐の為にアブネルを追い続けました。

アブネルはこの追手たちの長であるヨアブに大声で呼びかけ、このまま互いが戦い続けたらどのような悲惨な結果に終わるかを指摘し、ヨアブに警告しました。ヨアブはこの警告を聞き、この戦いが長引いたのは、そのことを早く言い出さなかったアブネルにあるという非を訴えますが、賢明にも復習の機会を延期する決意をします。こうして最初のイスラエルとユダの戦闘は終結することになりますが、アブネル側の損害はダビデの家臣の被害に比べるとはるかに大きいものでありました。この戦いが象徴するように、サウル王家とダビデ王家の戦いは長引き、ダビデは勢力を増し、サウルは衰えて行くという、神の計画が現実化して行きます。そこには邪な人間の野心や試みがありますが、それらを乗り越えて神の計画が確実に進展しています。そして、ダビデは愚かな人の企てに苦しみながら主の御心を求める王への道を歩みます。このイスラエルとユダの愚かな戦闘にダビデが何の役割も果たしていないのは、ダビデの本意はイスラエルとの平和の内に自分の王権を立てることにあったからです。神はこのダビデの心を用いながらご自身の歴史を実現されようとしています。

旧約聖書講解