サムエル記講解

22.サムエル上21:1-16『ダビデの逃亡‐アヒメレクとアキシュの下で』

本章1節の言葉が示しているように、ダビデはヨナタンと別れを告げて、サウル王から逃れる逃亡生活が始まります。このあと29章まで逃亡生活の記事が続きます。ダビデは一時的に、ラマのサムエルの下に逃れていましたが(19章)、一度戻ってサウルの自分に対する殺意の変わらないことを、ヨナタンを介して知り、取るものも取らず、文字通り身一つで逃亡を始めねばなりませんでした。ダビデが最初に選んだ場所は、エルサレムの少し北にあるノブの地です。

ノブは、「祭司の町」(22:19)と呼ばれ、重要な聖所と見なされていた町であると思われます。17章54節において、ダビデはペリシテ人のゴリアトを倒し戦利品として持ちかえったゴリアトの武具を「自分の天幕においた」と記されていますが、それがここノブの聖所に置かれていますので、あれは「主の天幕」に置かれたのではないかといわれています。そうであれば、ノブは「主の天幕」のある聖所で、祭司たちがそこで仕える町であるということになります。

ダビデはそこで祭司をしていたアヒメレクのところに身を寄せました。アヒメレクの曽祖父は祭司エリで、その息子ピネハス(祖父)の子イカボドの兄弟であったアヒトブの子のアヒヤ(14:3)という人物がいますが、アヒメレクはこの人物と同一人物であると思われます。

アヒメレクとダビデをめぐるこの物語は、逃亡中のダビデの姿が凝縮するように描かれています。

ダビデが最初の逃亡において身を寄せたのは、預言者のところです。そして、この長い逃亡生活のはじめに選んだのが、祭司のところです。ダビデが危機に際して預言者や祭司のところに最初に身を寄せるのは、彼らが神の言葉に関わる人物であるからであり、ダビデはそうすることにより、自分の将来を神に委ねる信仰を表明しました。少なくともサムエル記の記者は、ダビデをそのような人物として描いています。

ダビデは神の人サムエルから油注ぎを受け、将来の王となることが神の意思として明らかにされていた人物です。彼のこれまでの行動と人間関係の中で、主が「彼と共に」おられることが明らかにされてきました。それは、ダビデにとって最悪のどん底の時期である逃亡生活においても、預言者や祭司たちにより、主が共にいる象徴的な救いと助力を与えられて一層明らかにされるのです。

しかし、アヒメレクが「ダビデを不安げに迎えた」と2節に記されています。これまでもダビデはアヒメレクのところに度々神託を求めて尋ねたことがあり(22:15参照)、それゆえ二人は顔見知りで、深い信頼を寄せ合っていた間柄でありましたので、アヒメレクはダビデが訪ねてくること自体に不信の念を抱いたり、恐怖を抱いたのでありません。アヒメレクは、いつもとは違いダビデがたった一人でやってきたことに驚き怪しんだのであります。だからアヒメレクはその疑問を単刀直入に、ダビデに「なぜ、一人なのですか、供はいないのですか」とぶつけました。

ダビデはこの質問に、王の密命を受けての行動であるので、従者たちと別れて、今は単独でやってきているが、後にある場所で従者たちと落ち合うことになっている旨を告げ、急いで何も持たずに逃亡してきて非常な空腹を覚えていたので、「それよりも、何か、パン五個でも手もとにありませんか。ほかに何かあるなら、いただけますか」といって、食べる物をアヒメレクに求めました。

しかし、そこにはダビデにすぐ与えることのできる誰もが食することのできる食べ物は何もありませんでした。あるのは祭司のみが食べることを許された「聖別されたパン」(5節)のみでした。それは、神の家に捧げられた穀物の供物で、アロン系の祭司のものとなる「供えのパン」(レビ記24:5-9参照)でありました。だから、アヒメレクはそれを祭司でないダビデに与えることに一瞬ためらいを覚えました。しかし、思いなおしたように、従者たちがそれを受けるにふさわしい汚れない状態にあるなら(出エジプト19:15、下11:11)差し支えないという条件づきで与えても良いというと、ダビデはその条件なら十分満たしていると答え、そのパンをもらい、空腹をしのぐことができました。この出来事は、後に主イエスによって、空腹の弟子たちが安息日に麦畑の麦の穂を摘んで食べたことをファリサイ派の人々から非難された時、この時のダビデの行動を引き合いに出して、正当化されています(マタイ12:3-4、マルコ2:25―26、ルカ6:3―4)。

ダビデはさらにアヒメレクに求めて剣をも手にすることに成功します。ダビデの身一つで始まった逃避行は、聖所のパンと剣を手に入れることができたということは特別な意味があります。

ダビデは、自ら願わず、王への祝福の道をまっしぐらに上り詰めようとしていましたが、サウルの嫉妬を買い、急転、王から追われ毎日身の危険を感じながら、欠乏と恐怖の日々を過ごさねばならなくなっていました。ダビデの人生行路は全く狂いました。彼は、その危機に際し、祭司アヒメレクの下を尋ね、不誠実な自己保身のための言葉と行動を、意に反しながらも取り、それでもなお、聖なる領域の中にとどまることができました。それは、ヤコブの祝福(創世記27章)のように、道徳的にいうなら、瞞着以外の何ものでもありません。それにもかかわらず、祝福はヤコブに常につきまとい続けたように、ダビデにも同じように主の祝福がつきまといます。

しかし、このダビデを助けたアヒメレクの運命はどうなるかというと、やがて彼に起ころうとする運命の暗い影を示すように、ドエグは、アヒメレクがダビデにしたすべてを見聞きしていたことが8節において記されています。

ドエグは、サウルがエドムと戦った時の捕虜で(14:47参照)、王の家畜を見張る牧者となったが、そのつわものぶりを見込まれて王の護衛兵の一人に加えられたのかもしれません。そのドエグがその場所にいたのは、何らかの罪滅ぼしのために拘留されていたためか、あるいはサウルの密偵としてそこに遣わされていた可能性もあります。アヒメレクはドエグの存在を全く気にせず、ダビデがサウルのもとから逃亡してきたことにも気づかず、二心ない態度で祭司として困窮するダビデに手を貸し、ここには記されていませんが、ダビデのために神の託宣さえ求めてやっています(22:13)。ダビデはそこにドエグがいることを承知していました。ダビデには、この人物がどれほど危険であるか予測ができていました。しかし、ダビデはそのドエグに対して予防的な措置を何も取ろうとしませんでした。ダビデはそれを後に悔やむことになります(22:22)。

サムエル記の記者は、この物語を、それぞれの人物についていかなる評価づけも行わず淡々と事実だけを物語っています。ここには何の罪もないのに悪しき行為の巻き添えとなる祭司アヒメレクへの同情も、口から出まかせのように語ることによってその惨劇の原因を作ったダビデへの非難もしていません。かといって、ダビデの機敏さや当意即妙な沈着さに対する称賛も行っていません。後にダビデの反省が報告されますが(22:22)、その場合も、祭司を嘘でだましたことに対する反省というよりも、用心の足りなさに対する後悔に過ぎません。この物語には道徳的な次元での取り扱いの意図は何の役割も果たしていません。サムエル記の記者は、ただダビデの逃亡生活の非常な困窮と、それがもたらした結果とを伝えているに過ぎません。ダビデは、祭司に助けられた。それは、「主の御前(顔の前)」(7節)から取り下げられた聖なるパンと剣、そして、託宣を受けることにより与えられたものであることが告げられています。しかし、やがて起こるドエグによる告げ口もまた、「主の御前」(8節)から出たことであることを告げています。その行為がどうあろうと、ここでも「主はダビデと共に」おられることが明らかにされているのです。アヒメレクについては、その父祖の罪の呪いが告げられる主の言葉(2:27以下)との関連でその光と影とを読み取ることが読者に期待されています。

物語はむしろエドム人ドエグの存在を告げることにより、読者にドキリとする緊張を与えています。エドム人ドエグは、ここで敵役として登場します。エドム人はイスラエルの歴史の中で憎しみに満ちた対立した存在であり続けました。その敵対関係は、エドム人の祖先とされるエサウにはじまり(創25:25,30)、荒野時代に激しさを増し(民20:14以下)、士師時代(士師3:7―11)、王国時代(サムエル上14:47、下8:13、列上11:14以下)、さらに前587年のユダ王国の滅亡と捕囚直後に凄まじい復讐をユダに対して行い(詩137:7、イザヤ34章、オバデヤ10―15、哀歌4:21、エゼキエル25:12以下)捕囚によって人口が減少した南ユダに侵入しました(エゼキエル35:10以下)。それは、後代になってもユダヤ人たちとイドマヤ人ヘロデの関係においても表れます。

そのエドム人ドエグが何を行うか次章で明らかにされますが、その存在を告げる言葉を聞くだけで、その歴史を知る読者は非常な緊張を覚えながらこの展開を予感するのです。サムエル記の記者は、作家としても実に優れたストーリーテラーです。

ダビデは、必要なものをすべて手に入れ、より安全な場所へさらなる逃亡を試みます。ダビデが次に選んだ場所は、ガトの王アキシュのもとです(11節)。ガトはペリシテ人の町です。ダビデはこのペリシテ人の町に亡命すればサウルはそこまで危険を犯して追いかけては来まいとのしたたかな計算をしてでの行動です。

このガトにおける物語は実にユーモラスで滑稽です。

ダビデはここなら安全だろうと期待してガトの王アキシュのもとに来たのですが、アキシュの家臣に身分を見破られます。それは、ダビデがゴリアトの剣をもっていたからであったかどうか判りませんが、とにかくアキシュの家臣の一人が、この逃れてきた人物がダビデであることを見破るのです。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」とイスラエルの民衆が歌っているのを聞いたというのです。彼は、ダビデのことを「かの地の王」(12節)と呼んでいます。ダビデの存在がペリシテ人の目から見て既にサウル王に匹敵する王として見なされていたことが伺えます。しかし、その男が一人でペリシテ人の地にやってきたのは何故か、彼の身分を見破る発言から、当然王のアキシュもダビデに問い質すでありましょうし、王と目される人物を、安全に扱うはずがありません。ダビデは自分の目論見が全く外れたことに気づかされました。と同時に、アキシュが自分をどう取り扱うか大変恐れました。実際ダビデは捕らえられ(14節)、そして、王のもとに連れて来られたのです(15節)。

そこでダビデは機転をきかし、「ひげによだれを垂らしたり、城門の扉をかきむしったり」(14節)して、狂人の真似をして、アキシュに処刑されるのを免れ、追放されて一命を取りとめます。ダビデは今や可愛らしい貴公子ではありません。海千山千の知恵に長けた世渡りによる生きるすべも身につけた壮年でありました。生きるということは、綺麗なだけではできません。神の守りもただ眠っていて与えられるのでもありません。主の守りを信じるがゆえに、必死に生きる努力と、泥臭い芝居地味た窮余の策も時には人は演じなければならないこともあるのです。

しかし、ダビデの企ては不首尾に終わります。ダビデはペリシテ人の下で、あるいはペリシテ人と一緒に、自分の人生を築きなおすことはできないのです。少なくともこの時点では、その計画は神のものではなかったからであります。後にダビデはアキシュの下に亡命し好意的に迎えられます(27章)。しかし、この時点ではそれは認められないのです。

浅はかな人間の計画が、より上位にある神の経綸によって打ち砕かれたのです。しかし、同じく浅はかな人間の計画が後には神に用いられています。

何れの場合も、ダビデがペリシテ人の軍隊に引き入れられたり、アキシュの獄に繋がれることはありませんでした。無事王宮から立ち去ることができたのは、彼と共に主がおられたからです。

そして、彼と共にある主の道は、確実にその先へと続くのです。ダビデの逃亡の困窮生活が続きますが、主のみ手の導きは彼と共にあるのです。ダビデは逃亡の中でそのことを学び、主への信仰を深めます。愚かさと、血みどろの生きる努力の中で、その信仰は育てられ、神の守り導きが表されるのです。

旧約聖書講解