ヨナ書講解

ヨナ書は、他の預言書と異なった特徴を持っています。それは、預言者ヨナの言葉を収録したものではなく、預言者ヨナについての物語であるということです。にもかかわらず「ヨナ書」が12預言書の中に入れられているのは、アミタイの子、預言者ヨナ(1:1)の運命について報知している形式が取られているからです。列王記下14章25節は、「アミタイの子ヨナ」がヤロブアム2世(前785-774年)の治下に東ヨルダンの領域がイスラエルによって回復されたと報じています。しかし、ヨナ書にはこのヨナに関する物語は含まれていません。ヨナ書には、歴史的自伝的意図が全然なく、その為に必要な報告も欠けています。

ヨナ書は文学的には預言文学には属さず、教訓詩に属しています。

ヨナ書に流れる主題は、神の憐れみはイスラエルの民だけに限られているのではなく、むしろ悔い改める異邦人に対して生き生きと証しされているという考えであります。

ヨナが示しているユダヤ教的不寛容と狭隘な選びの信仰により、異邦の国民よりユダヤ人は優れているのだという思想を退けようとする本書に見られる記述の傾向は、ヨナ書が実際に書かれたのが捕囚期以後のものであることを示しています。

ヨナ書は、捕囚期に生きた預言者第二イザヤ(イザヤ書40-55章の著者)の広く世界的な救済の思想を前提しています。また、前612年にニネベは滅びましたが、その出来事は遠く過ぎ去った時代の、伝説に包まれた都と考えられていますから、この書は列王記下14章25節の「アミタイの子ヨナ」についての物語と見ることはできません。

ヨナ書は、捕囚期以後から前4世紀頃までに書かれたと思われます。
ヨナ書は、一方で預言者の神理解の偉大さを示し、もう一方で排他的特殊性と宗教的自己中心といういずれも神の偉大さにそぐわないことによって、信仰を狭小にする預言者ヨナに反対し、神の憐れみによって異邦人を救おうとする寛容の精神によって貫かれています。ヨナ書には、神の憐れみはあらゆる人間的な思いを超えて高く、また神の救いの御心は、個々の民族の隔てよりも広く行き渡ることが示されていて、それは同時に伝道の課題にも通じ、その故に旧約の中で最も主イエスの福音の道を備える書であるということができます。

旧約聖書講解