申命記講解

3.申命記4章1-24節『主の声のほかには何の形も見なかった』

4章1-4節は、律法朗読のために導入説教です。3章29節と4章46節の記述から、この説教は、ベト・ペオルでなされたことがわかります。3節では、バアル・ペオルと呼ばれています。ペオルにおいて、イスラエルはバアルを慕う偶像崇拝を行いました。モアブの娘たちに従って背信の罪を犯した者たちは、すべて民の間から滅ぼしつくされたと、民数記25章に詳しくその裁きが記されています。民数記には、この災害で死んだ者は2万4千人であったとされています。パウロは、Ⅰコリント10:8において、一日で2万3千人倒れて死んだと報告しています。主の言葉に反するバアル宗教の崇拝者はその祭儀における性的な不浄を伴う重大な罪のゆえに、厳しい裁きが施されたとの報告が記されています。ベト・ペオルは、申命記34章6節によれば、モーセが葬られた場所でもあります。その葬られた場所がどこであるか誰も知らない、とも言われています。「救済史」におけるこのおぞましい出来事を警告として語る中で、1節において、主は、わたしが教える掟と法を忠実に守るよう奨励し、そうすれば命を得、主が与えられる土地に入って、土地を得ることができる、という約束を告げ、2節において、「あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らす事もしてはならない」と告げ、主の言葉への絶対的な聴従を求めています。「何一つ加えることも、減らす事もしてはならない」というこの定式は、申命記13章1節、エレミヤ書26章2節、箴言30章6節、コヘレト3章14節にあり、使徒時代の後の時代の文書や、教父たちの文書において、その完全な意義を獲得しています。

モーセ時代の歴史的回顧がなされた後、今や律法の告知がなされるべき時となるが、ここで説教は律法への一般的導入演説へと変わっています(申命記4章1節~40節)。ここには、申命記史家による編集の手が加えられている痕跡を認めることができますが、申命記法は、申命記史家によって受け継がれる以前に長大な勧告的な助言をもっていたのであるから、この移行部分は文脈にとって必ずしも必要ないように思われる、とM・ノートは指摘しています。

5節-8節の段落には二、三の難しい問題があります。5節の動詞「教えた」は、過去の意味でしか翻訳され得ないものであり、5節は既に過去に行われた律法朗読に遡っていることを、意味しているからです。そして、8節の「このすべての律法」という称賛の言葉も、このことを裏付けています。この称賛の言葉は、イスラエルの民が、この評価そのものを確証することができ、また戒めの告知を待ち受ける状態でない場合に限って、意味のあるものとなっているからです。このシナイの啓示が、他の国民が持っている真理を凌駕する、あらゆる知恵の精髄であると告げる6-8節の言葉は、以下に続く、律法朗読を念頭に置いた、説教のあとがきとしてのみ理解され得るものである、とフォン・ラートは指摘しています。

「掟と法」は申命記でたびたびでる要語で、4章には、1,5,8,14,25節において用いられ、他の箇所でも少なくとも12回出てきます。「掟」とは、神から直接啓示されるものを指し、「十戒」はまさにそれにあたります。新共同訳聖書が「法」と訳している言葉は、直訳では「裁き」(ミシュパーティーム)で、具体的な事件に対する判決が、後に起きる同じような事件の判決となったものです。たとえばレビ記24章10-16節の冒涜に関する事件をあげることができます。

9節-24節の段落も、説教です。しかし、相手に直接「あなたがた」と呼びかけるものと、「あなた」と二人称単数形で呼びかけるものとが見られ、内容的に統一がとられていません。

9節-14節は、主(ヤハウエ)がホレブで啓示した律法に関する、包括的かつ一般的な語りかけとなっています。これと並行して、15節-24節において、偶像禁止命令の順守強化という単一の関心を中心に展開している勧告の説教が続いています。ここに記述されている本文は、本来あったものではなく、後の時代の、偶像崇拝に対する警告が、後から二次的に12節に付け加えられたものである、と理解すべきであるとフォン・ラートは述べています。

12節では、イスラエルがホレブで聞いたのは、主の声の他に何の形も見なかった、と語っています。神学的に見れば、ここで「伝承による立証」を行っていますので、そこでの説教者は、伝承によって伝えられた要素を神学的に活用する目的で、イスラエルはホレブでヤハウエが語る言葉を聞いただけで、ヤハウエを見なかったことを取り上げています。それによって、この説教者は、偶像を媒介としたヤハウエ礼拝に対する、徹底的な論駁を行い、イスラエルを妥協の余地のない偶像礼拝禁止命令のもとにあることを明らかにしています。これによって、他の諸国民の偶像崇拝に対する寛容さが著しい対照をなすものとして示されています。主が、天の下にいる諸々の国民に星辰崇拝を割り当てたと、主(ヤハウエ)の寛大さを19節で述べています。旧約聖書のどこにも見出されない寛大さがこのように語られています。

しかし、25-28節には、偶像崇拝のゆえに、イスラエルに対する裁きが離散の形で到来するという解釈が示されています。こうした解釈は申命記よりも後代の層に属する31章16節だけでなく、申命記史家の歴史書にも見出されます。15節-24節の段落は、戒めに聞き従うことを勧めた一般的な勧告として記されています。これら単元全体は、この説教者が、前587年の捕囚を既に知っていることを示す証拠となっています。

こうした時代を背景に語る説教者は、破局の時代を生きるイスラエルの民に向かって、破局の原因を、「あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得る」(1節)体験をしたが、現在はその土地を追われ、捕囚とされた挫折の中にあることを示しています。そして、「あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らす事をしてはならない」(2節)という主の命令忠実に生きることに失敗し、約束の地から引き離され、出エジプトの流浪の時代よりも厳しい現実を生きざるを得ない民として語っています。

いま苦しみの中にあるイスラエルの民の先祖は、「主は火の中からあなたたちに語りかけられた。あなたたちは語りかけられる声を聞いたが、声のほかには何の形も見なかった。主は契約を告げ示し、あなたたちが行うべきことを命じられた。それが十戒である。主はそれを二枚の石の板に書き記された。主はそのとき、あなたたちが渡って行って得ようとしている土地で行うべき掟と法をあなたたちに教えるようにわたしに命じられた。」(12-14節)という素晴らしい主の救いと導きを受けた人々です。その子孫である捕囚時代を生きるイスラエルの民は、主の「声のほかには何の形もみなかった」。しかし、命の道を歩むための「主の契約を告げ示された」。この大切な事実を心に刻み、歩み続ける民としての生き方を忘れ、バアル宗教の祭儀を礼拝に持ち込んだり、異教の文化にあこがれたりして、主の教えを退けたことが、現在の苦悩の根本的な原因であることに気づくよう、説教者は、もう一度神の言葉に立ち帰るよう促しているのであります。モーセは、神と民の仲保者として神が立て、神の言葉を取り次ぐその任務をもつものとしてここで語られています。だから、捕囚時代を生きる民に、モーセを通して語られた神の言葉として、その名をもって語られる神の言葉に立ち帰り、偶像を造らず、それらを拝することもなく、ひたすら主なる神を求めて生きるよう促しを与えているのであります。

「あなたの神、主は焼き尽くす火であり、熱情の神(妬む)だからである」(24節)という表現は、出エジプト記20章5節、34章14節にも見られ、ヤハウエとイスラエルを夫と妻の関係にたとえ、妻イスラエルが夫ヤハウエでなく他の神々を慕い求めることがヤハウエの妬みの原因となることを告げる熱情的な神の愛を語っています。イスラエルを破滅の道から立ち帰らせるのは、妬むほどに今もなお愛している神であり、この神の深い愛を思い起こし、イスラエルは、この神の声を聞く生活をとりもどし、唯一真の神ヤハウエとの正しい交わりの中で生きる生活をとりもどすことが求められているのです。この説教から聞き取るべきことは、この神の愛を知ることです。

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