アモス書講解

13.アモス書5:18-20,6:9-10『主の日は闇であって、光ではない』

この第2の災いの預言は、「主の日」に対する宗教的・国家的希望に関するものです。民衆は特別なヤーウェの日が始まるのを期待していました。人々が望んでいたのは、光、救い、隣国に対する勝利でありました。人々は、ヤロブアム2世治下(前787-747年)における平和と繁栄を凌ぐ諸事情の展開を望んでいました。アモスの時代、人々は、ヤーウェが世界に対する最後的な支配の座につかれる日に、目に見える形で民の下に来られることを待望していました。民衆の抱いていたのは、民族の利益に答える神、としてのヤーウェに対する信仰であり、期待でありました。この民族主義の信仰に従って、人々は、ヤーウェの王としての支配の確立において、敵に対する神の決定的勝利を期待していました。彼らの期待は愛国的な救済預言によって支えられていました。

アモスは、神が力を持って現れる日が来るという民衆の信仰に同意します。しかし、主の日は人々の期待と全く逆の形で現れます。神と特別な仕方で結びついている民の上に(3:2)、ヤーウェは救いではなく、災い、闇、死をもたらします。アモスが「主の日」について語っているのは、この個所のみです。しかし、アモスの災いの預言がすべてこの決定的時に収斂していることは明らかです。主の日は、24時間という時間の単位で現れるのでなく、神ご自身の業の背後から現れる圧縮された神の行為の時間として示されています。

「災いだ」という言葉ではじまるこの預言が最初語られたのは、祭儀を背景にしてです。アモスは愛国的な救済預言を語る偽預言者と対決して、「主の日」をめぐって、妥協の余地のない鋭さを持って、預言に預言を対置させ、反対命題を展開しています。アモスは、「主の日はお前たちにとって何か」と問い、問題は主の日をどう理解するかにあることを示しています。愛国預言者の言葉を受け入れて人々が望んでいたのは、光、救い、隣国に対する勝利でありました。しかし、アモスは、「それは闇であって、光ではない」と答えます。

アモス自身が「主の日」についてどのように考えていたかは、19節の言葉が明らかにしています。「主の日」の到来について、アモスは人々同様疑いません。しかし、その日が現実に到来したならば、その時民を襲うのは、ライオンから逃れたと思ってほっとしていると、熊に襲われる運命であると語られています。このいずれも逃れて助かったといって家に帰れる者もあるが、安全だと思っているその家で思いもかけず蛇に噛まれて命を落す者がたどるのと同じ運命がそこにあるといわれています。アモスが語るこの比喩は、人が助かった、安全だ、と思っている時に、突然思いがけない危険にさらされて驚愕するということを示しています。神が現実に現れる時、あらゆる人間的期待は潰えます。神は偶像化された人間の期待を打ち砕きつつ、自ら与えた約束に従って神はその日をもたらせる方であることを、アモスはこの比喩で示しています。

19節から20節の「主の日」についての結論への移行を補完する、「主の日」の破局を伝える、より詳細な情報は、6章9-10節に見ることが出来ます。6章9節でアモスは、救いのない没落について語っています。そして、10節では、「主の日」における多くの死のおぞましい不安を描き出しています。

10節が描写する「主の日」はこのようなものです。不安におののきつつ自分の家に隠れて生き残った者は、彼の親族に発見され、親族の死人の死体搬出を手伝わされます。その時親族が、家の中に隠れていた者に向かって、「まだ、あなたと共にいる者がいるのか」と尋ねると、「いない」「声を出すな、主の名を唱えるな」と答える、とアモスはいいます。その様に言うのは、死人の霊が、自分の所在に気づいて自分を襲うのではないかと恐れているからです。それは、全く迷信的な死に対する恐れでありました。この迷信的な死への恐れの光景は、「主の日」に対する熱望と「主の日」の到来の現実の間の対象を見事に描き出しています。ここでアモスは、そのような多くの死を引き起こす原因が何であるかについて一切語りません。アモスは、ただ「主の日」、主が現れる時、主によってその死がもたらされることと、その主に出会わねばならないことは恐るべきことであるということだけを告げています。そして、「主の日」には、人々は主の名を唱えることはないだろう、とアモスは告げています。かつてあれほど「主の日」の到来を待望し、その名を唱えて祈り賛歌を歌った民衆が、「声を出すな、主の名を唱えるな」といいます。それはなぜか。その日、神の滅ぼし尽くす意志への恐れが非常に大きくなるからです。主の到来による一層の不安を招かないため、誰もヤーウェの名を呼ぼうという気になれないからです。

審くために来られる神ヤーウェ、この神はアモスにとって真実何を意味していたのでしょうか。その時のアモスには、ただ死の静寂と恐怖しかありません。

だからアモスは、5章20節で、「主の日は闇であって、光ではない。暗闇であって、輝きではない」としか語れません。このような状況において、「主の日」を待ち望むのは、何ら意味をなしません。アモスはこうして、その預言と預言者の判断に対する同意を求めます。

民衆の「主の日」への希望は、3章2節のイスラエルの選びへの信仰と同様、祭儀によって形成された民族信仰の一部となっていました。彼らは、イスラエルの歴史の始めに、選びがあったように、その歴史の終わりは主がご自分の民に対する最後決定的な自己表明が行われると信じていました。その信仰自体は必ずしも間違ってはいません。アモスもこれに同意します。しかし、その民衆の信仰は、敵が鎮圧されることによる、イスラエルの救いと勝利と繁栄への希望でした。それは、民族の願望、利益に答える偶像の神のイメージを造ることになりました。そこにヤーウェ宗教の偶像宗教への転落が用意されていました。

こうした種類の宗教に対して、アモスは、明快な絶対拒否を突きつけます。アモスはこの種の希望に対して、「災いだ」という言葉でもって呼びかけます。そして、「主の日」についての光景は、民衆の期待と全く異なる、神の本質と支配の理解に立って示されます。アモスは、どのような意味においても、神が人間の権力追求や民族主義に彩られたエゴイズムやおごりと結びつくことはないことを示します。アモスは決して宗教的な装いにだまされることはありません。人は、宗教的な装いにカモフラージュして、人間的欲求による神との結びつきを強め、その欲求実現を図ろうとする衝動に支配されやすいのです。その衝動によって、イスラエルの民衆の大多数は「主の日」の到来を希望し、愛国的預言者の言葉に身を委ね、その道を歩んでいました。

この道を断ち切り、正すことは容易ではありません。さえた目と揺るぎない主への信仰と勇気がいります。アモスはその信仰と勇気を持って、民を神の恐るべき事実の前に立たせます。その事実とは、神が民に人格的に出会い、自らを告知せしめることです。その際、民は目も眩むほどに突然な仕方でこの神と対面しなければなりません。それは、熊や蛇に突然襲われて噛まれるようにやってきます。

アモスのこの言葉は、我々にとって過去のものとなったのでは決してありません。「主の日」への待望は、キリスト教信仰にとって欠くことのできない、それを欠いては信仰でなくなる重要さをもっています。しかしそれは、「此岸」からの願望が実現するという意味での、待望の日ではありません。神がその本質においてご自身の支配を完全に表すという意味で、「主の日」なのです。民族的・利己的利益によってしか生きない、そこからしか主を求めない似非キリスト教徒にとって、「主の日は闇であって、光ではない。暗闇であって、輝きではない」恐るべき現実として、突発事故のように突然やってきます。この預言は異教徒に語られたのではありません。ヤーウェの民と自認する、敬虔な生活をして、宗教的義務を果たしていると自認する者に向かって語られた預言です。自分の信仰もそうなっていないか、神はわたしたちひとりひとりに問うておられます。神の約束とその言葉に結びつかない信仰をもって迎える「主の日は闇であって、光ではない。」しかし、神の約束とその言葉に結びつく信仰には、「その日は、主にのみ知られている。その時は昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。その日、エルサレムから命の水が湧き出で、半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい、夏も冬も流れ続ける。主は地上をすべて治める王となられる。その日には、主は唯一の主となられ、その御名は唯一の御名となる」(ゼカリヤ14:7-9)ということが期待できることに、アモスも同意するでしょう。しかし、アモスはこの時その様な言葉を語れませんでした。その言葉を語れる信仰がイスラエルにはなかったからです。預言者の言葉、説教者の言葉が厳しく響く時、平安を語ってほしいと願うのは人情です。しかし、そう語れない現実を人は見なければなりません。この審き、災いをこそ真摯に受け止める信仰が必要な時があります。それを真摯に跪いて聴く者に、「あるいは、…憐れんでくださることもあろう」(アモス5:15)との望みをアモスも語っています。

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