エレミヤ書講解

8.エレミヤ書4章5-31節『北からの災い』

「北からの災い」は、エレミヤの預言活動の初期において重要なテーマでありました。この箇所はまさにそのテーマを扱っています。「北からの災い」については、古くから、「バビロン説」と「スキタイ説」の二節が存在しますが、当時、ヨシア王もエレミヤも「親バビロン」「反アッシリア」の立場を明らかにしていたので、バビロン説を採ることは困難と思われます。

紀元前7世紀半ばごろ、約半世紀にわたって当時の世界に一定の秩序と繁栄をもたらしていたアッシリアの支配もかげりを見せ、新興勢力の進出に脅かされるようになりました。メソポタミアの南部には、ナボポラッサル(前626-605年)が都市バビロンを中心に新バビロン帝国を起こし、ペルシャの北側にはキュアクサレス(前625-587年)に率いられるメディア王国が台頭していました。これら二つの王国がアッシリア帝国の領土を二分して確立する前に、コーカサスの北から侵入して、世界を荒らしまわった騎馬民族であるスキタイ人は、ヘロドトトス(『歴史』)によりますと、当時同じように台頭した同じ騎馬民族のキンメリア人を追って、アッシリアに入り、さらにメディアにも侵入し、あるいはエジプトを目指し、シリア・パレスチナにまで略奪の遠征を行なったとされています。エレミヤの「北からの災い」に関する預言は、このスキタイ人の乱暴な攻撃と略奪の噂を聞いて、ユダとエルサレムの人々に警告を発するために行なわれたのではないかと考えられています。4章5節以下に記される言葉は激越で恐怖に満ちています。しかし、スキタイ人もキンメリア人も結局ユダを襲うことはありませんでした。その意味では、エレミヤの預言は実現せず、失敗であったといえます。それゆえ、この激しい恐怖に満ちた預言を語ったエレミヤの預言者としての立場は惨めなものとならざるを得ませんでした。しかしエレミヤは、歴史の深層において何が動きつつあるかを考え、それを見つめて生きた預言者でありました。だからこのように初期の「北からの災い」の預言が実現しなかったからといって、彼の預言には価値がないといって退けることはできません。

5-8節には、預言者エレミヤが神の指令を、ユダ及びエルサレムに告げられるべき警報として語られています。その警報は、一般的に不特定多数の人々に向けられて語られています。エレミヤはこれを自ら告げられた神からの告知として伝えています。「角笛」は、平時においては礼拝の招集を告げるために用いられますが、侵略の危機の際には警報として、その破局を逃れるための警報の役割を果たします。エルサレムに迫り来る災いの実体が何であるのかは、はっきりしていません。はっきりしているのは、この災いが神によってもたらされるということだけです。7節の災いの描写は謎めいています。しかし、預言者が民に迫って「粗布をまとい、嘆き、泣き叫べ」と、喪服を着て公的な弔いの用意をさせようとする十分な根拠になっています。その弔いにおいて民は、ヤハウェの怒りは止むだろうといった偽予言者の語る安易な期待に欺かれていたことに気づき、預言者エレミヤのほうがやはり正しかったことを確認しなければならなかったのです。

9-12節には、指導者たちの麻痺した態度と神の審判が明らかにされます。主の審判の警告を軽く見た王や高官は途方にくれ、祭司や預言者は心挫け、彼らはいずれも独りよがりの無知をさらけ出し、自らの責任を取ろうとせず、その責任を厚顔無恥にもヤハウェに負わそうとします。偽預言者たちは、ヤハウェの名をもって民に永遠の救いの約束を与えて、宥めていたからです。しかし、主御自身が現れるとき、彼らはもはやその責任を免れることが出来ません。偽預言者の虚偽と幻想に対してエレミヤが対置させる神のことばは、「救済」ではなく「審判」です。東から砂漠を横断して吹くシロッコ風は、3日から長いときには2週間ほど続くことがあります。これが吹く時には、急激に気温が9-12℃上昇し、夜わずかに涼しくなりますが、湿度は40パーセントほど下がり、残りの湿気も大気中から搾り出されたような感じになり、強度の乾燥と大気中の微細なほこりで体力は消耗させられ、心臓疾患や神経症や静脈拡張症の者は特に影響を受けます。柔和な気質の人もいらだち、何の理由もないのに他人を怒鳴りつけることがあるといわれています。主の審判は「それにまさる激しい風」として、「わたしのもとから吹きつける」とエレミヤは語ります。

13-18節には、進軍してくる敵が描写されています。

その素早い軍馬と戦車への言及は、ある一つの具体的な敵の軍隊の侵入が語られていると思われます。13節の最後の行の民の叫び声と、この最後の瞬間において悔い改めの勧告をし、民の進む方向を変えようとする預言者エレミヤの努力は、極まった緊張を描写しています。16-17節は、既にもう、外国の民の突撃の報せとエルサレム近郊の諸都市における戦闘の叫びが響き渡ったことを示しています。この出来事は、民が神に背いたがゆえにくだされる神の審判として起こることが述べられています。このように、民は自身の悪を刈り取り、神への反抗と神に見棄てられることとの間に隠された恐るべきつながりを、自分自身の心の苦痛をもって認めざるを得なくされます。神への反抗と神に見棄てられることとのつながりは、人間に対する内面的、外面的神の審きにおいて現実のものとなります。

19-22節には、預言者の嘆きが語られています。

ここで語られるエレミヤの預言者としての判断は傍観者的なものではなく、当事者として、自らもその状況に立たされる者として語っています。エレミヤのことばは、共に苦しむ共感者の心をもって語るからこそ、人の心を打つのです。民の苦悩、心臓にまで達するその痛み苦しみは、自業自得でありました。しかし、エレミヤはそうならないよう、民に警告して預言者の務めを果たしたのに、民にその言葉を聞きませんでした。この愚かな民にお前たちのようなものは知らないといって距離をおけるなら、まだ気が楽です。しかし、エレミヤは最後までこの愚かな民と共にいて、その災いを共にし、自らの災いを告知する使者とならねばならず、来るべき破局の手助けまで強いられるのです。そういう激しい緊張の中での、まさに張り裂けんばかりのエレミヤの心が、19節の次の言葉に表わされています。

わたしのはらわたよ、はらわたよ。
わたしはもだえる。
心臓の壁よ、わたしの心臓は呻く。
わたしは黙していられない。
わたしの魂は、角笛の響き、鬨の声を聞く。

エレミヤは、自身の人間的な崩壊を語るときでさえも、神の使者としてのつとめを離れず、自らの身体の苦痛をもって神の審判の重大なることを述べます。エレミヤはまさにその苦痛をもって神に代わり、共に苦しむ神の愛を証するのです。

22節は、共に苦しむ父としての神の愛の悲痛な叫び声です。そして、神を知り認める洞察力こそ本当の賢さであり善であること、神を認めないことが人間の愚昧さと悪であると断言します。人間の知恵は、自己自身にのみ依って立てられるとき、愚かさと悪行に導くものとなります。なぜなら、神との関わりを保って、神に対して責任を取るという大切な基礎が、そういう人間の知恵には欠如しているからです。人の心を裁くことのできる、唯一のまことの神のみを神として知ることのない無神論哲学と倫理も、八百万の神々の中にある者も、まことの分別力と善を持つことが出来ません。これがエレミヤが明らかにする真理です。

しかし、神はこの真理を高所に立って語られません。預言者エレミヤが民の中にあって共に苦しみつつ神の愛を証したように、御自身への根本的な無知ゆえに苦しんでいる民の苦しみを共にしつつ、神はこれらの言葉を悲痛な叫びとして語られておられるのです。あの十字架における、イエス・キリストの叫び声がこの言葉の中にこだましています。

23-31節は、エルサレムの最後、終焉を語っています。

北からの敵によるエルサレムに対する攻撃の手は、まことに徹底したもので、エルサレムの町を荒廃させます。しかし、エレミヤが見たのは都の荒廃だけではありません。23節から26節において4回「わたしは見た」という言葉が繰り返されています。その言葉は、エレミヤが見た不気味な印象を強調しています。エレミヤが見た幻は、エルサレムという一つの都の荒廃した姿ではなく、天地創造以前の恐るべき混沌です。神は天地を創造し、世界に光を与え、空には鳥が飛べるように、地には豊かな実りをもたらすように、秩序を与えられました。しかし、今や預言者が見渡す、地上、天上、山々、肥沃だった土地、繁栄していた町々は、どこもかしこも恐るべき混沌の世界と化してしまっています。

「混沌」(トーフー・ワボーフ)という言葉は、聖書の中に、創世記1章2節以外ここしか出てきません。神による創造は、混沌とした何もない無秩序な世界に秩序を与えるものです。そして、この秩序は生きとし生ける者に命をもたらします。しかし、この秩序の中で神に背き、罪を犯し続ける者のうえに下される神の審判は、秩序ではなく混沌です。世界の秩序は神の御手により保たれますが、その御手の守りがなくなるとき、世界は混沌としたものになります。光がなく暗くなり、山々は揺らぎ、大地には人も動物もいなくなり、肥沃な土地は荒野に変わり、町々は破壊される!

そうした混沌が単なる偶然としてではなく、主の審判として決定的に起こることが26節の「主の御前に 主の激しい怒りによって打ち倒された」という言葉によって明らかにされています。主の究極の怒りは、全てのものの存在を不可能にする「混沌」です。世界を創造しイスラエルを創造された主に立ち帰らず、御言葉をおろそかにする者は、主の創造の秩序の中に生きるに値せず、その存在はすでに混沌でしかない。それ故、主の審判の最も徹底した姿は「混沌」です。いかなる主の守りの御手も及ばない「混沌」こそ、最も恐るべき主の審判なのです。

預言者が見た幻が本当であることが、27節の神の言葉によって根拠づけられています。「まことに、主はこういわれる」と語り出すことによって、エレミヤが見た幻が単なる夢ではなく、罪ある地に恐るべき終焉をもたらす世界の審判者なる神の判決であることが示されます。その結果、天と地とが喪に服し嘆くのです。

しかし、神の怒りは、決して感情の爆発ではありません。神は永遠の御計画において熟慮された決定にしたがって審判されることを予め告げておられます。それゆえに、それが取り消されえない神の判決のことばとなります。預言者はこれを告知しなければならないのです。

主の審判の前には、どの様な人間の対策も手段も及びません。悔い改めない民には救いの可能性も残されていません。主は「わたしは定めたことを告げ 決して後悔せず、決してこれを変えない」といわれるからです。主がもたらす審判としての「混沌」は天も地も喪に服し嘆き悲しむしかない、まことに徹底したものです。

27節後半の「しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない」という主の留保のことばは、後代の付加ではないかといわれています。確かに、徹底した審判のことばが述べられている中で、このようなことばが述べられることは、トーンダウンの印象は禁じえません。しかし、写本も、古代語訳聖書もこの読みを支持しています。滅び尽くされて当然のユダがエルサレム滅亡と捕囚の後になお再び回復されたのは、審判を語る中で「しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない」という恵みの約束を主が与えておられたからだということができます。

29節から、再び、敵の侵略の預言に戻ります。敵の騎兵と射手の前からこの地の住民は逃げ、町々はエルサレムを除いてすべて荒らされ、みんな難を逃れるためにエルサレムにやって来くるといわれています。しかし、はじめは避難の場所となった都エルサレムも最後の時を迎えます。

エルサレムは31節において「娘シオン」と呼ばれています。しかし、預言者は辛辣な皮肉を込めて「娘シオン」に叱責のことばを向けています。エレミヤは「娘シオン」を恋人のために美しく装う情婦と見做しています。目の縁を黒く塗るのは、エジプトの女性の流行でありました。どんなに美しく装っても、もはや助けてくれる愛人(外国の勢力)はいません。略奪する軍勢が狙うのは彼女の美貌ではなく、命そのものです。主はユダとエルサレムの二心の信仰をこうして裁かれます。預言者の目に浮かんだ背信のエルサレムの身の毛もよだつ最後の姿が31節に描写されています。主の審判としてもたらされる外国の軍勢による辱めと殺戮行為のため、エルサレムは初子を産む女の発するような苦しみの声を発します。しかしそれは、いままさに母親になろうとしている若い女の苦しくても希望に満ちた叫びではありません。自分が殺戮者の手にかかっていることを知って、絶望の腕を虚しく投げ出し、気を失って死に行く哀れな女の最期のうめき声です。

そのエルサレムの最期の姿はまことに悲惨です。最期まで主に立ち帰らず、背き続ける者に下される主の審判は、これほどまでに徹底して厳しい。このことばを割引きせず、自らの信仰の歩みを省みつつ聞くことが何よりも大切です。

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