エレミヤ書講解

5.エレミヤ書2章29-37節『花嫁が晴れ着の帯を忘れようか』

20-29節において、繰り返されるバアル崇拝の罪とその結果味わうイスラエルの幻滅が述べられました。イスラエルにもたらされる逃れようもない窮状は、神に背いた結果です。民が自ら理由もなく神に不満を抱いて、自分に罪はありはしないかと考えようともせず、そのため神に立ち帰る道を見出せずにいるかぎり、神からの離反は必然的に失望に終わります。

29節における「なぜ、わたしと争い、わたしに背き続けるのか」という主の問いは、罪の問題の根本的解明の糸口を与えようとして発せられています。つまり、この問いの背後には、民の真の自己認識への促しがあります。神の選びと契約によって与えられたイスラエルの立場は、神の花嫁としての立場です。神とイスラエルの関係は相互の愛と真実によって支えられていました。神はこの絆によって、花嫁であるイスラエルに救いの恵みを豊かに与え続けられたのです。カナンの土地授与とそこから得られる豊かな農作物の実りとは、ヤハウェからもたらされる恵みにほかなりません。

それなのに、イスラエルはカナンのバアル宗教における農耕祭儀を採り入れることによってヤハウェから離反し、実質的にヤハウェの民でない異質の民になり下がっていました。彼らは異教の神々の無力を経験すると、その時だけ「立ち上がってわたしたちをお救いください」(2章27節)と困ったときの神頼み式に主に祈りました。このような勝手な民に「お前が造った神々はどこにいるのか」(2章28節)とエレミヤは皮肉を込めて、問い返しました。この辛辣な問いにおいてヤハウェだけが本当に頼りになる神であることをエレミヤは示します。イスラエルはヤハウェによって選ばれ契約の民とされ、ヤハウェの花嫁とされている、この自己理解によってヤハウェに立ち帰る以外にイスラエルに救いはありません。そして、29節の問いはもう一つの意図があります。それは、審判を通して終始救いへと道を開こうとされる神の変わらぬ救いの意思があることを示すことです。

「わたしはお前たちの子らを打ったが無駄であった」という30節の言葉は、審判を通して救いへと導こうとされた神の意図が、民によって絶えず繰り返し拒否されてきたことを表しています。民は自分たちの上に襲った不幸から教訓を引き出し、神に立ち帰るために、神が与えた「懲らしめ」を理解しようとはしなかった。

アモス4書6-11節に、その懲らしめがどのように与えられたか具体的に示されています。以下に、6-8節だけを引用しておきます。

だから、わたしもお前たちのすべての町で
歯を清く保たせ
どの居住地でもパンを欠乏させた。
しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと
主は言われる。
また、刈り入れにはまだ三月もあったのに
わたしはお前たちに雨を拒んだ。
ある町には雨を降らせ
ほかの町には雨を降らせなかった。
ある畑には雨が降ったが
雨のない畑は枯れてしまった。
二つ三つの町が水を飲むために
一つの町によろめいて行ったが
渇きはいやされなかった。
しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと
主は言われる。

民は、こうした神の審判を語り解釈するために神から遣わされた預言者たちを厄介な警告者として迫害を加え、殺害さえしました。主イエスの「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」(マタイ23:37)という嘆きは、この民の繰り返される背信と不信仰ぶりの根の深さを物語っています。

この盲目の民の眼を預言者は何とか開かせ、救いの歴史の中で働き明らかにされる「神のことば」を見させようと努めました。そして、神が何を企図されているか、民に自覚させようと努めました。神の救済史は、神の使者である預言者によって告知され、解釈され、そして契約祭儀の伝統の中で繰り返し再現されてきました。この《救済史》こそ、歴史を貫き、明瞭で意義深い、神によって備えられた道でありました。エレミヤはこの視座から、「わたしはイスラエルにとって荒れ野なのか。深い闇の地なのか。」(31節)という主の問いを民に投げかけています。答えは「否」です。それどころか神は命の源そのものであったのです。この救済史を導く「主の言葉」は、道なき荒野や、迷わずにはおれない暗闇の地などとは比べようもない、明瞭な道筋を示しています。しかし、神の救済史が具現する歴史的事象は神の摂理の中に位置づけられています。

だからそのことを理解し承認しようとしないなら、人々は明白に示されている出来事からも、何の感銘も受けることもなしに済ませてしまうことになります。人間は神の言葉によって導かれ、その道を正され、荒野でなく、主の定められた潤った地への歩みを歩むことができるようにされています。しかし、主の言葉に従わないで、自由を誤解し、己が腹を神として自由に振る舞い、神を拒否する人間の道は、混沌とした荒野の道に行き着きます。それは人間自身の歩むべき道の無方向を示し、無節操が反映されるに過ぎない歴史像に行きつくことになります。

エレミヤは、花嫁の比喩によって最初の愛の時代を再び思い起こさせます。

おとめがその身を飾るものを
花嫁が晴れ着の帯を忘れるだろうか。(32節)

この譬えには、同時に、裏切られた神の愛の怒りと悲しみが響いています。日常生活において、「おとめがその身を飾るものを忘れる」ことはありえません。また、花嫁が愛する人からの贈り物である「晴れ着の帯を忘れる」はずはありません。イスラエルは主の花嫁として美しい晴れ着もその帯も与えられていたのです。そのような夫である主に愛されている存在でありました。そうであるなら、その生存の最高の帯(命の絆)であるヤハウェを絶えず心に留めることは、それ以上に当然で、必要なことであったのではなかったのかと問い、夫である神を忘れる民の不自然さを非難しています。まさに繊細な愛と深みの中で語りかけるこの譬えによって、不可解な民の変質ぶり、その罪の本質が明らかにされています。

33節では、辛辣な皮肉を込めて、情事の比喩によって、宗教的な民の無節操が取り上げられています。34節の「お前の着物の裾には罪のない貧しい者を殺した血が染みついている。それは、盗みに押し入ったときに付いたものではない。」という言葉は、マナセの治世に行われた預言者の殺害(列王下21:16、24:4)、ヒンノムの谷での小児の人身供養が言及されていると、考えられてきました。文脈からどちらも可能です。そして祭儀における汚れは、社会的不正義や残忍さと隣り合わせに存在していました。そこには虐げなどによって死んでいった貧しい人々の流された血の叫びも語られています。恐るべき異教化、偶像化した「犠牲」祭儀を贖罪の手段と見て、「主の怒り」を去らせることができたと考え、「わたしは罪を犯していない」言って憚らない民の無節操さ傲慢さがそこにありました。このような皮相な捉え方によって、ヤハウェ礼拝を異様な姿に改変して、自らの潔白を表明しようとする自己安心の道を神は審かれます。神はその審判によって、宗教的倫理的基本理念の混乱、荒廃に対抗し秩序を貫かれるのです。

国際的政治情勢が変化するたびに、民に自由がもたらされるだろうという期待が繰り返し燃え上がりました。それに対して、エレミヤは次のような告発の言葉を述べていました。

それなのに、今あなたはエジプトへ行って
ナイルの水を飲もうとする。
それは、一体どうしてか。
また、アッシリアへ行って
ユーフラテスの水を飲もうとする。
それは、一体どうしてか。(2章18節)

民の指導者たちの目は、当時再び強力になりつつあったエジプトに向いていました(36節)。しかし、神の審判が下されるとき、そのような期待はもはや何の役にも立ちません。こうした無節操な同盟策は、ただひとりの主であられる方を見ようとしない宗教的無節操に由来するからです。かつてユダのアハズ王は、前734年のシリア・エフライム戦争の際に、イザヤの忠告を受け入れず、アッシリアの大王を頼って、アラムおよび北イスラエルの圧力からの解放を期待し、解放者となるべきアッシリアの大王を受け入れました。しかし、ユダは解放者を受け入れたはずなのに、実は抑圧者を呼び込む結果となりました。それと同じように、エジプトへの期待も結局は失望に終わり、人々は悲しみのしるしとして、両手を頭の上に置いて出てくる(サム下13:19)ことになるであろう、といわれます。

人間の権力を信頼することによって、神に示すべき崇敬を拒んでいる民の不信仰に対し、真に崇敬すべきものは誰かを、神は審判の中で明らかにされます。主はあらゆる小賢しい人間的政治的打算を打ち砕いて、ご自分を諸国民の主、歴史の主として示されます。絶対的な安全保障としていかなる国も王もなりえないことを示すため、神は諸国民を退けられます。しかし、そうしながらも、神はご自身の審判の道具として諸国の王を用いられます。神は、人間的な安全保障としてはいかなる国も王もなりえないことを示しつつ、ご自身が彼らをも支配し民を悔い改めに導き、その救いへと与からせようとされるお方であることを示されます。これが、預言者エレミヤがその民の歴史から引き出す結論です。

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