詩編講解

57.詩編139編7-12節『神の遍在』

この詩編は、「主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる」(1節)という言葉で始められ、神が人間存在のすべてを知り、その行動も、思うことも、語ろうとする言葉さえも知っておられるという「神の全知」の告白と賛美を持って始められています。

自分は神の本質について見極めることはできないけれども、神は自分の存在のすべてを知っておられるという神の現実を、「その驚くべき知識はわたしを超え あまりにも高くて到達できない」(6節)と詩人は告白しています。

この神が「前からも後ろからもわたしを囲み 御手をわたしの上に置いていてくださる」(5節)現実を、信仰の目で見る時、一方で苦難の中にあっても、自分の現実を見ておられる神の目に守られていることを知ることができます。けれども、他方、どのような小さな罪も見逃さず見ておられる神に、詩人は恐れを抱いています。この神の偉大な全知の前に逃れることができないという畏怖の心は、神の前における真の敬虔な態度のあり方を詩人に学ばせることとなりました。

この詩人は、自分を取り囲む神の現在を体験し、

どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。(7節)

とその恐るべき威圧的な印象に圧倒されて、神から逃れようと試みました。

詩人は、神の現実を逃れる可能性について思い巡らしますが、直にその可能性がないことに気づかされます。それは、「どこに行けば あなたの霊から離れることができよう」という言葉の中に明らかにされています。

詩人は神が霊的なお方であることを知っています。神が霊であるなら、神は場所に縛られることはないからです。神は霊において、どの場所にも、どの時間にも、どの空間にもおられることができる遍在の神であることを知ったのです。詩人は如何に「どこに逃れれば、御顔を避けることができよう」(7節)と問い、この遍在の神のもとから逃れようと試みても、それが不可能であることを知らされたのです。

神のもとから逃れようとする詩人の試みはこうして失敗します。しかし、そのことは彼にとって幸いなことでした。彼はこのように遍在される神の、もっと偉大な救い、恵みの現実を知るように導かれたからです。

天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。(8-10節)

神は人の目に見えなくても、霊において、どこまでも高い天においても、地の底深い黄泉の中にあってもいますので、「御手をもってわたしを導き右の御手をもってわたしをとらえてくださる」(10節)ことができると、詩人は信じます。

「曙の翼」は、ヨブ記(3:9,41:10)においては、「曙のまばたき」と訳されています。この語は、はばたきや、まぶたや、まつげの動きを示す擬音・擬態語です。「曙の翼」は、夜明けに差し出でる光線が世界の果てまで届く様を描写する言葉ですが、イスラエルの東の高地から昇る太陽の光は西の海の彼方まで届き、全世界を照らし出すほどの強さがあることを、「曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも」という言葉で、詩人は表現しています。神の遍在を知ることは、人間を孤独感から救います。共にいる神を知ることは、孤独に生き挫けそうな弱い人間を救い、その心に平安を与えます。

詩人は、太陽の光がどれほど強く遠く届こうとも、神のみ手はそこにもあるし、神の導きは、それをもしのぐ強さで確かにあると告白しているのであります。神のみ手の確かさは、太陽の光が届くところをもしのぐ広さにまであるという詩人の信仰の核心がこれらの言葉で述べられています。

太陽の光を遮るマントや幕によって覆われているところでは、闇が覆っています。そこでは何も見ることができません。そのような闇の中では、人は神の目も届かないと考えるかもしれません。しかし、神にとって見通すことのできない暗闇など存在しないことを、「闇の中でも主はわたしを見ておられる 夜も光がわたしを照らしだす」(11節)という言葉で表しています。そして、闇の中で苦しんでいる者の存在を愛おしく思い、その心を優しく見ておられる神の光が夜も与えられ照らし出されて心に平安が与えられる確かな喜びについて詩人は語っています。

すべてを貫く神の現実の前に、あらゆる人間的可能性は失せ去ります。しかし、人には不可能だということは、その反対として、神の現実には限界がないことが意味されています。それ故、神に望みを置く人には、真の慰めと希望があります。

闇もあなたに比べれば闇とは言えない。

夜も昼も共に光を放ち
闇も、光も、変わるところがない。(12節)

闇に打ち勝つ神の遍在を知る信仰の核心が、この言葉において歌われています。闇が存在する現実は、昨日も今日も変わりません。しかし、その闇の中で輝く神の光が存在するという現実も変わりなくあります。そのような遍在の神の不変の守りはそのようにいつも私たちに与えられているのです。

旧約聖書講解