詩編講解

26.詩編55篇『あなたの重荷を主に委ねよ』

この詩編の作者は、柔和な性質の人で、人と争うことを好まない人物であるのに、強い敵の攻撃に悩まされています。しかしその敵とは、名も知らない外国の侵略者ではなく、同じ仲間の人間であり、親しく友として交わり、一緒に神を礼拝していた者です。詩人は、その不真実な嘲りによって悩まされ、翻弄されていました。

彼は、それが敵の嘲(あざけ)りの声であれば、それに耐えることもできました。しかし、それが親しく交わりを持っていた友からのものであっただけに、その苦悩は深く、その嘆きは耐えがたく思えたのです。

彼は苦悩の淵から神を呼び求めています。その心はもだえ、憤り、平安が与えられません。その苦悩から離れたい願望を、感じやすい心で7-9節において、次のように表明しています。

「鳩の翼がわたしにあれば
飛び去って、宿を求め
はるかに遠く逃れて
荒れ野で夜を過ごすことができるのに。
烈しい風と嵐を避け
急いで身を隠すことができるのに。」

詩人は、寂しい荒野に逃れて、町の中で、自分に襲い掛かる猛烈な暴言、不正や災いの嵐から免れることを望むのも不思議ではないほど、町中が背徳の場所になっていました。詩人は市場に横行する暴虐と不正に嫌悪の念を抱き、この背徳の場所に、バベルの塔の言語混乱のように神の審きがくることを望んでいます(10節)。

しかし彼の心をえぐり、悩ませ、耐えがたくしていたのは、敵の態度ではなかったのです。いまや敵の側についてしまったと認めざるを得ない、友の裏切りがもたらす失望の故です。彼は友と親しくしていた日々を思い起こせば、思い起こすほど、その心は暗くなるばかりです。

彼の魂は深く傷つけられたので、ついにやり場のない怒りに駆られて、

死に襲われるがよい
生きながら陰府に下ればよい
住まいに、胸に、悪を蓄えている者は。(16節)

とその敵がコラの暴徒のように(民数記16勝30節以下)生きながら、陰府に呑み込まればよいのにと願うまでにいたりました。

しかし詩人は、そこから再び嘆きに戻ります(17-19節)。

わたしは神を呼ぶ。
主はわたしを救ってくださる。
夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。
神はわたしの声を聞いてくださる。
闘いを挑む多くの者のただ中から
わたしの魂を贖い出し、平和に守ってくださる。

彼の眼差しは、もはや彼を打ちひしぐ苦痛だけを見つめているのではありません。その目は神に向けられています。神は裁き主として、この歴史に昔から臨まれるお方であることを覚え、彼の目と心はこの神に向かいます。神は信ずる人々の集まりに耳を傾け(詩篇53:3)、背信の民が神から遠ざかっているのを、裁かれるお方であることを信じるのです。

それゆえ、彼は神を呼び求め、その救いを求めます。「夕べも朝も、そして昼も、わたしは悩んで呻く。神はわたしの声を聞いてくださる。」(18節)こう詩人が祈るのは、神がその祈りを聞いてくださることを信じるからです。この詩人の祈りには、苦難の中で私たちがどう祈ればよいかを教えてくれます。苦しいとき人は言葉にならない呻きを発しますが、その呻きが神に向けられた信頼の中で発せられたものである限り、人は神がその声を聞いてくださると信じることができます。その信仰によって、その苦しみから解放される心が取り戻されます。それを、パウロは、「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」(ローマ8:26,27)と、聖霊の導きへの信頼の祈りとして述べています。

詩人は呻きを聞かれる神を信頼し、神の前に、自分を圧倒し、真実を破った友への怒りと失望、友の偽善的な偽りを嘆き悲しみを赤裸々に表わすのです。それは彼から人間への最後の信頼を奪うものであっただけに、彼には特別辛く悲しい出来事であったからです。誠実な良心を持っている柔和な人は、信頼の中で生きたいと願うものです。

しかしこの詩人の祈り、嘆きに、神の答えは与えられていません。この祈りは答えなき祈りです。このように神は、私たちの祈りに答えを与えられないことがあります。しかし、神信頼に生きる人は、たとえ答えが聞かれなくても、「神はわたしの声を聞いてくださる。闘いを挑む多くの者のただ中からわたしの魂を贖い出し、平和に守ってくださる。」(17,18節)という信仰をもって祈るのです。そしてその信仰においてにおいて、その答えを確信し、満足し平安を得ることができるのです。

それゆえ、彼はすべて神を信じる者に向かって叫びます。

あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え
とこしえに動揺しないように計らってくださる。(23節)

この詩人は、この戦いは、結局、信仰の問題であることを見出します。そして、神への信頼のないところに苦悩から抜け出す道はないことを知るに至ります。

この詩は、公然たる問いかけにおいて終わっています。この詩篇は、人間がだめなことに抗する信仰をめぐる戦いが、満足すべき結果に至ったと告げているわけではありません。

しかし詩人は、神に信頼して、重荷を神に委ね、復讐を神に委ね、その委ねの中で、この詩篇を結んでいます。彼はそうすることによって、信仰とは常にそういうものであることをわたしたちに指し示してくれています。

旧約聖書講解