エレミヤ書講解

62.エレミヤ書46章1~28節『エジプトに関する預言』

46~51章にかけて諸国民に対する預言が収められています。

エレミヤは召命のとき、「諸国民の預言者として立てた」(1:5)、「あなたに諸国民、諸王国に対する権威を委ねる」(1:10)という主の言葉を受けています。従って、エレミヤ書の最後に、このような形で諸国民に対する預言集が収められていることは自然な流れにあるということができます。

ここに収められている諸国民に対する預言を、イスラエルの勝利を約束する意味での敵への呪いとして読むならば、それは、エレミヤの思想とは全く反する解釈となります。なぜなら、エレミヤは、イスラエルの勝利を安易に約束する論敵の楽観論を厳しく批判してきたからです。従って、諸国民に対する主の言葉は、ユダへの言葉と同じく、世界と歴史の主である神ご自身の支配に属する必然の事柄として語られています。主なる神がその民ユダを裁くためにバビロンを僕として用い、その歴史を動かしていくときに、ユダの周辺諸国民もその中に否応なしに巻き込まれざるを得ません。その場合、当然の如く、それら諸国民に対して、主なる神がいかに責任をもって係わっておられるのかという疑問が生じます。諸国民に対する預言がここにおかれているのは、それに答えるためです。

1節は、46~51章の諸国民に対する預言の表題です。

2節は、3節以下のエジプトに対する託宣の表題です。

カルケミシュはユーフラテス川の上流にあり、ハランから西約90キロのところにあります。前612年、アッシリアの首都ニネベを陥落させて、バビロンは北オリエントの派遣を握りました。エジプトはその派遣を阻止しようと、605年(ヨヤキムの第4年)にカルケミシュに大軍を派遣して出陣してきました。これがカルケミシュの戦いです。この決戦でネブカドレツァルに敗れたエジプトのファラオ・ネコは、シリヤ・パレスチナから撤退を余儀なくされました。この時ユダの王ヨヤキムは、エジプトの介入によって608年にヨアハズに代わって即位した傀儡王でありました。それ故、エジプトの敗北は同時にヨヤキム王にとって窮地を意味していましたので、彼は親バビロン策に転換を計りました。しかし、この時、国論は親バビロン派と親エジプト派に真っ二つに分かれていました。バビロンへの服従を説くエレミヤも、そこには政治的駆け引きや意図を一切持たなくても、好むと好まざるとに係わりなく、この抗争に巻き込まれていくことになります。数年後についにヨヤキムはバビロンへの反逆を企て、これによってバビロンの徹底的な報復を自国に招くことになります。それ故、2節の「ヨヤキムの第四年」という時は、ユダの歴史とエレミヤの預言活動にとって極めて重要な意味をもつ時であることを覚えねばなりません。

エジプトに関する預言は3-12節と13-24節の二つに分かれます。内容的にはどちらもエジプトの無力に対する嘲笑歌の形を取っています。

3、4節は、エジプト軍にいざ出陣を命じる指揮官の号令ですが、5、6節には、混乱した兵士たちがわれ先に逃げ出すが、逃げきれずに倒されると語られています。立派な軍馬や武具で身を固めて強そうで頼り甲斐があると思えたエジプトが北からの敵の前になす術(すべ)もなく決定的な敗北を期す姿が描かれています。

エレミヤは預言者としてその活動の最初の頃に「北からの敵」(1:14)の脅威について語りました。そして、「北」がさしあたり何を指すか必ずしも明瞭でありませんでした。また実際北からの敵は襲来(しゅうらい)せず、そのため、エレミヤの預言は真実ではないという風評が広まり、エレミヤは窮地に立たされました。しかし、それから20年あまりを経た今、北から起こったバビロンこそがオリエント世界を席巻(せっけん)する帝国であり、ユダもその力に飲み込まれていくことが誰の目にも明らかになっていました。カルケミシュでのエジプト軍の敗北がそれを決定的にしました。

7-9節は、エジプトがファラオ・ネコの時代に勢力を回復し、自らの力を誇って諸国を征圧すると豪語する様が描いています。

しかし、10節において、ファラオ軍の惨敗が、主の報復として起こることが語られています。

その日は、主なる万軍の神の日
主が敵に報いられる報復の日。
剣は肉を食らって飽き、血を滴らす。
それは、主なる万軍の神のいけにえとなる
北の地、ユーフラテスの岸辺で。

エジプトがカルケミシュの戦いで敗北するのは、単なる軍事上の結果ではなく、歴史の主である神が、おごり高ぶって近隣諸国に対して暴虐を欲しいままにしたファラオに復讐する日であると、エレミヤは告げています。この報復を、609年のメギドの戦いで戦死したヨシヤ王に係わるものであると理解することは間違いです。エレミヤは預言者として決して安易な平安を語りませんでした。それを語る預言者を偽預言者として糾弾しました。今、自らがそれに反するような安易な報復を語るなら、エレミヤの預言もまた安易な幸福論でしかなかったということになります。ユダの滅亡とその悲惨の原因は、自らの背信の罪にありました。そのユダを苦しめたエジプトに報復するのは、地上の権力に委ねられている限度を超えて高ぶり、あたかもエジプトのファラオが世界の主権者であるかのように振る舞ったことに対し、真の主権者である神が、誰が歴史の主であり世界の真の支配者であるかを明らかにさせるために立ち上がり報復されるので、エジプト軍は完膚(かんぷ)なき敗北をきすと告げられています。11、12節は、癒しがたい傷を負い、名誉が完全に地に落ちたエジプトの姿が描かれ、諸国民がそのニュースを耳にしていると告げています。

13~24節は、エジプトに向かって語られるもう一つの預言です。

ネブカドレツァルのエジプトへの出陣の年代については、様々な議論があり確定的なことは言えません。605年のカルケミシュの戦いでは、ネブカドレツァルはまだ王子の身分でした。彼は病気の父ナボポラッサルに代わって軍を率いて戦い、圧倒的な勝利を収めました。しかし、父ナボポラッサルの死去のため直ちに本国に帰還しなければなりませんでした。そのため、エジプト軍への追撃は延期せざるを得ませんでした。翌年、即位したネブカドレツァルは、再び遠征しアシュケロンをはじめペリシテの地域を侵略して、エジプト国境に迫る勢いを見せました。601年には、エジプト国境近くでバビロンとエジプトの2回目の大戦が起こりますが、このときはいずれの勝利ともいえない形で、双方に相当の打撃を被りました。実際に、バビロン軍がエジプト国内に侵入したのは、前568年頃のことであったといわれますが、その際も、アマシス王の軍に撃退され、ネブカドレツァルの野望はくじかれました。

エレミヤはネブカドレツァルが実際に国境を越えてエジプトを侵入するところもアマシスに撃退されたところも見たわけでありません。しかし、ネブカドレツァルがパレスチナを進軍する凄まじい姿を目撃し、エジプトの人々に向かって敵の襲来を語ったことは十分あり得ます。

25-26節は、なぜ神がエジプトを罰するのか、その理由を告げています。25節以下のメッセージは、バビロンに捕囚とされた民に向けて語られています。それは、エレミヤの警告を無視してエジプトへ逃れたユダの残留民がエジプトで行ったとされる偶像崇拝の空しい結末を明らかにする意味も含まれています。この部分を記し編集したのは申命記的編集者であると考えられます。主がエジプトを裁かれるのは、ユダの残留民がファラオを頼ってエジプトに逃れ、そこでアモンやその他(アピス等)の神々を礼拝したからであると告げられています。アモンはもともとテーベの主神でした。第18王朝のとき、エジプト全土の国家神となり、太陽神レー(ラー)と習合してアモン・ラーとして崇拝されたといわれます。テーベは2000年余りにわたって神アモンを筆頭とする神々の町として知られていました。今日では、テーベは古代遺跡の町、観光地として有名ですが、アモン・ラーを主神とする宗教は地上から全く姿を消してしまったと言われます。しかし、神の化身とされたファラオもファラオを頼りとする者たちも、真の神によって罰せられる、と告げられています。その意味することは、バビロンにおいてもそのような偶像崇拝に向かうな、その結末は滅びしかないことを明言することにあります。

そして、エジプトに対する神の裁きを実行するのは、ネブカドレツァルであると明言されています。しかし、ネブカドレツァルが上エジプトのテーベまで遠征して征服したという歴史的証拠はありません。問題は、テーベをめぐる攻防ではなく、アモンを国家神としていただくエジプトの命運にあります。ネブカドレツァルがエジプト征服したか否かとにかかわりなく、ファラオの軍に痛撃を加えてその威信を打ち砕いたことは確かです。この点に関するかぎり、エレミヤが預言したようにエジプトに対する主の審きは実現したといえます。

26節後半は、エジプトの復興を預言しています。この復興の預言は、神の救済意思がイスラエルだけでなく、全世界の諸国民にも向けられていることを示しています。そして、神の厳しい裁きは、諸国民を滅亡させることにあるのではなく、裁きを通して救済をもたらすためのものであることを、これらの預言は語っています。

27-28節は、ユダに向けられて語られています。

ネブカドレツァルがエジプトを打倒する未曾有の戦いをしていたとき、ネブカドレツァルの強大な支配の下に組み込まれていたユダの運命はどうなっていたのかについて、これらの預言は語っています。神はイスラエルに対して、「わたしの僕よ」と親しく呼び掛け、「恐れるな」と語りかけます。そして、「わたしがお前と共にいる」と語ります。これは神が危機に直面するイスラエルに力強い約束を語るときの決まり文句です。今、バビロンに捕囚として生き残っているユダの人々にとって、この苦しみは神からの懲らしめであるから、厳粛に受けとめねばならないと語ります。しかし、神はユダの人々の滅亡を望んでいるのではない。必ず捕囚の地から解放する日が来る。だから、悔い改めよとの呼びかけがなされています。

諸国民に対する預言は、ユダに下される神の審きが世界史の中でなされるものであるかぎり、ユダにだけに及ぶものでなく、諸国に及ぶことを明らかにしつつ、その救いもまたユダに限らず諸国にまで及ぶことを明らかにしています。それは、エレミヤの預言の成就として起こった出来事として結び付けて理解されています。バビロン捕囚の究極の原因は、神の言葉への背信の罪であり、バビロンも神の僕として背信の民を裁くための道具として用いられたに過ぎないならば、その神の審きは、神の救いに与からせるための悔い改めへの招きを引き起こす御業であったという解釈が成り立ちます。申命記史家はそのように歴史を解釈し、エレミヤの預言(御言葉)と現在の悲惨の意味を理解する視座を捕囚民に提供しています。

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