エレミヤ書講解

60.エレミヤ書43章8節-44章30節『エレミヤの最後』

ここにはエレミヤの最後の言葉が記されています。カレアの子ヨハナンに指導されたユダの残留民は、エレミヤの警告を無視してエジプトへ逃亡し、タフパンヘスにたどり着きました。そこには、エレミヤと書記のバルクもいました。

エレミヤが彼らに与えた警告の言葉は以下の通りです。

「まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちがエジプトへ行けば、わたしの怒りと憤りがエルサレムの住民にふりかかったように、あなたたちにふりかかる。あなたたちは、呪い、恐怖、ののしり、恥辱の的となり、二度とこの場所を見ることはできない。ユダの残った人々よ、主はあなたたちに対して、『エジプトへ行ってはならない』と語られた。今日、わたしがこの警告を伝えたことを、しっかり心に留めなさい。あなたたちは、致命的な誤りを犯そうとしている。『我々のために我々の神である主に祈ってください。我々の神である主が語られることを知らせてくださるなら、すべてそのとおりにします』と言って、わたしをあなたたちの神である主のもとに遣わしたのは、あなたたち自身である。そこで、わたしが今日それを告げたのに、自分の神である主の声を聞こうとせず、主がわたしを遣わして語られたことを全く聞こうとしない。だから今、行って寄留しようとしているその場所で、あなたたちは剣、飢饉、疫病によって死ぬことを、しっかりと知らねばならない。」(エレミヤ書42章18-22節)

この警告の言葉を無視して、ユダの残りの民たちはエレミヤを連れてエジプトに逃亡しましたが、タフパンヘスで、エレミヤに主の言葉が臨みました。

「大きな石を手に取り、ユダの人々の見ている前で、ファラオの宮殿の入り口の敷石の下にモルタルで埋め込み、彼らに言いなさい。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは使者を遣わして、わたしの僕であるバビロンの王ネブカドレツァルを招き寄せ、彼の王座を、今埋めたこの大石の上に置く。彼は天蓋をその上に張る。彼は来て、エジプトの地を撃ち、疫病に定められた者を疫病に、捕囚に定められた者を捕囚に、剣に定められた者を剣に渡す。彼はエジプトの神殿に火を放ち、神殿を焼き払い、また神々を奪い去る。また羊飼いが上着のしらみを払い落とすように、エジプトの国土を打ち払って、安らかに引き揚げて行く。また、エジプトの太陽の神殿のオベリスクを破壊し、エジプトの神々の神殿を火で焼き払う。」(エレミヤ書43章9-13節)

「大きな石」は、台座を意味します。エレミヤの預言によれば、ネブカドネツァルが自ら行ったエジプト征服のしるしとして、その上に彼の王座を建てるということが言われています。エジプトの首都はタフパンヘスではありませんので、「ファラオの宮殿」といわれる建物は、多分この国境の町にあった政府の建物ではないかと考えられます。ファラオがここを訪れた時に、その建物を「ファラオの宮殿」として使用したのかもしれません。そこにバビロンの王ネブカドネツァルが「天蓋をその上に張る」とは、まさにそこをネブカドネツァルが自分の領土として支配することが二重に強調されています。ネブカドネツァルのエジプトへの侵略は、実際にはそれほど長期に及ぶものではなく、「また羊飼いが上着のしらみを払い落とすように、エジプトの国土を打ち払って、安らかに引き揚げて行く」(43章12節)程度の短期の支配にしか過ぎず、しかも、ネブカドネツァルのエジプト侵入は、エレミヤの預言のように、ホフラの時代(44章30節)ではなく、アマシス(紀元前570-526年)の時代で、ネブカドネツァルの第37年(紀元前568年)のことです。エジプトはその後も独立を維持し続けたことは明らかですので、ここで記されているようにエジプトがひどく破壊されたかどうか疑わしい、とする学者の意見もあります。

エレミヤのこの預言は、文字通りには実現しなかったかもしれませんが、エレミヤの預言には、エジプトに逃れても、逃れたユダの残りの民に待ち受けている厳しい現実には何ら希望がないことが明らかにされています。

44章は長い散文の説教の形を取り、申命記的な言葉と表現に富んでいます。この説教の中心にあるのは、ユダとエルサレムの民に対する審きの原因がその偶像崇拝と背信の罪に対するもので、その破局と罰にもかかわらず、エジプトに逃れた民は相変わらず偶像崇拝が続けただけでなく、それを弁護されていることに対する糾弾です。エレミヤは、エジプトに逃れてきた人々が相変わらず天の女王に犠牲を捧げ、ぶどう酒を捧げたことを糾弾しています。このようにエレミヤが神の言葉をもって、彼らに対抗しても、彼らは神の言葉を聞かなかず、まったく以前と変っていないその罪の現実を明らかにするその言葉は、申命記的編集者の言葉遣いの特色が見られます。そこにはエレミヤの言葉に聞き従わない罪の本質を偶像崇拝に見ようとするステレオタイプ的な彼らの神学的な見方が反映されています。しかしそれでもなお、ここにもエレミヤの真実な言葉が残されている事実を見逃さないことが大切です。

この預言が語られた時代よりも少し後の時代になりますが、紀元前5世紀にナイル川の上流のアスワンにあるエレファンティネという島にユダヤ人の傭兵隊が住み、この軍事的植民地にはヤハウエの神殿が建てられ、そしてアテナという女神も共に祭られていたということが、1890年に発見された「エレファンティネ・パピルス」によって知られています。このことは、エレミヤがエジプトにいるユダヤ人に対して天の女王に香をたき、ぶどう酒を注いでいることを非難していることと関連しているように思われます(木田献一「エレミヤ書を読む」)。

エレミヤはその召命の時、神が「アーモンドの枝」(=「見張っている」)をエレミヤに見せながら語った言葉がここに再び語られています。

「見よ、わたしは彼らに災いをくだそうとして見張っている。」(44章27節)

エレミヤはこのように、神の言葉に聞き従わない民の滅亡が避け得ないことを告げています。しかし、この審判の言葉には一つの制限が加えられています。「エジプトにいるユダの人々は、ひとり残らず剣と飢饉に襲われて滅びる」が、「剣を逃れてエジプトの地からユダの国へ帰還する者の数はまことにわずかである」が残るといわれています。それは、「わたしの言葉か、彼らの言葉か、どちらが本当であったかを悟る」(44章28節)ためだと言われています。

エレミヤのその警告にもかかわらず、民は最後まで聞こうとしなかった。そこに彼らの審きと悲惨の原因があります。しかし、エレミヤの預言が成就したそのとき、「お前たちに災いを告げたわたしの言葉が実現したことを知るようになる」(44章29節)と、編集者は記すことによって、エレミヤの預言の真実を証しし、それゆえに、この預言者の言葉を、「残された民」に希望の言葉として聞くように求めています。エレミヤの言葉が成就する中で、現在、苦しみを味わいつつ、それを悔い改めへの招きとして聞く者は、これを希望の言葉として新しく聞くことができます。その言葉は、今、新しく語られている救いへの招きの言葉として聞くことができるからです。

タフパンヘスにおける言葉がエレミヤの最後の言葉となりました。エレミヤの消息はここで途絶えています。エレミヤは恐らくこの外国の地で死んだらしい。それは紀元前585年ごろと考えられます。モーセの死に場所が分らないように、エレミヤの最期の場所もわかりません。エレミヤ以外の預言者、イザヤもエゼキエルも、その最期については何も記されていません。エジプトに連行されたエレミヤは、少なくとも60歳を越えていたと考えられます。エレミヤは最後まで粘り強く、ユダの人びとの運命にかかわり、主の「見張り人」として、彼らが神の民として再生する道を模索し続けたということができるでしょう。

エレミヤの死の場所は不明でも彼の言葉が残されている。そこに大きな希望が残されています。エレミヤも、エレミヤの言葉を聞き従わなかった者も、エジプトから帰ることができなかったかもしれないが、神はなおわずかではあるが民を残され、エレミヤの言葉を残されたことにより、神の言葉が永遠に存続する希望であることが示されています。

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