エレミヤ書講解

58.エレミヤ書40章7節-41章18節『総督ゲダルヤの働きと暗殺』

40章7節から44章30節には、紀元前587年のエルサレム陥落のすぐ後に続く時代のことが記されています。40章7節-41章18節には、バビロンがユダとエルサレムを征服した後、ゲダルヤを総督に任命し、その下になされたゲダルヤの総督としての働きと王家の一員であったイシュマエルによるゲダルヤ暗殺のことなどが記されています。

バビロンは、アッシリアのように占領後、支配階級を捕囚とした後に新しい支配層のグループを他から導入するということをしない、緩やかな支配を行いました。バビロン王ネブカドネツァルは、総督に親バビロン派であったゲダルヤを任命し、「バビロンに移送されなかったその土地の貧しい人々に属する男、女、子供たち」をゆだねました。エルサレム陥落後、バビロンによる掃討作戦を恐れて身を潜ませていたと思われる「野にいたすべての軍団の長」たちが、そのことを聞きつけてミツパに設けられている総督府に集結し、共同体の再建の業に協力しました。ゲダルヤは、ヨシヤ王の書記官としてその宗教改革を推進したシャファンの孫であり、ヨヤキムの治世の初めに神殿で説教し祭司や預言者に捕らえられて命の危険にさらされていたエレミヤを助けたアヒカムの子でありました。

ヨシヤ王の時代以来、宮廷には親バビロン派の高官がいましたが、ゲダルヤは何代にもわたって宮廷に仕えた家柄の出身で、その家族は一貫して親バビロンの姿勢を示していましたので、バビロン王にとって、ゲダルヤは最も信頼できるユダに残る政治的な指導者でありした。バビロンに投降を勧めたエレミヤもゲダルヤの下に身を寄せ、ゲダルヤを助ける宗教的指導者としての役割を担ったと思われますが、エレミヤが総督ゲダルヤの下でどのような運命をたどったか、ここには何も報告されていないので、知ることができません。

ゲダルヤが示した基本姿勢が9,10節において次のように彼の言葉として記されています。

「カルデア人に仕えることを恐れてはならない。この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる。このわたしがミツパにいて、やがて到着するカルデア人と応対しよう。あなたたちはぶどう酒、夏の果物、油などを集めて貯蔵し、自分たちの確保している町々にとどまりなさい。」

このようにゲダルヤは親バビロン政策を明示し、自ら代表として、バビロンとの折衝に当たることさえ誓い、人々に安全を保証しています。ゲダルヤの下に、モアブ、アンモン、エドムなどの外国に逃れていたユダヤ人が続々と戻ってきて、ぶどう酒と夏の果物を享受できるほど豊かさを味わったことが12節に報告されています。それは、31章に明らかにされている新しい契約の下での救いの約束(31章5,8-9,12節)を髣髴(ほうふつ)させる光景です。バビロンによって滅ぼされたユダ王国とエルサレムにも、こうしてゲダルヤの下で復興への希望の光が差し染めたかのように見える一瞬が訪れました。

ゲダルヤは、ゼデキヤがネブカドネツァルに反逆することに反対していたのは、単にバビロンへの忠誠が第一と考えたからではなく、反逆によってはユダの上に災難をもたらすだけだというエレミヤの言葉を信じ、それを支持するものとしての行動でありました。それゆえ、この希望の光は、エレミヤを通して示される主の審判の言葉を真摯に受け止め、その言葉に委ねるものに与えられる希望の瞬間として記されています。

しかし、その希望が「一瞬」でしかなかったのは、その信仰を示すゲダリヤ暗殺によって始められた一連の行為の故です。そのことが40章13節以下に明らかにされています。

ヨハナンと軍の長たちは、「王族の一人」であるイシュマエルが暗殺計画を立てているという極秘情報をつかみ、それをゲダルヤに伝えましたが、ゲダルヤはそれを信じませんでした。何代にもわたって宮廷に仕えた家柄の出身で、自身も高官として働いていたゲダルヤは、イシュマエルとは親しい間柄であったので、裏切られるとは考えられなかったのかもしれません。しかし、イシュマエルの背後には、アンモンの王バアリスがゲダルヤ暗殺の首謀者としていました(40章14節)。かつて、パレスチナの諸国の王がエルサレムに集結して反バビロンの密議をこらした時に、アンモン人の王も加わっていました(27章3節)。そのアンモンの王バアリスが、引き続きバビロンへの抵抗としてゲダルヤ暗殺を後押ししたのかどうかは定かではありませんが、その可能性も否定できません。イシュマエルがバアリスの唆しに乗ったのは、「王族の一人」として権力を掌握し、王座を要求するためであったと考えられなくもありませんが、彼が軍事行動をもってクーデターを試みたとは、その行動の組織力の弱さから考えにくいことです。イシュマエルのゲダルヤ暗殺のより高い可能性として、彼のバビロンに対する狂信的な憎悪がある、という注解者の意見もあります。

イシュマエルがゲダルヤを暗殺した時が、「七月」(40章1節)とされていますが、それが何の年であったか定かではありません。これがエルサレム陥落の年(紀元前587年)であれば、チスリの月(9-10月頃)で、エルサレム陥落後、約2ヵ月後のことになります。しかし、ゲダルヤは数年間は少なくとも政権の座にあったのではないかという注解者もいます。第三回のバビロン捕囚が前582年(52章30節参照)に起こっていることから、これがゲダルヤ暗殺への報復としてなされたのではないかと推測する研究者の意見もあります。いずれにせよ、ゲダルヤによってもたらされた平和な希望の春は一瞬に終わったことだけは確かです。

イシュマエルはゲダルヤの暗殺の翌日に、シケム、シロ、サマリアから来た80人の巡礼団の虐殺も行っています(41章4節以下)。ヨシヤ王の改革によって地方の聖所が破壊され、エルサレムのみが公認の礼拝の場となり、北からの巡礼がなされるようになりましたが、エルサレムの神殿が破壊された後も、破壊された神殿に変らずに巡礼者がやって来て礼拝を捧げていたのでしょう。「ひげをそり、衣服を裂き、身を傷つけた姿」(41章5節)は、服喪を表現しています。イシュマエルは、自分も、彼らと同様に服喪のしるしとして泣いて見せ、しかも、前日殺害したゲダルヤの名を使って彼らを迎え入れ、安心させた上でそのうちの70人を殺害し、アサ王が三百年前に北イスラエルのバシャンの侵攻に備えて掘った穴に投げ込んだといわれますが、この一連の残虐行為には何の正当な理由もありません。イシュマエルは、命乞いをし、食料の提供を申し出た十人を生かしておきましたが、ミツパに残っている民をすべて捕虜にして、アンモンの王の下に逃れています。その捕虜とされた者の中に、「王の娘たち」も含められていたと10節に記されていますが、これはエレミヤの預言(38章12節)とは矛盾します。また王子たちは既に処刑されています(39章6節)。「王の娘たち」が残っていた理由と、連れ去られた理由は分りませんが、この行為は、預言者エレミヤの言葉に対する背反の最後の極みとしての出来事として報告されているのかもしれません。

ヨハナンをはじめとする軍の長たちは、イシュマエルが行った悪事を聞き、すぐ逃亡したイシュマエルの後を追い、ミツパから捕虜として連れ去られた人びとを救出することに成功しますが、イシュマエルは8人の家来と共にアンモン人のところに逃れることに成功しています。

この後、ヨハナン一行は、イシュマエルのもとから救出した民と共にベツレヘムに近い宿場キムハムからエジプトへ逃亡しようとしたといわれています。その理由は、「バビロンの王がその地の監督をゆだねたアヒカムの子ゲダルヤを、ネタンヤの子イシュマエルが殺したために、彼らはカルデア人の報復を恐れたのである」(41章18節)と述べられています。

これら一連の出来事を記録したのは書記のバルクですが、この記録を最終的に編集したのは、申命記的編集者だと考えられています。その編集者は、エレミヤが、バビロンの支配を神の御旨として受け入れてユダの地で生きよ呼びかけたことが無に帰していく過程を、これらの出来事を報告することによって伝えようとしたのだと考えられます。エレミヤの言葉に忠実に生きようとしたゲダルヤが暗殺されたことは、まさにエルサレム陥落後もなお、エレミヤの言葉を否定しようするものがこの国に残り後を絶たないことの証拠として語られています。そして、ゲダルヤの暗殺を防ごうとし、また暗殺者イシュマエルを追撃したヨハナンでさえ、バビロンの報復を恐れてエジプトへ逃亡しようとしたことは、ユダに残った人々は総じて神の支配と計画を語るエレミヤの言葉に耳を傾けようとしないものであることを示し、この段落の結びとしています。ここに預言者エレミヤの言葉は記されず、彼の働きも存在も記さないのは、その言葉を顧みず、神の言葉の働きをわきへ追いやる者の滅びに向かう一直線の歴史として、教訓として受け止めるようにという意味を読者に悟らせるためです。

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