エレミヤ書講解

21.エレミヤ書12章7-17節 『主の嗣業』

12章全体を貫く主題は、神の義です。1-5節において、神に背く者が幸運を得えていることに関して交わされた、エレミヤと神の論争が記されています。論争の中でのエレミヤの嘆きが4節に記されていますが、エレミヤの嘆きを受けるようにして、7-13節に、ヤハウェの嘆きが記されています。エレミヤは不実な背信の民が何時までも繁栄していることに疑問を感じ、それでは神の義はどうなるのかと神に訴えました。それに対する神の答えは、神の義を信じて耐えられないようでは、将来おこるもっと理不尽と思われる事態に、どうして平安におれようかという意外なものでした。この答えによって、エレミヤは人生の不可解に対して「なにゆえ」という疑問に自分で勝手に答えることへの放棄が求められ、どのような状況にあっても、神を信頼することを求められました。

7-13節には、背信の民イスラエルを審かねばならない神の嘆きの言葉が述べられています。神はご自身の義を貫くために、背信のイスラエルを裁かれますが、この民への愛を失ってはいません。イスラエルへの愛と罪に対する憎悪、義と憐れみとの葛藤は、神の選びと審判をめぐる苦悩として、エレミヤは深い洞察を行っています。

神の嘆きは、おそらくエジプトに対するネブカドネザルの前602乃至601年の軍事遠征との関連で、ユダに近隣諸民族が略奪の進入を果たしたことに関連があると思われます。その軍事遠征について列王記下24章1、2節に、「彼の治世に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来た。ヨヤキムは三年間彼に服従したが、再び反逆した。主は彼に対してカルデア人の部隊、アラム人の部隊、モアブ人の部隊、アンモン人の部隊を遣わされた。主はその僕である預言者たちによってお告げになった主の言葉のとおり、ユダを滅ぼすために彼らを差し向けられた」と記されています。

前609年、ヨシヤがメギドの戦いでエジプトの王ネコに破れたあと、「国の民」(アム・ハー・アレツ)は、エリヤキムの弟エホアハズを王位につけました。兄のエリヤキムを差し置いて弟のエホアハズが王に抜擢されたのは、彼の方が有能で父ヨシヤの政策を推進できると期待されたからです。しかし、パレスチナの覇権確立を望んでいたネコにとって、親バビロニア派に見えたヨシヤの政策を引き継ごうとする王は不都合で、ネコはエホアハズを捕らえ、エジプトに幽閉し、エリヤキムを傀儡王にし、彼の名をヨヤキムと改名させました。ヨヤキムはしばらくの間、エジプトへの忠誠を保ちましたが、国民に対しては暴君として振る舞いました。前605年にエジプトがカルケミシュの戦いで、新バビロニアのネブカドネザルに敗れると、パレスチナはバビロンの支配下に入りました。前604年にネブカドネザルがアシュケロンを征服したとき、ユダに全く介入しないことを見ると、ヨヤキムは親バビロニアに乗り換えたと思われます。しかし、前601年頃、ヨヤキムはバビロニアに反旗を翻し、貢納を停止しました。それは、ネブカドネザルが同時期にエジプト侵入を試みネコに撃退されたことにことを見ての判断であると思われます。ヨヤキムはネブカドネザルの力を見くびり、再びバビロニアとエジプトの力関係が逆転すると考えていたようです。実際、ネブカドネザルはエジプト戦後の体勢の立て直しに手間取り、すぐに正規軍を出動させることが出来ず、バビロンの分隊や、その影響下にあるアラム人、モアブ人アンモン人のゲリラ部隊を遣って、時間を稼がざるを得ませんでした。列王記下24章1、2節はこのときの事情を記しています。

12章12節の「荒れ野の裸の山に略奪する者が来る」は、列王記下24章2節の記事と合致します。しかし、これは決定的な破局を意味するものでありませんでした。決定的な破局は、4年後の前597年になって訪れました。それゆえ、前601年の出来事は、平和な時代の後に起る決定的破局の序曲にすぎません。しかし、この時、国土のかなりの部分が荒らされました。

7-11節は、この事態に至ったことへの神の嘆きです。「わたしはわたしの家を捨て わたしの嗣業を見放し わたしの愛するものを敵の手に渡した」(7節)、と神の心中における感情が表出されています。「わたしの」という言葉が繰り返されていることに注意してください。それは、なおもユダに好意を抱いているにもかかわらず、その気持ちとは全く逆のことをなさねばならないことへの嘆きです。

8節では、この逆説的矛盾の理由が、「わたしの嗣業はわたしに対して 森の中の獅子となり わたしに向かってうなり声をあげる。わたしはそれを憎む。」と述べられ、主が逆に民から脅かしを受ける立場に立たされる、民の罪のおぞましさが明らかにされています。神の愛が「憎悪」に急変した理由は神に愛されている民の神への反逆にあり、主は「わたしはそれを憎む」といわれます。

しかし、共苦する神の愛は憎悪より強い。「わたしの嗣業はわたしにとって 猛禽がその上を舞っている ハイエナのねぐらなのだろうか」(9節)という驚きをもって発せられている問いかけの中に、神の痛みの共感が示されています。主の民が猛禽の攻撃を四方八方から受ける逃げ場のないハイエナのように見えるではないか!と驚きが示されています。9節後半は、列王記下24章に見られる歴史的情勢を考慮して、寓喩的にその意味が拡大されて、この猛禽は、さらに、「野の獣よ、集まって餌を襲え」といって野の獣を呼び集めてこれを食い荒らさせる、と述べられています。

10-11節では、嘆きの内容は比喩から事実へと移行し、敵の侵略によってもたらされる荒廃が描き出されます。「牧者」とは、王や指導者のことです。彼らの指揮の下に、ぶどう畑や農耕地が踏みにじられ、美しい肥沃な土地が荒れ地とされました。「それは打ち捨てられてわたしの前にある。」「わたしの前に」という言葉に、神御自身の深い悲しみ、心の痛みの思いが込められています。しかし、敵の軍兵にとっては、このような荒廃はありきたりのことで、気にもとめていません。痛みを共にする神の心と人間の冷酷さとが対照的に、意味深く描写されています。

12、13節は、エレミヤの言葉です。敵の侵略が東方の荒野から起こり洪水のように国全体を襲う。その結果、だれも労働に精を出すということが出来なくなり、収穫がもたらされず、ついに耕地は雑草で荒れ果ててしまいます。民はその結果の前に愕然として立ち尽くします。エレミヤが語りうる唯一のことは、「主の怒りと憤りのゆえに」ということです。

14節では、近隣諸民族に対する威嚇のことばが述べられています。14-17節は、編集者(申命記史家)による付加的な記事であると考えられます。この威嚇にはヤハウェに矛盾した態度があると見ない編集者の目があります。エレミヤは彼らをヤハウェの審判の道具と見ていました。しかし、そのような役割を彼らが担わされているからといって、彼らがその責任を免れるわけではありません。主の審判である以上に嗣業を侵した彼らの残忍さは彼らの罪として残る、というのが編集者の目です。

しかし、神の審判において、罰が最終的なことではありません。神は異邦の諸国民に対してもまた、ご自身の義に恩恵を優先させ、憐れみを注がれます。神は彼らに対してもその嗣業の地に帰ることを約束されます。16節は、彼らが、実に、神の民に与えられた救済伝承とその契約の定めを受けとめて、ヤハウェに対する信仰告白をするならば、神は彼らを、イスラエルの民と共に神の契約の一員として受け入れる可能性を明らかにしています。かつて近隣の諸国民はバアル祭儀へ誘惑した際にバアルによってイスラエルの民に誓わせました。まさにそれと同じように、ヤハウェの名によって誓うなら、彼らもまた救われると告げられています。ここに、どこまでも契約に対する忠実を求める申命記史家の目と、「契約」への信仰告白をもとにした救いの普遍主義の両面が明らかにされています。

神は近隣の諸国民が単なる侵略者・征服者に止まり、ヤハウェに立ち帰らず侵略者・征服者であるかぎり、その残虐な罪はゆるされず、彼らもまた抜き捨てられると語ります。救いはただヤハウェの下にのみある。そして、審きもまたヤハウェのものである。「わたしの嗣業」ということばで表明されている思想はこれです。イスラエルは神の恩恵の提供を知りながら、神に服従せず、自らの破滅を招き、神の審判に落ちてゆきました。神は、イスラエルを裁く神の道具にされた異邦の諸国民に対して、同じ福音のことばで招かれます。そして、救いはただヤハウェの下にあることをこれらの言葉は普遍的に宣言しています。神の恩恵の提供を知りながら、神に服従しないならば、その民は破滅をもたらす神の審判に落ちていく。しかし、服従するなら彼らも救われる、と告げているのです。

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