ガラテヤの信徒への手紙講解

6.ガラテヤの信徒への手紙1章18-24節『神が讃美される人間の革新』

ガラテヤ書1章11節から24節は、パウロの自伝的な要素をもつ言葉が記されているところです。パウロはここで述べていることは、自分をキリストへの信仰に導いたのも、使徒として召したのも、人間的ないかなる業も介しない、神の業であるということです。

パウロはキリストの啓示を受けて回心し、使徒として召し出された後、誰にも会わずに、「アラビアに退いた」と17節で述べています。この「退く」という翻訳は、パウロがしばらく静かに隠遁生活をして自分を深く信仰的に見つめなおす時をもったような印象を与えますが、元の語は、単に「行く」という語です。パウロがダマスコでアレタ王の代官からから追われ窓から籠で城壁から逃れたことが第二コリント11:32-33に記されています。それ故、パウロは回心後すぐにアラビアに行って伝道をした可能性は十分あります。

パウロは、回心以前には、ユダヤ教の伝道者として、その布教に努め、その核心から、キリスト教の教えは最も受け入れられないものとして、排斥し、迫害していました。つまりパウロは、自分が「滅ぼそうとしていた信仰」に回心したのは、いかなる人を介してもなされない、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神であった、とパウロ繰り返しこの手紙で語っているのであります。それはイエス・キリストの啓示を通して知らされたと語っているのであります。この啓示によって、これまで「滅ぼそうとしていた信仰」を、自らの救いを確信し、すべての人を救うことのできる唯一の福音であると確信するに至る大転換をパウロは体験します。

1章18-24節の御言葉は、そういう回心体験の日から、「3年後」のことについて記しています。3年という期間は、ユダヤの数え方からすると、足掛けという意味で用いられていると思われますので、最短の期間でいうと1年半くらいということもできます。いずれにせよ、パウロは、アラビアに行き、ダマスコに戻るという行動から三年後に、エルサレムに行って、ケファと知り合いになろうとしたというのです。そのときのエルサレムでの滞在はわずか15日間であった、と18節において述べています。ケファとは、ペトロのことですが、エルサレム滞在中に、ペトロ以外にパウロがあった人物は、主の兄弟ヤコブだけであったと述べています。パウロはその事実を、わざわざ「神の御前で断言します」といって、神を証人にして、自分が「嘘をついているのではない」と断りを入れたのは、パウロの使徒の権威について、エルサレムの指導者、特に、使徒たちから承認を受けていないという形で批判し、それを疑う人たちがいたからです。しかし、人間的な権威を主張しないパウロが、なぜこの事実をあえてここで語る必要があったのか、この点、実は興味深い問題です。ペトロはいつも使徒の中でも最初に名前が記されている人物です。主の兄弟ヤコブは、使徒ではありません。しかしパウロがこの手紙を書いた時には、エルサレムの指導者として重要な中心的な立場にありました。だから、この二人に会ったといえば、パウロは自分を権威付けるのに役立つから、そのことに言及した、という解釈をする人もいますが、ここまで自分の使徒権について一切の人間的権威付けを拒否しているパウロの書き方からすれば、その解釈には無理があります。パウロは自分の使徒性、また福音理解は、神の直接的な召しと啓示によるといっているのです。だからといって、パウロはその福音理解が、自分だけの独自のものであると、ここで言っているのではありません。むしろ、第一コリント15章3節で、その福音を「わたしも受けたもの」として、キリスト教会において共有する福音であることを明確に述べています。

ですから、このときのパウロのエルサレム訪問は、自ら直接受けた福音の啓示を、主の弟子として生き、復活の証人として、その復活の目撃者となったペトロから、15日間の滞在の時に、主の言葉や業のことについて、パウロは聞くことにも務めたはずです。そう考えることの方が自然です。そうすることによって、パウロは自分の受けた啓示に基づく福音、ペトロや他の使徒たちと矛盾しないどころか、全く一致するものだという信仰の核心を得る機会とすることができたといえるでしょう。パウロが、第一コリント15章で「わたしも受けたもの」といっている、わたしも受けたという伝承体験は、このときのエルサレム訪問のことをいっているのかもしれません。

いずれにせよ、これまでパウロが述べてきたことの文脈との関連で、この二人の人物についてのみ言及しようとするパウロの言葉には、疑われている使徒からの委託を、この時、受けたというために費やされているとは考えられません。むしろ、この二人だけについての言及は、その逆のことを説明するためでしょう。この二人以外誰にも会わなかったということによって、むしろいままで述べてきた、人間的な権威付けをしない、パウロ自身の主張を裏付けるための言及であると理解するほうが自然です。

パウロがこの文脈の中で伝えたいことは、22節以下のことです。「キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではない」のに、そのような人々から、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえている、という事実でありました。

パウロは、キリスト教会を迫害することが、神に最も忠実で熱心な信仰の生き方であると確信して生きていた人物です。しかし、今や、自分が滅ぼそうとしていた信仰を、これこそ喜びの知らせ、生き方であると告げ知らせる、パウロはそういう人間に変わった。神は、そのような人間にパウロを造り変えた、その偉大な神の業を人々がほめたたええた、とパウロはいっているのであります。

パウロがここで一番言いたいのは、自分の自覚的な取り組みでも、自分に大きな影響を与えた偉大な先輩使徒の力によったのでもない、ただ神の恵みによる啓示と召しに与って、その恩恵の力で、生き方を一新された人間パウロがここにいるという事実であります。この偉大な神の恩恵の力こそ、人間を革新する、まったく新しく造り変えるものであった、という事実であります。誰もが困難と思える人間を変える力を、神は持っておられる。そのような神をユダヤの諸教会の人々は、ほめたたえずにはおれなかったということであります。

パウロをこのように変えた神は、「こんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ3:9)方です。パウロをそのように変えた神はまた、イエス・キリストを死人の中から甦らせた方です。パウロ自身、この神によって、かつて自分が「滅ぼそうとしていた信仰」へ導かれ、ユダヤ人として、木に架けられたものは呪われると信じて、キリストこそ呪われるべきものだと信じていたのですが、実は、キリストは呪われたものではなく、ユダヤ人をはじめ、異邦人も救うことのできる救い主であると啓示を受けたのであります。そのことを知るようになって、パウロはユダヤ人として生きることをやめたわけでありません。しかし、ユダヤ人であるパウロは、イエス・キリストの啓示を受け、聖書をその光の下で読む眼を与えられました。それは聖書が記していないことを読めるようになったという意味ではありません。聖書に書かれていたが、ユダヤ人のパウロが理解できなかった聖書の意味を、新しく与えられた啓示の光で読めるように変えられたということであります。

具体的にいいますと、創世記12章3節の読みの問題です。パウロはそれを3章7-8節において明らかにしています。創世記のアブラハムの召命物語には、二つの祝福の線が示されていました。一つは、アブラハムの子孫を祝福するという線です。もう一つは、地上の氏族はすべてアブラハムによって祝福に入るという線です。パウロはこのもう一つの線を、「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子である」述べ、聖書は神が異邦人を信仰によって義とされることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました、とパウロは語っているのであります。

このパウロの福音理解は、3章28節においては、キリスト・イエスにおいて、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない、という救いにおける平等の人間観への革新へと発展しています。いずれにせよ、パウロの福音理解はそのように深い、人間理解の革新へとつながっていくのであります。異邦人の使徒への転換と、パウロのその福音理解、人間理解は、一体のものとして深く結びついているのであります。パウロが「滅ぼそうとしていた福音」がパウロという人間を捉え、パウロをその福音に生きる者に、その福音を啓示した神が変えたということは、神はわたしたちをまた同じように変え、わたしたちをその福音の自由な中に生かすことがおできになる、ということを示しているのであります。

そのように変えられたパウロが、自分が「滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、ユダヤの諸教会の人々がパウロのことで、神をほめたたえている、そのように人を変えることのできる偉大な神が、神の恵みがほめたたえられる救いの業、その偉大な力は、いまわたしたちの救いにおいても働いているのであります。この恵みの神こそが、教会を変革し、人間の心を造り変えて、救いを起こし続けることができるのです。神がほめたたえられる伝道、教会形成とは、パウロに表された神が讃美されるような人間の革新を伴うものであることを、この御言葉は、わたしたちに語りかけてくれているのです。

新約聖書講解