キリスト教講座

第15回キリスト教講座『闇から光へーバビロン捕囚とイスラエル(2) 破局の時代を生きた預言者エレミヤ』性と信仰-』

日時 2007年10月14日(日)午後2時-3時30分
場所 日本キリスト改革派八事教会
講師 鳥井一夫牧師

 

1.エレミヤの生きた時代

エレミヤは、ユダの王ヨシヤ(前640-609 )の治世第13年、すなわち前627年に預言者としての召命を受けています。それは「律法の書」が発見され、ヨシヤの宗教改革が行われた年(前622年)より5年前のことです。エレミヤは、マナセ(在位、前697-642年)王の時代に幼少期を過ごし、ユダに異教崇拝が蔓延し、ヤハウエ宗教がバアル化し、聖所における淫行や小児犠牲などが行なわれているのを目撃して育ちました。エレミヤは、エルサレムの北約5キロに位置するアナトトの出身で、祭司ヒルキヤの子であったといわれていますが(1:1)、エレミヤが祭司であったという証拠はありません。しかし、エレミヤはヤハウエ宗教の厳格な祭司的伝統の下に教育を受けたと思われます。エレミヤの預言者として活動は、ヨシヤ、ヨアハズ、ヨヤキム、ゼデキヤの4人の王の40年余りに及びます。

エレミヤが生まれたころオリエント世界を支配していたのはアッシリアですが、彼が成人するころには、その勢力は衰退し、崩壊へと向かっていました。アッシュルバニパルの時代、エジプトはアッシリアの支配から脱し、前625年、バビロンはカルデア人ナボポラッサルのもとで、アッシリアの支配から独立し、彼は新バビロン帝国の開祖となりました。前612年にアッシリアの首都ニネベがメディアとスキタイの同盟軍によって陥落しました。アッシリアの王アシュル・ウバリトはハランを奪回しようとエジプトのファラオ・ネコの支援を要請しました。バビロンの優位を恐れていたネコは、アッシリアに援軍を送りました。この争いにヨシヤ王は巻き込まれることになります。

アッシリア勢力の復活を望まなかったヨシヤ王は、アッシリアを助けるために進軍して来るエジプト軍を阻止しようとメギドで迎え撃つ敵となりましたが、そこで戦死しました。ヨシヤの宗教改革から13年後の、前609年のことです。ヨシヤの死によって、宗教改革は完全に挫折し、政治的にもユダは滅亡の道を早めることになります。

エジプトはアッシリアを助けることには失敗しますが、シリア・パレスチナにおける支配権を再び獲得します。ヨシヤの死後、地の民と呼ばれる自由民によって、ヨシヤの子ヨアハズ(シャルム)が王に就けられましたが、ヨアハズは僅か3ヵ月統治しただけで、エジプトのネコによって退位させられます。ヨシヤの政策を受け継ぐ者と見なしたためです。そこでネコは、ヨシヤのもうひとりの子エリヤキムを王位につけ、ヨヤキムと改名させ(エレミヤ22:10-12)ました。この改名は、ユダの王に対するファラオの後見役としての権威を表わすものでありました。ヨヤキム(前609-589年)の下でユダは前605年に至るまでエジプトに従属します。エジプトはユダから重い貢物を厳しく取り立てましたが、これが国民に対して重い経済的負担でないかのように見せるために、ヨヤキムは、自分のために壮大な新宮殿を建て始めました。このことのゆえに、ヨヤキムはエレミヤから手厳しい批判を受けることになりました。

災いだ、恵みの業を行わず自分の宮殿を
正義を行わずに高殿を建て
同胞をただで働かせ、賃金を払わない者は。
彼は言う。「自分のために広い宮殿を建て、大きな高殿を造ろう」と。
彼は窓を大きく開け
レバノン杉で覆い、朱色に塗り上げる。
あなたは、レバノン杉を多く得れば、
立派な王だと思うのか。(エレミヤ書22章13-17節)

ヨヤキムは、父ヨシヤと正反対の人で、専制君主であったばかりでなく、父ヨシヤによって行われた改革を後退させ、エレミヤの最も恨み重なる敵となりました。ヨヤキムはエレミヤに似たメッセージを語るウリヤという預言者を処刑しました(エレミヤ26:20-24)。ある国家役人によってエレミヤに保護が与えられなかったら、彼もまたヨヤキムによって殺されていたかもしれません。

ヨシヤの改革に対してエレミヤがどのような態度をとったかは、推測することしかできません。エレミヤが熱心に改革を支持したことを示す唯一の章句(エレミヤ11:1~17)はエレミヤではなく、申命記的編集者に由来するものであると考えられるからです。しかしながら、エレミヤはヨシヤを尊敬し、ヨシヤの熱心な改革によって喚起された希望に彼が与かったという公算は強いと思われます。エレミヤがヨヤキムへの非難の言葉の中に語ったヨシヤ王への尊敬を表わす言葉(22:15,16節)がそれを物語っているように思えます。

エレミヤはヨシヤ王の改革が実行されていた数年間、預言者としての活動を休止しています。しかし、時と共にエレミヤがその改革について幻滅を感じるに至ったことは間違いありません。明らかに、改革の土台であった律法があるグループの中で新しい正統主義の土台となり、その結果、安易な自己満足に陥って、常に新しく挑戦的である神の言葉に対して、国民を盲目にしたからです。律法は偶像化されていました。ヨシヤの宗教改革は、律法主義という鬼子をも生みました。エレミヤは「書記が偽る筆をもって書き、それを偽りとした」(エレミヤ書8章8節)と厳しく批判しています。ここで「書記」と呼ばれているのは、律法の教師たちです。彼らは律法を曲げて解釈し、詭弁を弄し、律法本来の力を失わせていました。

エレミヤは、ヨシヤ王の改革の挫折を神殿説教において明らかにしています。この説教は、ヨシヤ王が死んだ年に行われています。その内容はエレミヤ書7章に詳しく記されています。人びとは、「主の神殿、主の神殿、主の神殿」といって礼拝するために行きましたが、支配者たちは、主の正義を行わず、貧しい者や、弱い立場にある人を虐げていましたし、姦淫や、偶像崇拝が後を絶ちませんでした。エレミヤは悪しき礼拝が行われている神殿を、「強盗の巣窟」と呼び、シロの神殿のように投げ捨てられ、破壊され、エルサレムは廃墟となると告げました。26章には、このときエレミヤが行った神殿説教に対する反応が記されています。エレミヤが語り終えると、祭司と預言者たちと民のすべては、彼を捕らえて、「あなたは死刑に処せられねばならない」(8節)といったといわれています。その説教で、エレミヤは、エルサレムに神殿が単に現存しているだけで、神に対する反逆の故に国民に下される神の裁きを回避するための保証となるという当時の通俗的信仰を偽りであると非難したからです。この説教はヨシヤの改革がもはや効力を失っていたことを明らかにしています。この説教を機に、祭司、預言者、王とその高官たち、民の大多数の者からエレミヤに対する迫害が厳しく及ぶようになりました。

エレミヤはヨヤキム王の容赦しない敵となって、国民に対して下される神の裁きが不可避であることを宣言しました。「北からの敵」(バビロン)によってその国にもたらされるべき荒廃を告げる託宣がエレミヤによって宣言されたのは、ヨヤキム治世の初期であったと考えられます。

前605年に、ネブカドネザルは、ユーフラテス川畔カルケミシュでエジプトを打ち負かしましたが、パレスチナに侵入することは未決定にしておかれました。それまでにエレミヤは語らねばならない託宣の巻物を編纂するように主から促され、書記バルクによって神殿でそれらをひとまとめにして宣言するようにしたのは、恐らくこれらの出来事の故だと考えられます(36章参照)。その時点まで、裁きについてのエレミヤの託宣は偽りとして無視され、あるいは忘れ去られていたとしても、今起こってきた新しい状況の中で、彼の確信は今や著しく動揺させられた人々に対して恐るべき意義を与えることになりました。恐るべきことに、「北からの敵」が現実に現れてしまったからです。このときエレミヤは主の神殿に出入りすることを禁じられていましたので、断食の日に、その巻物を神殿に集まった人々に読み聞かせるようバルクに命じました。バルクはエレミヤに命じられるままこれを行うと、大変な反響を及ぼすことになりました。ヨヤキム王のところにそれが伝えられましたが、王の役人たちは、バルクとエレミヤが殺されないように守ろうとしました。エルサレムの神殿で朗読された巻物は、書記官エリシャマの部屋に納められていましたが、王は、ユディに命じてそれをとってこさせ、自分の前で朗読させ、それを聞いた後、巻物を朗読し終わったところからナイフで切り取っては暖炉に投げ込み燃やしました。それを燃やさないように訴える側近たちの声を無視して、ヨヤキムはそれを続け、さらにバルクとエレミヤを捕らえるようにと命じました。ヨヤキムはこの預言者を危険な敵と見なし、沈黙させようとしました。しかし、王の役人がエレミヤの側についていたので、ヨヤキム王はエレミヤを沈黙させることはできませんでした。

この時、国民に大きく迫ってきた危険は、前604年にヨヤキムがバビロンに屈伏することによって一時的に回避されました。しかし、ネブカドネザルに対するヨヤキムの忠誠は束の間で、前601年にバビロンとエジプトとの間で戦争が起こると、ヨヤキムはネブカドネザルに反逆しました。しばらくの間、ネブカドネザルはユダの反逆を鎮圧するために進軍することができず、アラム、モアブ、アンモンなどの分遣隊を雇ってヨヤキムを悩ませましたたが、前598年の終わり近くになって、バビロン軍がユダに侵入してエルサレムを包囲攻撃しました。ヨヤキムは死に(暗殺されたのかもしれない)、彼の18歳の息子ヨヤキンが後を継ぎますが、僅か3ヵ月後の前597年にエルサレムは陥落します。ヨヤキンは、その母、様々な官吏や最上流市民たちと共にバビロンに捕囚として連行されました(エレミヤ13:18、22:24-27を参照)。そのため、ヨヤキムのおじであるマッタニヤ(ゼデキヤ)が王となります。

ゼデキヤは貴族たちに操縦されやすい弱い支配者でありました。ヨヤキンは、捕囚の身であったにもかかわらず、バビロンによってユダの王であると公式に認められていたらしく、捕囚民はヨヤキンを王と認めました。ユダ本国においては、ヨヤキンと捕囚民が間もなくエルサレムに連れ戻されると一般に信じられていました(28:1-4)。ゼデキヤの地位が強化されなかったのは、こうした事情が関係していたと思われます。

神がすぐにもバビロンの権力を滅ぼし、捕囚民を故国に帰らせるという信仰が、紀元前597年の後に起こってきていました。しかし、エレミヤはこの楽観的信仰を厳しく戒めました。エレミヤは、バビロンのくびきがユダばかりでなく、シリア・パレスチナの他の諸王国の首の上にも留まると告知しました(28章)。

エレミヤは、良いイチジクと悪いいちじくのたとえでもって(24章)、神の祝福が捕囚中の人々(良いいちじく)の上にあって、国民の将来の回復はこれらの捕囚民を通して神によってもたらされるが、故国に残っている人々(悪いいちじく)は間もなく降りかかる神の裁きの下にあると宣言しました。

エレミヤは、バビロンにいた捕囚民に手紙を書いています。そこで家を建て、園に果樹を植えてその実を食べ、妻をめとり、子孫を増やすように勧めるだけでなく、その町の平安を主に祈ることをさえ勧めています。そして、彼らに対する神の配慮があらわされ、最終的には束縛から救われることを彼らに確信させました(29章)。これまでイスラエルの人は、異邦の地を汚れた地と考えていました。そこには神を礼拝すべき神殿はなく、祭儀も守れないと考えられていたからです。だから、エレミヤのこの祈りへの勧めの言葉には、バビロンという汚れた地にあり、神殿と祭儀を持たずとも、イスラエル人にとって、そこでもなお神礼拝が可能であるということが意味されていました。エレミヤが家や畑や結婚について勧めたのは、捕囚の帰還が長期間続くと考えたからです。このことのゆえに、エレミヤはますます同国人の悪口の対象となりました。

前598-597年にバビロンによってユダとエルサレムに加えられた攻撃とその悲惨な結果にもかかわらず、ユダのバビロンへの反逆の精神は消えませんでした。前594年にバビロンで起こった動乱に乗じ(29:21-23)、ゼデキヤはバビロンに対する反逆の意図をもってエドムとモアブとツロとの間で試みられた連合に与しますが、この試みからは何の結果も生じませんでした。前589年まで、ゼデキヤはバビロンとのかかわりあうことを取り消せないでいました。このとき、偽預言者たちは、偽りの平和を語り、前597年の失敗と捕囚が間もなく逆転すると約束し、それに支持された民族主義的精神が再び主張されるようになりました。この動きに対してエレミヤは、「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う。」(6:14)といって手厳しく批判しています。

エジプトはゼデキヤを激励し、軍事的に後援することを保証しました。これに対してネブカドネザルは遅滞なく攻撃を加えました。前588年、バビロン軍はエルサレムに到着し、これを包囲攻撃しました。エジプトの援助が具体化して、エルサレムに対する包囲を解くようにバビロンが強いられた時、エルサレムは短い執行猶予のときを得ることができました(37:3-5)。しかし、エジプトは速やかにバビロンによって敗走させられ、バビロンは直ちにエルサレムを再包囲しました。抵抗は数カ月にわたって続きましたが、ゼデキヤは降伏し和平を請い求めようとしました。

この時、ゼデキヤは、ネブカドネザルに従属することを初めから要求していたエレミヤに相談しました(21:1-7,37:1-10,17-18, 38:14-23)。エレミヤは降伏をすべく忠告しましたが、エレミヤの忠告は聞かれず、町の食糧が尽きてしまう前587年まで抵抗は続けられました(52:5-6)。ゼデキヤは逃亡を試みましたがエリコで捕らえられ、リブラにいたネブカドネザルの下に連行され、そこで息子たちは処刑され、ゼデキヤ自身は、息子たちの死を目撃した後、目を抉り取られて盲目にされた上で、鎖に繋がれてバビロンに連行されました。こうしてゼデキヤはバビロンで死に、エルサレム神殿は焼き払われ、さらに多くのユダの人々がバビロンに追放されることになりました。エルサレム陥落の際、エレミヤ自身も捕虜とされましたが、直ぐに解放されました。エレミヤがバビロンに降伏するよう人びとに説得していたことが、バビロン側に伝えられたからだと考えられます。エレミヤは、バビロンに来るようにとの誘いを受け、バビロンでの厚遇を約束されましたが、断固としてユダの地にとどまることを決意しました。エレミヤは優勢な方になびく日和見主義者でなかったのです(39:11-14、40:1-6 )。

ネブカドネザルはゲダリヤ(エレミヤを保護した高級官吏アヒカムの息子)を総督に任命しました。ゲダリヤの行政の中心はミズパにありました。エレミヤはその地に留まりました。その後ゲダリヤは暗殺されますが、彼の将校たちは暗殺者たちを捕らえ、処罰しましたが、ネブカドネツァルの報復を恐れエジプトへ逃れようとしました。エレミヤは、ミズパにいた人々にその地に留まるようは警告しましたが(42:7-22 )、彼らはエレミヤを一緒にエジプトに連れて行きました。エレミヤはエジプトで最期を迎えますます。

 

2.人間エレミヤの苦悩と預言者としての使命

エレミヤは、「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために」(1:10)召された預言者でありました。彼には、「抜き、壊し、滅ぼし、破壊する」という主の審きを語る第一のつとめと、「建て、植える」という、民の信仰の再生へのもう一つの大切なつとめが与えられていました。

2章14-19節には、審判の言葉がつづられています。それに続いて「あなたは久しい昔に軛を折った」(20節)という主の言葉が記されています。イスラエルは、偶像崇拝の罪だけでなく、あらゆる不義をもって主の道を曲げていました。それだけでなく、北からの敵に対抗するために、主ではなく、エジプトやアッシリアを頼りにしました。2章18,36-37節には、その態度を告発する言葉が記されています。民は、安易な救いを求め、主に頼ることをやめ、主から遠く離れ、空しいものの後を追う生き方をしていました(2章6節)。こうした民の誤りを直すのは、本来、国の指導者であり、祭司や預言者という宗教的な指導者の務めです。しかし、その指導者たちが堕落していました。

祭司たちも尋ねなかった。
「主はどこにおられるのか」と。
律法を教える人たちはわたしを理解せず
指導者たちはわたしに背き
預言者たちはバアルによって預言し
助けにならぬものの後を追った。(エレミヤ書2章8節)

エレミヤのこの批判は深刻です。出エジプト以来、主に選ばれた民として歩んできたはずのこの民が、そのありようを棄て、それを正し指導すべきものがその務めを怠るだけでなく、誤った方向に歩ませる働きをしていたからです。エレミヤはそれを次のように断罪する主の言葉を告げています。

まことに、わが民は二つの悪を行った。
生ける水の源であるわたしを捨てて無用の水溜めを掘った。
水をためることのできないこわれた水溜めを。(エレミヤ書2章13節)

イスラエルが神の導きである御言葉に聞かないことは、「生ける水の源である主」を捨てることであるといわれています。そして、他に助けを求める生き方を、水をためることのできない「無用の水溜め」を掘るものでしかないとエレミヤは告発します。神とその御言葉が「生ける水の源である」という主張は、聖書全体を貫く信仰です。人間が必要とするものを満たすのは神です。人の渇きを癒すのは神であるという聖書を貫く根源的な主張は、主イエスがご自身を生ける水として示し、サマリアの女に語った言葉でもあります(ヨハネ福音書4章14節)。そして、主イエスがサマリアの女の生活の乱れの原因が神礼拝にあることを指摘したように、エレミヤもまた神殿説教(7章)で、その根源的な批判を行っています。

エレミヤのこれらの厳しい主の審判を告げる言葉は、政治的・宗教的指導者たちからだけでなく、彼の身内であるアナトトの人々からも、預言者をするなといって、命を狙われるという危機に直面させたれることになりました(11:21-23)。

エレミヤ書11-20章には、「エレミヤの告白録」と呼ばれる、エレミヤの嘆きの言葉が記されています。エレミヤは神から遣わされた使者として、神の使信を単に告げることだけに従事していたのではありません。彼は傷つき、絶望した一人の人間としてそれを語りました。エレミヤはその審きを告げる民のために嘆きながら、執り成しの祈りをしながら、神の言葉を告げたのです。しかし、彼の背後にあって涙を流し、民のことを思っている神がいます。神はエレミヤに次のように告げています。

「わたしの目は夜も昼も涙を流し、とどまることがない。
娘なるわが民は破滅し、その傷はあまりにも重い。
野に出て見れば、見よ、剣に刺された者。
町に入って見れば、見よ、飢えに苦しむ者。
預言者も祭司も見知らぬ地にさまよって行く。」
(エレミヤ書14章17-18節)

エレミヤは、国の滅亡を告げることを使命として与えられていました。だから、その道へ歩ませる宗教的・政治的指導者の罪をはばかることなく断罪します。その結果、彼らから拒絶され、その言葉は無視され、迫害を受けることになりました。エレミヤはついにその苦悩に耐えられなくなりました。その苦悩の嘆きを、15章10節において次のように表わしています。

ああ、わたしは災いだ。
わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。
国中でわたしは争いの絶えぬ男
いさかいの絶えぬ男とされている。
わたしはだれの債権者になったことも
だれの債務者になったこともないのに
だれもがわたしを呪う。
しかしエレミヤは、この嘆きを述べる中で、次のような御言葉との出会いを語っています。
あなたの御言葉が見いだされたとき
わたしはそれをむさぼり食べました。
あなたの御言葉は、わたしのものとなり
わたしの心は喜び躍りました。(エレミヤ書15章16節)

エレミヤは、人間的天分からすれば、繊細で、考えることの好きな性質の持ち主でありました。静かな内省と人との純粋な喜びの中での平和な生活の方が、人々や権力に公然と立ち向かう激しい戦いより彼にふさわしかった(コルニル)、と評される人物です。しかし彼に与えられた主の召しは、諸国民の出来事の真っ只中に引き出すことでありました。そうであるが故に国内外の抵抗運動を漠然と予感していたエレミヤは、預言者の使命にしり込みし、内外から来る苦難の道を歩ませることになろうこの召しを避けたいと願いました(1:6)。しかし神は彼を圧倒し、彼を神に仕える信仰による服従の道をとらせました(1:7)。しかし、民と平和に過ごしたいと願う彼の心の底にある苦悩は深まるばかりです。そのため彼は、預言者として生きることを断念しようとしましたが、彼は自ら捉えられた御言葉から自由になれることはできませんでした。

主の名を口にすまい
もうその名によって語るまい、と思っても
主の言葉は、わたしの心の中
骨の中に閉じ込められて
火のように燃え上がります。
押さえつけておこうとして
わたしは疲れ果てました。
わたしの負けです。(エレミヤ書20章9節)

このエレミヤの敗北宣言は神の勝利を意味します。神の言葉の力がエレミヤの苦悩に勝ったのです。エレミヤは次のような主の約束を聞いています。

あなたが帰ろうとするなら
わたしのもとに帰らせ、わたしの前に立たせよう。
もし、あなたが軽率に言葉を吐かず、熟慮して語るなら
わたしはあなたを、わたしの口とする。
あなたが彼らの所に帰るのではない。
彼らこそあなたのもとに帰るのだ。(エレミヤ15章19節)

エレミヤは召命の日に、「わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」(1:8)という主の約束を聞いていました。エレミヤは預言者として、主から遣わされ、「わたしが命じることすべてを語れ」(1:7)命じられていました。だから、エレミヤは預言者としてその拘束の下に置かれていました。預言者としてどんなに民から反発され、拒絶され、迫害を受けても、それが主の命令であるから語ることをやめられないのです。それは、「わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける」(1:9)といって与えられた言葉だからです。そして、もう一つ確かな言葉を与えられていました。それは、エレミヤを迫害する者に恐れを懐くときに、たえずエレミヤを励ますことになった主の約束です。

彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。
わたしがあなたと共にいて、救い出す。(エレミヤ書1章19節)

エレミヤの苦難、危機、嘆きの中に、「わたしがあなたと共にいて、救い出す」といわれる神が共におられます。エレミヤはこの神からの使命を離れて生きることはできません。その働きの場は、民の中にありました。その現実を離れてエレミヤは働きを考えることはできません。だから、エレミヤは、その現実から離れることは望みません。バビロンからの誘いもエレミヤは断り、民の間にとどまり(39:14)、神の言葉を取り次ぎ続けたのです。

エレミヤは友人であり同労者であるバルクが、「ああ、災いだ。主は、わたしの苦しみに悲しみを加えられた。わたしは疲れ果てて呻き、安らぎを得ない。」(45:3)という言葉を述べた時、主が告げられた御旨を彼に次のように告げて、バルクを励ましています。

わたしは建てたものを破壊し、植えたものを抜く。全世界をこのようにする。あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。(エレミヤ書45章4-5節)

バルクは同僚者としてエレミヤと同じ苦悩を経験しました。そして彼もまた、エレミヤと同じ主の慰めと励まし、希望を懐き生きることができました。

エレミヤは預言者としてもう一つの使命を与えられていました。それは、「建て、植えるため」(1:10)の働きです。

エレミヤは、捕囚からの解放を告げたのか、議論のあるところです。エレミヤ書29章10-14節には、バビロンに70年が満ちるとき、故国への帰還が実現すると約束する主の言葉が記されていますが、それは申命記主義的用語法が用いられ、エレミヤに由来するとは考えられないという意見があります。しかし、51章59-64節に記された象徴的行動は、事実上バビロンの陥落を宣言しており、捕囚からの解放を暗黙のうちに予告していると考えられます。エレミヤはバビロンに対する災いを予告した巻物を持たせ、バルクの兄弟セラヤに命じて、バビロンでそれを朗読させ、石に結び付けてユーフラテスに投げ込ませました。巻物が沈んでゆくように、やがてバビロンが沈んでゆく、と語っています。

エレミヤが捕囚民に宛てた手紙は、捕囚が決して牢獄でないことを示し、ある程度の自由と普段どおりの生活が可能なこと、また神の支配の中でやがてバビロンも滅び、解放の時が来るという希望を語っています。

エレミヤ書32章6-15節には、エルサレムの最後の攻囲の中で行なった信じがたいエレミヤの行為の報告が記されています。エレミヤの従兄弟ハナムエルが所有していた土地を先祖伝来の土地を負債のために失いそうになったとき、エレミヤに贖い法(レビ25:3)に基づき、アナトトにある畑を買い取って欲しいと申し出ました。そして、エレミヤはその役を引き受けています。これは、エレミヤが前587年の差し迫った裁きに際し、土地の約束の撤回を語ったことと大きな対照をなし、この買戻しの行為は、約束の地の最終的未来に対するエレミヤの信仰を表しています。エレミヤのこの土地に対する両義的(アンビバレント)な態度は、バビロンに対する両義的態度と呼応するものと考えられます。エレミヤのこの行為は、カルデヤ人の誘いになびかず、バビロンに行くことを拒んだ理由(40:4-6)、ゲダルヤの暗殺の後、エジプトへの逃亡に対して彼が激しく反対したこと(42:17)、また無理やりエジプトに連れて行かれた後も、やがてネブカドネツァルがエジプトに勝利し、捕囚に定められた者を連れ去るだろうと宣言したこと(43:8-13)をも説明してくれます。エレミヤはこの行為によって、滅亡の中にも、なお買う土地が残されていることを示しました。それを神による救いへの希望として、エレミヤは神に委ねるのです。

エレミヤのこれらの言葉や行為は、エレミヤのもう一つの務め、「建て、植えるために」(1:10)という側面を物語っています。

 

3.エレミヤの苦難の意味とエレミヤ書の現代的意味

最後にエレミヤ書が現代にもっているそのメッセージの意味についてお話して、まとめとします。エレミヤの預言は、語られてすぐに実現しませんでした。エレミヤが語るのと違う事態がその直後に現われることもありました。そのため、エレミヤの預言は、真実性を疑われる危機に直面しました。エレミヤは、主に命じられて自ら木で軛を作り、首にはめて民の前に現われて、国の滅亡を語り、そのように王も民も捕囚にされると告げた時(27章)、ハナンヤはこれを打ち消し、主はバビロン王を打ち砕き、2年のうちに捕囚とされた王の軛は打ち砕かれ、神殿の祭具も、捕囚とされた王も民も帰ってくると語りまし。エレミヤはこのハナンヤの言葉に、アーメンといって、自分もそう願っているといいましたが、エレミヤは、「平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることが分かる」(28章9節)と語っています。ハナンヤは、そう語るエレミヤの首から軛をはずし、それを打ち砕き、同じ言葉を繰り返し語りました。エレミヤは、今度は鉄の軛をして現われ、バビロンによる国の滅亡と奴隷的支配が不可避で確実なことを告げました。そして、ハナンヤに向かっては、「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ」(28:15)と告げました。そしてハナンヤはエレミヤの言葉どおり、その年の7月に死んだといわれています。

エレミヤの預言は最終的には実現し、エレミヤの言葉を無視した王も、宗教的指導者たちも、民も、恐るべき結末を迎えました。永遠に滅びないと信じられていたダビデの血を引くユダ王国は滅び、エルサレムの町も、神殿も破壊され、王も国の主だった指導者たちも、多くの職人や、行政官僚たちも、宗教的な指導者たちも捕囚として連れ去られました。国に残ったのは、無力な貧しい人たちでした。エレミヤはこのような人たちの中にとどまり続けました。バビロン王は、アヒカムの子ゲダルヤを総督にし、バビロンに移送されなかった貧しい人々は、彼に委ねられました。エレミヤもまた、「ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった」(40:6)といわれています。エレミヤが一緒にとどまった人たちは、エレミヤを裏切り者として告発している人々でありました。しかし、エレミヤがなしたことがすべて民に実現したことを、彼らにはっきりと示すことができるのは、この地においてであったので、エレミヤはそこにとどまりました。

しかしエレミヤの苦難はなおも続きます。このミツパにたくさんの逃亡者たちが集まってきました。その一人に王家出身のイシュマエルは、ゲダルヤとその家来たちを奇襲して、一人残らず殺してしまいました。しかし、この殺戮を逃れた将校と兵士たちは速やかに集結し、イシュマエルを追撃し、彼を殺し、捕虜となった人を連れ帰りました。しかし、彼らはバビロンの報復を恐れてエジプトに向かおうとしました。彼らはエレミヤを尋ね、どのように歩むべきか主に祈って欲しいと頼みました。エレミヤは十日後、神の答えを聞き、「もし、あなたたちがこの国にとどまるならば、わたしはあなたたちを立て、倒しはしない。植えて、抜きはしない」(42:10)という主の言葉を告げました。しかし、人々はこのエレミヤの言葉を受け入れようとせず、バビロンを恐れて、エレミヤを一緒に連れてエジプトへ最後の逃亡を開始しました。しかし、エジプトに到着した後も主の言葉がエレミヤに臨み、エレミヤは主の言葉を告げねばなりませんでした。エレミヤはエジプトにおいても神の裁き告げねばならなかったのです。エレミヤは召命の日、アーモンドの枝を見ました。それはヘブライ語でシャーケード呼びますが、「見張っている者」(ショーケード)としてのエレミヤの務めを表わすしるしとなりました。エレミヤは、その務めをエジプトでも担うものとして、「見よ、わたしは彼らに災いをくだそうとして見張っている」(44:27)という務めを続けました。しかし、そこに一つの希望が語られています。「剣を逃れてエジプトの地からユダの国へ帰還する者の数はまことにわずかである。そのときエジプトへ移って寄留したユダの残留者はすべて、わたしの言葉か、彼らの言葉か、どちらが本当であったかを悟るであろう」(44:28)とエレミヤの言葉が続いているからです。これが、エレミヤが残した最後の言葉です。エレミヤはこの言葉を残して、エジプトで死んだと考えられています。

エレミヤが生前喜びとし、また同時に彼に苦しみを与えた、彼が聞き、語らねばならなかった主の言葉、バルクを通して書き留められた言葉はその後どうなったのでしょう。エレミヤの語った言葉は、エレミヤ自身も思いもよらない方法でユダに持ち帰られたと考えられます。それは彼の言葉に従って帰ったわずかな人の中に、エレミヤの協力者バルクがいたからです。エレミヤの忠告を聞かずに、祖国ユダに残された民、廃墟となった都エルサレムに残された民の中に、悔い改めようとする人びとがわずかではあってもいました。バルクはこれらの人々にエレミヤの言葉を記した例の巻物を持ち帰ったのです。人びとにとって、このエレミヤの言葉は宝となりました。彼らはエレミヤの言葉を受け入れ、そして新しい状況に向けてこれらの言葉を新しく語り始めました。エレミヤ書はこうして、現在の聖書の一部となりました。

エレミヤの語った言葉は、悔い改めを求めて語るというよりも、悔い改めない民に告げられた主の覆ることのない審きでありました。エレミヤはその意味で徹底した主の審きを語りました。しかし、その審きが言葉どおり実現するまで、エレミヤの語る預言を神の言葉として聞く人はほとんどいませんでした。しかし、審きは神が生きて働かれることの証しです。エレミヤにとって神の言葉は、常に現実へと向かい、神の現実を作り出し、神による救いさえ作り出す言葉として受けとめられました。神の言葉は、そのような生ける言葉として、今も現実を変える力を持っています。エレミヤの言葉は、人びとに歴史認識を転換させる意味を獲得しました。現在のエレミヤ書は、多くの編集者たちの手を経て出来上がっています。そのため、新しい状況の下でエレミヤの言葉が読み返され、語りなおされているところが多くあります。その点で読み方に注意がいります。捕囚後の時代を生きた、国の再建、信仰の再建に向けてその歴史を解釈した申命記的編集者たちの手によって、エレミヤ書に新しい解釈と、書き加えが認められると現代の多くの聖書研究者は述べています。

しかしエレミヤ書がなぜ今、私たちにとって大きな意味を持つのか、それは、時代の苦悩を共にして生きたエレミヤのその生き方が大きな意味を持つからです。エレミヤは時代の民が破滅へと向かうその中で、「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために」(1:10)語ることを主から要請されました、しかし、私たちの人生は、エレミヤが時代とその民と離れないで生きたように、私たちの人生もまたそこから離れて生きることができません。時代の苦悩は、また私たちの苦悩であり、その滅びも、救いも、共に、わたしたちを巻き込んで行きます。その中で、神の人としての人生を破壊するか、建てるか、それは、その中で神の言葉を聞くということに関わり、また時代に向かって語るその責任をわたしたちがいつも担わされているからです。そして、エレミヤの語った通り、主の言葉どおり、破滅が実現したとするならば、未来の救いへの希望、転換もまた、その言葉に聞く以外にない、という信仰を育てることになりました。神は悔い改めて、ご自身の下にたち帰る者を生かす神であることを人々は発見しました。エレミヤはこのために、「建て、植える」働きをしている、そのようにエレミヤ書は今も読まれるべき書です。

エレミヤは、律法主義の誤りについても最初に批判した預言者でありました(8:8)。またエレミヤは、「生ける水」としての神の言葉を指し示しました。そして、捕囚の地で、彼らを捕囚としたバビロンのために祈り、彼らの祝福を祈れと捕囚民に命じました。このようなことをいった預言者は、旧約聖書中エレミヤ以外にいません。それは主イエスの山上の説教に流れる精神です。

エレミヤの民と共に苦悩する生き方は、第二イザヤや、受難の僕の歌に流れる、信仰の歩みを先取りするものです。しかし、そのエレミヤの苦難の歩みの中に、また民への嘆きの言葉の奥底に、それを共にされる主の苦難、嘆きがあります。エレミヤに「いつもあなたと共にいて、救い出す」と語るのは、あのキリスト・イエスの贖罪的苦難をエレミヤの苦難を通して指し示された同じ主です。新約聖書はそのようにエレミヤの苦難を見ています。

第15回キリスト教講座 年表

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