キリスト教講座

第9回キリスト教講座『預言者、その時代と使信(1)エリヤ』

日時 2006年9月10日(日)午後2時-3時30分
場所 日本キリスト改革派八事教会
講師 鳥井一夫牧師

 

1.預言者出現の歴史的背景

このキリスト教講座では、今回からしばらく預言者をテーマにしてお話しすることにします。

R・レントルフという学者は、預言者の本質を特徴づける特質が二つあるといっています。一つは、彼らが神によって霊感を受けたこと、もう一つは、神の委託によって語ることである、と言っています。預言者は彼を召した神の名と委託によって語ることを主張して歴史の中に登場します。このような預言者は王国時代に登場します。なぜ彼らはその時代に登場したのか。そのことを聖書は明確に説明していません。だから、イスラエルの歴史を振り返り、預言者が語り、聖書が記す言葉から、王国時代になぜ預言者が表れることになったのかを見てゆきたく思います。

イスラエルはカナンの地で土地を取得する以前、エジプトで奴隷の苦役を体験し、神の約束と導きにより、その地を脱出し、カナンへ向けて荒野を旅しています。荒野時代、誰もが貧しく民の間に貧富の差というものがほとんどありませんでした。彼らは神の導きを受け、多くのものを共有し、互いに助け合って、多くの部族が一緒にカナン目指して旅をしました。彼らを導く神ヤハウエを信じ、その信仰によって民の一体性が保たれていました。荒野での神礼拝は天幕の中で守られ、彼らの主たる生業は小家畜を育てる牧畜でありました。

しかしカナンの地に土地を取得し、そこに王国を築くようになると、イスラエルの生活は一変していきます。彼らの生活は移住から定住へ移行します。主たる生業も牧畜から農業へと変化します。都市ができ、民の間に貧富の差が見られるようになります。そして、他の国のように王を持つ国に変わり、生活面でいろんな変化が急速に起こります。住む環境や習慣の変化は、人間のものの見方や考えに影響を与えます。今まで疑問に感じなかったことに疑問を感じたり、今まで当たり前のことのように考えていた習慣や行為が、違ったものに見えたり、違ったものにしなければならないように感じたりして戸惑いを覚えることがあります。そして、新しい土地で触れる宗教や文化が、人の目に優れていると感じたり、誘惑になることがあります。

宗教面での一番大きな影響は祭儀において現れました。その生業が牧畜中心から農業中心への変化は、祭儀における捧げ物自体に変化が見られることもありますし、たとえそれが変化しなくても、農作物が豊かに実り、そのことを通して神の祝福をいつも身近に感じて生きていたいという考えに支配されるようになります。カナンの地には、バアルを主神とする土地の宗教がありました。バアル宗教は、農作物の実りを保証するための役割を担うものと考えられていましたので、イスラエルの民もカナンの地で農業に従事するようになったとき、彼らはカナンの文化だけでなくその宗教的な考えや儀式などに影響を受けるようになりました。宗教というものを人間の目で見、それぞれの宗教を平面上において比較してみますと大した差はないように見えてきます。ヤハウエは牧畜を営むものの神、そういう割り切り方をする見方も、人間のための神という観点から見れば成り立つからです。

しかし、イスラエルの民の成立を見るときそのような見方はできません。イスラエルはヤハウエの選びによって、12の部族が一つの民にされたからです。しかもこの神は、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出エジプト記20:2)と言われます。イスラエルは主(ヤハウエ)のゆえに、エジプトにおける奴隷の苦役から解放された体験を、原体験として持っています。そしてこの神から、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20:3)命じられています。

ソロモンが神殿を建設したとき、イスラエルには神殿を建てる技術も材料もないので、ティルスの王ヒラムの助けを借り、フェニキアの工人たちを招いて造らせました。これら異邦の工人たちは自国の宗教的象徴をイメージして神殿を建てた可能性は十分あります。だから、ヤハウエのための神殿がそれらの異教的な象徴によって粉飾されたことでしょう。またソロモンは、エジプトのファラオの娘を妻に迎え、ほかにも多くの外国の女を愛し、彼女たちはソロモンの心を迷わせ、彼女たちの神に向かわせたということが列王記上11章1-3節において述べられています。

このソロモン王に見られる問題は、エリヤが立ち向かったアハブ王においてもっと顕著に見られます。ソロモン以後王国は分裂し、北はイスラエルと呼ばれ、南はユダと呼ばれていましたが、アハブはソロモン王の時代から約50年後の紀元前871年から852年までの22年間、北イスラエル王国の王として君臨しました。彼は、「シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した」(列王上16:31)といわれています。その北王国の首都サマリアは、アハブの父オムリが、シェメルから買い取り、築いた町です。オムリという名は、イスラエル人のものではなく、彼は外国人の傭兵隊長から王になったのではないかといわれている人物です。オムリはイスラエル人とカナン人の同化政策を積極的に推進し、国内でカナン的祭儀が行われることを許容するだけでなく、それを促進し、サマリアにカナンの神々を祭った聖所を建てさせたといわれますが、他方、彼はサマリアにヤハウエのための聖所も築き、そこに牛の像を建てています(ホセア5:6)。そして息子のアハブは、これをさらに推し進め、サマリアにバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築き、アシェラ像も造ったといわれます。列王記の著者は、この二人の王について厳しく、歴代の王の中でも最悪であったと非難していますが、その評価はあくまで宗教的な観点からなされています。オムリ王朝の軍事的成功と経済的な発展は歴代の為政者を凌ぐものがあり、オムリ王朝の没落後も、また北イスラエル王国の滅亡後においてさえ、アッシリアの文書では、イスラエルとパレスチナが、「オムリ家の地」と呼ばれ続けたほど、オムリ家への信望は国境を越えて高かった、といわれます。

しかし、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」というヤハウエ信仰の基盤が放棄されているオムリ家が支配する北イスラエル現実は、ヤハウエの民としてのイスラエル民族としての国家とは呼べない姿に変質していました。

これに対して、オバドヤのように主を恐れる宮廷長は、イゼベルが主の預言者を殺した時、主の預言者100人を救い出したといわれます。ヤハウエに忠実であろうとする人々のサークルから激しい抵抗運動も巻き起こり(マルチン・メツガー「古代イスラエル史」)、その代表が預言者エリヤでありました。

 

2.烏とやもめに養われるエリヤ(17章)

エリヤに関する物語は、列王記上17章1節から19章18節に大きな塊があり、それは六つの物語からなっています。それとやや離れて21章に、ナボテのぶどう園の話が記され、列王記下1章に、アハズヤの病気の話が記されています。最初に、預言者の特質は、第一に、神によって霊感を受けたこと、第二に、神の委託によって語ることである、と言うレントルフの意見を紹介しましたが、エリヤはこの要件を満たす預言者でありました。しかし、列王記の著者はエリヤのことを預言者とは言わず、「神の人」と呼んでいます。彼はティシュベ人でギレアデの住民であったといわれますが、そこは決して昔からのカナンの農耕地帯ではなく、イスラエルの植民地であった東ヨルダンにあり、イスラエルが常にバアル宗教に対して門を開いていたヨルダン西岸よりも、ヤハウエ信仰の持つ排他性が純粋に保持されたであろうと考えられる(フォン・ラート「旧約聖書神学Ⅱ」)といわれます。

このエリヤが突然アハブ王の前に現れて、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」(列王上17:1)と告げた後、ヨルダン川の東にあるケリト川のほとりに身を隠し、その川の水を飲み、烏によって養われた物語と、シドンのサレプタで一人の貧しいやもめによって養われた物語が17章に記されています。主の命令に従い、エリヤがこのやもめに作るようにと命じた「一切れのパン」の材料は、「壺の中に一握りの小麦粉」で、彼女が息子と死ぬ前に最後の食事をするためにとっておいたものです(列王上17:12)。それを与えれば、自分と息子は空腹を覚えたまま死ななければならない、残酷な要求であると彼女は感じていました。

しかしエリヤは、まず自分のために、その一握りの小麦粉を用い、小さいパン菓子を作って、もって来るようにいいます。そのことをした後であなたとあなたの息子のために食べ物を作れというのです。なぜそんな命令をエリヤは彼女に与えるのか、与えることができるのか、その理由を主の言葉として次のように述べています。

主が地の面に雨を降らせる日まで
壺の粉は尽きることなく
瓶の油はなくならない。

やもめはエリヤのこの言葉を、主の言葉と信じなければ、そのことを実行に移すことができません。彼女がエリヤの言葉どおりに行ったことは、彼女が信仰を持って応答したことを示しています。果たしてその言葉どおり実現し、彼女もエリヤも、彼女の家の者も幾日も食べるものに事欠かなかったといわれますが、彼女の息子が後に病気で死ぬということが起こります。彼女はその息子の死は、エリヤによってもたらされたと考え、その苦しみをエリヤに訴えます。エリヤはこの息子のために主に祈り、主によってその命が元に戻されるという経験をます。

17章に記されているこれら三つの物語は、一方で、アハブの建てた象牙の家(列王上22:39)に比べ、その支配のもとで苦しめられ、貧しく暮らしている民の現実を明らかにしつつ、他方、ヤハウエはこのバアル宗教にかぶれる王家が支配する地においても神として支配しておられ、自然も、人の命も支配し、食べ物も与えることができる神であることを明らかにしています。サレプタの女が最後に述べた、「今わたしは分りました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です」という告白は、この物語を読む者すべての告白となるよう要請されています。

 

3.たった一人でバアルの預言者と対決するエリヤ(18章)

あの飢饉の予告の日から3年目に、主の言葉がエリヤに再び臨みます。エリヤはアハブ王の前に再び立ち、アハブ王にイゼベルの食卓に着く450人のバアルの預言者、400人のアシェラの預言者をカルメル山に集めるよう告げます。そこでエリヤはたった一人で、対決しようというのです。カルメル山には、ダビデ時代以降ヤハウエの祭壇が築かれていましたが、そこは大昔からカルメルのバアルの祭儀の領域でありました。そこにふたつの祭壇が仲良く並置されるということは、ヤハウエの祭壇が荒廃せざるを得ないことを意味していました。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」と言われているのに、それが並置されるということは、実際問題として、ヤハウエではなくバアルへの信仰の優位を認めるか、ヤハウエ信仰のバアル化という変質が起こらないと、ありえないからです。

エリヤは、二頭の雄牛を用意するよう命じます。一頭は、バアルの預言者たちのために、もう一頭は、エリヤのために用意させます。薪の上にそれぞれ裂かれた雄牛を同じように載せ、それぞれの神の名を呼び、火を持って答える神こそ真実の神であるという、提案をします。エリヤはまずバアルの預言者たちに、彼らの神の名を呼ぶようにいいます。大声で叫んでも、その祭壇の周りを飛び跳ねて回っても、火を持ってこたえるという事態が起こりません。彼らは体を剣や槍で体を傷つけて祈願しますが、バアルは火を持って答えることができません。

今度はエリヤの番です。エリヤは、祭壇の周りに溝を掘り、薪の上に水をかけ、祭壇全体を水浸しにするように命じます。そしてエリヤが、主が御言葉によって行ったことが明らかになるように、わたしに答えてくだるなら、民はあなたが神であることがわかり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることがわかります、と静かに祈ったところ、主の火が降ってきて、献げ物と薪などを焼き尽くしたといわれます。そしてこれを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った、と記されています。その後、エリヤはバアルの預言者を捕らえ、キション川に連れていって皆殺しにしたといわれます。それは、わたしたちの目には非常に残酷な処置のように見えますが、「主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる」(出エジプト記22:19)という法に則って、エリヤはそれを実行しています。エリヤがこの対決で問うた問題は何であったか、それを深く考える必要があります。

それは、「イスラエルには、相異なる宗教的可能性での間での随意の選択はありえない」(レントルフ)ということです。

そして、この出来事は、ヤハウエが単に牧畜者の神ではなく、農業に従事するものの神でもあり、雨を降らすことができるのはバアルではなくヤハウエであり、ヤハウエは自然も歴史も支配される神であることを示しています。

 

4.ホレブでの出来事で示されたこと(列王記上19章)

エリヤがバアルの預言者たちを剣で皆殺しにしたというニュースがイゼベルに告げられると、彼女は使者を遣わして、エリヤに対する報復が布告されます。それを聞いたエリヤは、恐れを抱き逃亡します。そしてベエル・シェバのえにしだの木の下にやって来て、そこで命が絶たれることを主に願います。しかし主の御使いに励まされて、そこから四十日四十夜歩き続けて、ついに神の山ホレブに着いて、そこで静かにささやく主の声を聴きます。そこはかつてモーセに十戒が授けられた場所です。「エリヤよ、ここで何をしているのか」という主の声に、エリヤは、「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています」(列王上19:10)と答え、イスラエルにおいてはヤハウエ信仰が決定的に破綻してしまったという認識を示しています。イゼベルがなお力を持ち、そのイゼベルによって自分が追われている現実を彼はそのように認識していたのです。たった一人でバアルの預言者450人と戦ったエリヤが、一人イゼベルという女性を恐れて絶命を願ったとは考えにくいことです。おそらく事実は、そのように戦ったにもかかわらず、イスラエルにはヤハウエを信じる民が一人もいないという現実に対する絶望、恐れから、彼は絶命を願ったというのが真相のようです。しかし、ここで主は、風の中にも、地震の中にも、火の中にもご自身を示されず、静かにささやく声でご自身を示されました。そこでイスラエルは決して終わっていないという主の声を聞きます。そしてエリヤは、二人の人を任命し、委託を与えねばならないという使命を授けられます。それはアラムのハザエルとイエフの両名です。ハザエルはイスラエルに対する罰を外から向け、イエフは内から与えるものとなるというものです。しかし、その主の審きによってイスラエルは終わるのではなく、イスラエルにはバアルにひざをかがめず、これに口付けしなかった7千人を残す、という主の言葉を聞きます。

このホレブの出来事は、いくつかの重要な神学的示唆を与えてくれています。イスラエルにヤハウエ信仰を残し守るのは、預言者ではなく、主の意思によるということです。預言者はその主の遺志を実現するための手、その道具として用いられるに過ぎない存在でしかないということです。神が残りの者を定め、神はエリヤにまだ存在の隠されている人々を知っています。この残りの者は忠信なる者から成り立っていますが、来るべき困難がまだ始まらない以前に、彼らが救われることが、神の選びにおいてすでに決断されています。そしてその計画を神は預言者に啓示しますが、この神の啓示は、エリヤにとって同時に免職を意味していました。彼はなお三つの主の委託を実施しなければなりませんが、そのあとには、主はもはやエリヤを必要としません。ただエリヤは、主が将来イスラエルに恩恵深く差し伸べることを知りうるのみです。神が選んだ残りの者から新しいイスラエルが成長する、この神の言葉には、あらゆる不正義や、困難に苦しめられている者に大きな希望を与える使信となりました。このホレブの出来事は、神に背く王国も王も神は審かれるが、その審きは絶滅を意味せず、神の新しい救いの始まりを意味することを明らかにします。神がその審きにおいてもなお残りの者を残し、新しいイスラエルの歴史を神が開かれるのは、神の計画と約束は人間の罪によっても失われず、不変であることを示しています。しかしそこに審きのあることを語ることによって、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20:3)という神の意志を破る者を決して赦さないという強い神の意志が示されています。そのようにして、歴史の中での神への人間の責任(信仰の応答の大切さ)を同時に明らかにしています。エリヤがホレブまで戻されたのは、その信仰が曖昧にされない神の約束と、神の前に生きる人間の信仰のあり方を学ばせるためです。

 

5.ナボテ物語(列王記上21章)とアハジア物語(列王記下1章)が示すこと

ナボテのブドウ畑の物語は、列王記上21章に記されています。それは、アハブ王がナボトの所有するブドウ畑を買いたいと持ちかけたが、ナボトは先祖から伝わる嗣業の地であるのでそれを譲るわけにはゆかないといって断ってので、アハブ王が機嫌をそこね、食事も取らずにいるのを見たイゼベルが、アハブ王に知恵を授けて、「ナボトが王を呪った」ということを証言する虚偽の証人を雇い、ナボトを石打ちにしてしまう、という事件です。イスラエルの法では、律法の前にはすべての人が平等で、王さえそれに従わざるを得ないことになっています。しかしカナン都市王国においては、王の持つ権利と権限は専横的で絶対であるという理解があります。そういう意味では、この事件は二つの法理念の対立であったということができます。イスラエルの土地法の理解の根底には、土地は神のもので、ただ使用するために神がそれをイスラエルに委ねたものであるので、誰であれ勝手に処分することは赦されないという理念があります。エリヤはアハブに対し、神がその行為の故に王を処罰すると告げました。

この事件において、預言者は何か新しいことを語ったり、示したりしていません。預言者は、神がイスラエルに約束し、それを守るようにと命じた伝承(伝統)に立ち、その権利侵害を、神の持っておられる本来の権利侵害として、それを犯すものを糾弾し、その者に下される神の審判を告げる任務を委託された者として、語り、かつ行為しています。王が私利私欲のためや、神への信頼ではなく人間的な判断を優先させて政治的決断を行うときなど、本来のヤハウエ信仰から逸脱する場合、神は預言者を立て、その権利を守るよう働きかけます。王国時代に預言者がより多く現れたのは、そのような事態がこの時代により多く見られたことと深く関係があります。アハブ王のように王の権威を傘に、貧しい者に神から与えられている権利侵害に対して、主の正義にたってエリヤもアモスも激しい抗議と神の審判を語りました。

現代において、エリヤのような特別な委託を受けた預言者がいるわけでありませんが、聖書の使信全体から、教会は「世の光」として、そのような預言者的な使命を今なお与えられていることを自覚する必要があります。御言葉は来るべき救いのための言葉であると同時に、来るべき救いを見定めつつ、現在の時を如何に生きるべきか、世にあってどのように生きるべきかをも指し示すものでもあります。世を現在支配しているのは主です。その国の環境が異教的な雰囲気やものの考えが強く、世の動き全体がそのように支配されているように見えても、この世界を支配し歴史を導くのは主です。主は祝福を約束したものと共にいて、導きを与え、主を信じるものが直面する戦いの中に臨在と導きを表される方であることを、このエリヤ物語から学ぶことが大切です。

列王記下1章に記されているアハズヤ王が屋上の部屋の窓から落ちて病気になった時、アハズヤは主なるヤハウエではなく、エクロンの神バアル・ゼブブに伺いを立て、それによって癒されたいと願った物語では、アハズヤのその行為は、不信仰であり、ヤハウエからの逸脱であり、第一戒に対する罪として断罪されています。この断罪に関しても厳しいと思われるかもしれませんが、これは主に選ばれた民に対して与えられている主の守りと導きにのみにより頼もうとしない、二つの神に兼ね仕えようとする者は、神の祝福に値せず、滅びを持って答えるしかないという主の答えをエリヤは示しています。

しかし異教徒であったナアマンに対して、エリヤの弟子エリシャは、同じような厳しさでヤハウエに対する信仰を求めることはありませんでした。彼に対する主の自由な恵みの支配と導きにゆだねるという異なる対応をとっています。このように預言者は決して御言葉を一義的に解していません。主の民と既にされて、その恵みに豊かに味わうべく信仰が要請されている者には、それに反する不信仰を表明したとき、あらかじめ語られた審きの原則に従って、厳しい神の審判を告げています。

 

6.まとめ

預言者は、その時代における神の良心の声を反映するものとして立てられています。その時代が神の言葉とその原則を見失いかけたとき、特に民を導くべく立てられた王が神の真理から遠ざかるとき、神は預言者を通し、彼に委託してご自身の審きを告げられます。しかし、その目的は審くことではなく、民を悔い改めに導き、約束した救いの恵みに留まり、それに与らせるためです。

エリヤにおいて新しく示された出来事として一つ語ることがあるとすれば、それは、神は約束に従って民を審き、民を破滅させるが、しかし残りの者を残すということです。これは今までのイスラエルの歴史に現れなかった、示されなかった全く新しい出来事です。そしてこれはエリヤ以後の預言者たちが完成していかねばならなかった事柄の開始でしかない、出来事でありました。

いずれにせよ預言者の第一の使命は、神の委託によって、神の意思を告げ、主の民を正しい方向に御言葉によって示すことにあります。その場合、主が示される約束に生きる信仰を民に促す言葉の務めにこそ彼の真の役割があります。たとえ時代の民がそれを拒んでも、彼自身が退けられることになったとしても、彼にはそれが神から与えられた召しである故に、それを全うしなければならないのです。そして、神がその使命から解いた時、彼はその働きの場から退かなければなりません。エリヤはそのような預言者の歴史の最初に立たされた人物として記憶されなければなりません。

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