キリスト教講座
第13回キリスト教講座『イエスの最初の弟子となった人間ペトロ-その人間性と信仰-』
日時 2007年6月10日(日)午後2時-3時30分
場所 日本キリスト改革派八事教会
講師 鳥井一夫牧師
1. はじめに
本講座ではこれまで、旧約聖書に見られる信仰、預言者など、旧約聖書に関係のある事柄を主に取り上げてきました。それは、新約聖書に示されているキリスト教信仰の背景、土台となることを理解した上で、新約聖書を学んだ方が新約聖書に示されている福音をより豊かに、より深く理解できるという考えがあったからです。新約聖書理解の前提となる旧約聖書の学びがすべと終わったわけでも、それで十分と考えているわけでもありませんし、これからもその学びを続けて生きたいと考えていますが、今回は新約聖書からの学びをします。
今回取り上げますのは、イエスの最初の弟子となったペトロという人物です。彼のもつ人間性は、私たちと同じ弱さを持っています。数々の失敗を犯す、特別な神学的な素養もない、無学な普通の人です。そのような人間ペトロがなぜイエスの最初の弟子に選ばれたのか、その理由は、同じ弱さを持つ人間を救うためです。彼の弱い人間性を愛の眼差しで見つめながら訓練し、ご自身の救いを宣べ伝える弟子とされたイエスとの関係は、その後の教会とイエスとの関係をも示しています。ペトロのイエスとの出合い、共なる歩みの足跡をたどりながら、彼の人間性とその信仰が何であったのか、新約聖書が伝える救いとは何か、などについて共に考えたく思います。
2. ヨハネの弟子からイエスの弟子へ
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。・・・
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。・・・ ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。 (ヨハネによる福音書1章29-35節)
この聖書の記事から見る限り、ペトロを厳密な意味でイエスの最初の弟子といえません。彼はバプテスマのヨハネの弟子でありましたが、ヨハネが指し示す言葉に従ってイエスの弟子となりますが、最初にイエスに従ったのは弟のアンデレでペトロは彼の証言に導かれてイエスの弟子となったことがここに明らかにされています。しかし、新約聖書が十二弟子の名を記す時は、必ず彼の名を最初に記し、ペトロが弟子の筆頭格に当たることを明らかにしています。だから、この講座においては、ペトロをイエスの最初の弟子として扱うことにします。
新約聖書はヨハネの存在をイエスの先駆者として指し示しています。最古の福音書であるマルコ福音書1章は、そのことを明瞭にしています。ヨハネは「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」とのイザヤ書の言葉に従い、荒れ野に現われ、罪の赦しを得るよう悔い改めて洗礼を受けるように宣べ伝えていました。彼はヨルダン川で、罪の告白をした者にバプテスマを授けていました。ヨハネは、イエスを「世の罪を取り除く神の羊」、「わたしよりまさる方」として指し示しています。ヨハネは「光」について証しする者にすぎず、ヨハネは、イエスが「まことの光」として来られたと証ししています(ヨハネ1:9)。
「ヨハネは当時の人間社会の現実が神の意志に反する人間のあり方、その結果とみなし、裁く神からの使者として、そのような堕落した現実をもたらしている人間の罪を厳しく糾弾し、近づきつつある終末に備えて、いま悔い改めて自分の罪を告白し、生活を改めて、神によって下される審判をまぬがれるための洗礼を施した。
それに対して、イエスは神の最後的審判が人間を滅ぼすためではなくて人間を救うための神の行為であると理解した。彼は、審判の神に代わって恵みの神を説き、罪の告白と悔い改めに新しい理解と意味を与えた。憐れみの神がいまここにおいて罪人をさえ受け入れ罪の赦しを提供する恵みの支配を樹立しつつあることを宣言し、生活と振る舞いを通してその徴(しるし)を与えようとした。罪の告白はもはや救いの前提となる条件、近づく審判における安全を確保するための準備ではなくて、むしろ神の救いの体験から生じる結果であり、悔い改めは救いがもたらす生活の一新である。そこにみられるのは、もはや神による裁きの脅威のもとでの不安に怯(おび)えながら送られる厳格で禁欲的な生活ではなくて、神に受け入れられ彼の慈愛の下に生きるものが示すことのできる感謝と喜びにあふれた生活であった。」(小河陽『パウロとペテロ』講談社、45頁)
ペトロがヨハネからイエスの弟子へと向かうその歩みには、小河氏が指摘するような福音理解が最初からあったということはできなくても、根底にはその福音理解があったということができるでしょう。
3. 人間をとる漁師
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。(マルコによる福音書1章16-20節)
ペトロ(シモン)をはじめとするイエスの最初の弟子となった人たちはガリラヤ湖で漁師を生業(なりわい)としていました。「漁師という職業は、当時の住民の社会層でいえば中間層に属するが、ごく一握りの支配層である上級階級とは極端な開きがあり、中間層といってもその下方に位置していて、圧倒的多数として広がっている底辺層に限りなく近かった」(前掲書30頁)といわれます。彼らは宗教的にも差別されていて神の救いから遠い存在と考えられていました。エルサレムの支配者層の目から見れば、彼らは「無学な普通の人」(使徒4:13)でしかなかった。ペトロの父は息子に職業訓練は施したでしょうが、通常のユダヤ人が会堂(シナゴーグ)で受ける学習以上の教育を施す経済的な余裕も持たなかったと考えられます。漁師は文字通り貧しい、その稼ぎは日雇い労働者の稼ぎをさほど上回らない程度だったといわれています。そのような人たちを最初の弟子にイエスが選ばれたのは、貧しい人、弱い立場にある人びとを救うためです。彼らを弟子として、そのあと直ぐにイエスが伝道を行なった場所はカファルナウムであったことをマルコ福音書は明らかにしていますが、そこにはペトロの家がありました。それはガリラヤ湖の北岸でヨルダン川の西に位置していましたが、ペトロ自身はそこから東へ4キロほど離れたヨルダン川の東にあるベトサイダの出身でした。彼は結婚を機にカファルナウムに移住し弟のアンデレも、姑も一緒に住んでいた(マルコ1:29,31)といわれていますが、元は姑の家であったのかもしれません。カファルナウムでイエスが弟子たちを伴なって最初に行なったのは、会堂に入って教え、汚れた霊に取り付かれている人を癒す業です。その後ペトロの家に招かれてイエスは訪れていますが、それは、ペトロの姑が熱を出して寝ていたためです。イエスは彼女を癒し、癒された彼女は「一同をもてなした」といわれます。そしてその家の戸口では、町中の人たちが集まってきて、病人や悪霊に取りつかれた人たちもやって来て、イエスはそれらの人たちを癒されたといわれています。このペトロの家はイエスの伝道の拠点となりますが、その遺構とされるペトロの家が、1970年代に発掘されています。その家は、1世紀の中頃には公共の場所として用いられるように改造され、5世紀には教会堂に変えられ、そしていつのころかそれはペトロの家と信じられるようになったといわれています。
マルコ福音書1章16節以下に記されているペトロの召命記事には、「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」というイエスの言葉に、ペトロとアンデレは「すぐに網を捨てて従った」とあります。これは、「わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てて・・・」(マルコ10:29)従う信仰の行為として記されています。主は、そのように従う者に、「今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける」(マルコ10:39)と約束しておられます。ペトロとアンデレは文字通りそれを実行したわけでありません。しかし、主に従うことを第一とした彼らの生活ぶりは、自分の家を主の働きのために開放したり、家族の全員が主のために働くそういう家族に変わったという点で、ペトロはそれ以上の献身をしたということもできます。
4. ペトロの名の由来
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(マタイによる福音書16章13-20節)
ペトロという名は、キリスト告白によって、主イエスから与えられた名であるとここに記されていますが、彼の生来(せいらい)の名はシモンです。これはギリシャ名で、アラム語ではシメオンとなります。その名は、シェマー(「聞く」)に由来するといわれます。ペトロという名はローマ統治時代のユダヤ人名としては珍しい名ではなかったといわれます。彼の場合、アラム語の名前シメオンにつけられた渾名(あだな)「ケファ」のギリシャ語訳として新約聖書において用いられています。「ケファ」は石や石の塊、集まりを意味し、「岩」の意味では副次的に、それも稀にしか用いられません。ギリシャ語の「ペトロス」(単数形)は、成長した岩、岩山、岩礁、岩窟、洞窟までを含む「岩」を言い表す「ペトラ」(複数形)と違い、一貫して小さな石の意味で用いられます。
このケファ/ペトロという名前はキリスト教以前には固有名詞としての用例はほとんど見出されない。にもかかわらず、この名前が早くからキリスト教の伝承において単独で固有名詞として定着したのは、この名が重要な意義が込められたものとして敬意の対象にされたことがうかがわれ、それは単なる「小石」ではなく、「宝石」あるいは建築の「礎石」の意味を込めて呼ばれたように思われる(前掲書27頁)。教会の土台、礎石はどこまでもキリストご自身ですが、イエスのことをキリストと告白したペトロは、礎石として、その上に主イエスはご自身の教会を建てるという約束を与えておられます。それだけでなく、彼には天国の鍵の権能さえ与えられています。ローマ・カトリック教会はこのペトロに与えられた首位権を継承するものとして教皇の地位と無謬を主張しますが、プロテスタント、とりわけ私たちの教会は、その礎石は、キリスト告白にあると理解し、教会はその土台の上に建てられる、という理解に立っています。また、マタイ18章8節以下には、この天国の鍵の権能は、「あなたがたが」という複数形で、弟子たち全員に与えられたものとして語られていますので、その権能は一人の人に独占的に継承されるものとして主張することはできません。そして、イエスは、「わたしをだれというか」という質問を、ペトロひとりにしたのではなく、弟子たち全員に向かって、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と質問しておられるので、このときのペトロの答えはあくまで弟子たちを代表しての形をとられています。福音書が報告しているイエスとペトロの問答の多くは、その形式が採られています。
ペトロの「あなたはメシア、生ける神の子です。」という告白は、本来、メシアであるイエスが約束された終末的救いの成就者としてこられたという信仰の告白を意味するものであるはずですが、このときのペトロの告白には、そのような信仰がまだ伴なっていなかったという事実は、その直後になされるイエスの受難予告を聞いた時のペトロの反応で明らかになります。
5. 十字架のもとなる教会
それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」(マルコによる福音書8章31-38節)
ペトロをはじめとする弟子たちが宣べ伝えるべき福音とは、十字架の福音です。十字架につけられたキリストが罪と死の力に勝利され、その支配の下に苦しんでいた人々を救う救い主となられたという事実は、復活という出来事によって明らかにされます。しかし、この時のペトロは、まだその事実を知りません。だからそれは信仰を持って受けとめる以外にありません。しかし、ペトロにはそこまでの信仰の理解がなかったこと、彼のキリスト告白は、その信仰に基づくものとはなっていなかったことが、受難予告されたイエスをいさめたという彼の態度において明らかにされています。イエスは、ご自分をいさめるペトロに対して、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」という厳しく叱責しておられます。
神のことを人間のこととして理解する、そこからは神の救いは見えてきません。サタンは、神の事柄をそのように人間的に解釈させようと誘惑してきます。ペトロの心はまさにそのように誘惑に負けています。イエスの一番弟子でさえそのような信仰しか最初はもてなかった、そこにまた私たちの問題が語られているように思えます。また、十字架の主を証する者として主に従う者となるとなるには、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」という言葉に聞き従う信仰が求められています。そして、それは自分の命をさえ惜しまず、主を恥じずに生きる信仰として求められています。
「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」ペトロは、十字架への道を歩まれる地上のイエスと共に歩んでいる時、主が求められるこの道を歩むことができなかったのです。十字架の下には実際、十二弟子の姿はありません。十字架を目撃したのは女性たちです。ペトロは、口では十字架を背負って歩むことができると告白し、そのように生きようと思ってはいたのですが、できなかったのです。人間のことをどうしても思うペトロ、その人間性の限界、その中で主に従う事を考えるペトロの問題は、まさに私たち自身の問題として新約聖書は語っています。
6. 離反予告とゲッセマネの祈り
イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。
『わたしは羊飼いを打つ。
すると、羊は散ってしまう』
と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。(マルコによる福音書14章27-31節)
この離反予告を聞いた後、弟子たちはゲッセマネの祈りの場にイエスに伴なわれていきます。ゲッセマネの祈りは、自らに課せられた使命の重さに苦しむイエスの激しい苦悩をあらわしています。神の御子が父である神に見捨てられるという苦しみ、それが十字架であったからです。この悲しみに耐えて、イエスは父の御心に従わねば、メシアとしての使命を果たすことができないからです。しかし、この祈り場で弟子たちは、眠ってしまいます。「心は燃えても、肉体は弱い」というイエスの言葉が示すように、人の熱意というのはそれほどさめやすく弱いということが、この出来事に象徴的に示されています。
ルカ福音書には、離反予告の際にペトロに対して語られたイエスの言葉が次のように記されています。
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-32)
このとき、イエスは教会の礎石となるペトロの名ではなく、彼の生来の名シモンの名で呼びかけておられます。それは人間の弱さに目を留めておられるイエスの愛の眼差しであり、言葉であります。サタンの誘惑に負けて裏切ることになるペトロの信仰がなくならないように祈られたイエスの祈りがなければ、彼は立ち直ることができなかったことでしょう。
ペトロは、この後、イスカリオテのユダの手引きで捕らえられたイエスがどうなるか心配で、裁判が行なわれる大祭司の中庭まで入って行き、事態を見守ろうとします。そのペトロのところに大祭司に仕える女中の一人が来て、「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた。」といいます。ペトロは打ち消して、「あなたが何のことを言っているのか、わたしには分からないし、見当もつかない」と言った時、一度目の鶏の鳴き声を彼は聞きます。そして女中が再びペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした時、ペトロは、再び打ち消し、二度目の否認の言葉を述べています。それからしばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに、「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」というと、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓ってまで、キリストの弟子であることを否定しています。そして、二度目の鶏の鳴き声を聞いたペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした、とマルコ福音書の記者は記しています。ルカは、「主は振り向いてペトロを見つめられた。」という光景を記しています。この時の主イエスの眼差しは、ペトロの人間的な弱さを軽蔑するものではありません。彼の信仰がなくならないように祈ったイエスの眼差しです。イエスを否んでしまった悲しみ、弱さに、自己嫌悪して激しく泣くペトロの弱さを思いやる、イエスの深い愛から出る眼差しです。彼の罪や弱さを赦す眼差しです。イエスは彼の弱さを担い十字架への道を歩まれます。この弱さはペトロだけでなく、他の弟子たちも持っている弱さであり、私たちの持っている弱さでもあります。
マルコは、十字架の下には弟子たちの姿はなく、イエスに従った婦人たちだけがそこにいたこと、イエスの墓を訪ねたのも婦人たちであったという事実を報告しています。しかしそこにあったのは空の墓だけで、彼女たちの前に現われたのは、白い衣を着た若者で、その若者から、あの方は復活なさってここにはいないという言葉と共に、弟子たちとペトロに告げるべき言葉として、「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」という言葉を聞きました。それは、イエスが弟子たちの離反を予告された時、「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」という約束が成就したことを告げる言葉です。ペトロはこの報告を受けてイエスの墓を訪ねていますが、そこには亜麻布だけが置いてあり、墓は空であったことを、ルカとヨハネ福音書は報告しています。
7. ペトロの信仰
ペトロ個人の信仰を新約聖書が生き生きとした姿で伝えているのは、ガリラヤ湖を舞台にした場面においてです。彼の召命の機会は、まさにそこで魚を取るために網を打っている時におとずれました。「わたしについてきなさい」というイエスの招きに、「すぐ網を捨てて従う」点において、ペトロの信仰にはアブラハムの信仰と共通したものがあります。
しかし、その信仰は、嵐に翻弄されて恐怖に怯える信仰です。嵐の湖上を歩くイエスを幽霊と勘違いして恐れますが、「安心しなさい。恐れることはない」と呼びかける言葉を聞いて、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」とイエスに願う、軽薄なところがあります。イエスの「来なさい」という言葉に従って、舟から降りて、イエスの方へ進みますが、途中でイエスから目をそらし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけ、「主よ、助けてください」と叫んでしまう一貫性のない信仰の姿をさらけ出しています。その出来事がマタイ福音書14章22節以下に報告されています。彼の信仰は、直情的で素直ではあるが最後まで主に信頼して従えない弱さがあることがこの物語によく表わされています。
ヨハネ福音書21章には、復活の主がガリラヤ湖で漁をしている弟子たちのところに現れた物語の後に、イエスがペトロに「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と三度尋ねられた物語が記されています。三度も尋ねられたペトロは悲しくなり、「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」と答えています。するとイエスは、「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」とペトロに告げています。
しかし、ペトロは、「わたしに従いなさい」と言われた後、振り向いて、「主よ、この人はどうなるのでしょう」と主に尋ねています。その時、主は、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」とペトロに告げています。主の一番弟子として選ばれたペトロは、このように人のことを気にしながら生きる弱さをもつ人間です。しかし、イエスは人の事を気にせず、「あなたは、わたしに従いなさい。」とペテロに呼びかけています。このように人のことを気にする弱さは、わたしたちにもあることです。「あなたは、わたしに従いなさい。」という言葉は、まさにわたしたち一人一人に呼びかけられている言葉として聞くことが求められています。
人の目を気にするペトロ性格は、アンティオキアの出来事にもよく現われています。それは、ガラテヤの信徒への手紙に次のように報告されています。
さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」(ガラテヤ2:11-14)
人の目を気にする弱さはなかなか克服できない問題ではありますが、それは福音の自由、理解の問題としてパウロに指摘されてペトロははっとしたのではないでしょうか。
8. 伝道者ペトロ
使徒言行録2章には、聖霊降臨を経験した教会の変貌ぶりが報告されていますが、それは宣教する教会としての姿です。あの迫害を恐れていたペトロと十一人は大胆に復活の主を証する説教を行い、主イエスが行なわれたような力ある業も行っている姿が報告されています。3章には、神殿で説教するペトロの姿が報告されていますし、4章には、イエスが死者の中から復活したと宣べ伝えたことにより、捕らえられて議会で取調べを受けているペトロの姿が報告されています。「無学で普通の人」でしかないと思われるペトロとヨハネの大胆な態度に驚く人々の姿が記されています。
ここにはあの人を恐れるペトロの姿はありません。教会指導者として、伝道者として堂々と振る舞い、福音を宣教する姿がそこにあります。やがて、厳しい迫害がエルサレムにおいて顕著に見られるようになります。その象徴的出来事として、7章にはステパノの殉教の出来事が報告されています。そのため、「使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」(使徒8:1)といわれますが、この迫害を契機に、エルサレムの教会における指導はペトロから主の兄弟ヤコブ(イエスの弟)に移っていくことになります。それは、ヤコブが律法に忠実な生活をしていたので、ヤコブが指導するほうがエルサレム教会はユダヤ人の迫害をあまり受けずにすんだからです。パウロはガラテヤ書2章9節で、「ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たち」と呼んでいます。エルサレムの教会の筆頭はペトロではなくヤコブとなっていたことは。この順序に示されています。ペトロはエルサレムの教会の指導的立場を完全に主の兄弟ヤコブに譲り、自らは「割礼を受けた人びとに対する福音を任された」者として、伝道に専念していたと思われます。
それは、ペトロが主イエスから託された本来の務めでありました。ペトロは人間的な弱さを持ちながらも、大胆に福音宣教の業に専念して行ったものと思われます。ペトロは、パウロのように神学的な知識を持ち合わせてはいませんでした。またその伝道はユダヤ人伝道に専念するという形をとったので、その影響も限られたものになりましたが、彼はエルサレム以外の地域におけるユダヤ人伝道、地方伝道に専念し、その働きは、大衆伝道者としての働きであり、パウロに劣らない大きな働きをしたということができるでしょう。その場合、彼の弱さも、同じ弱さをもつ人間に対する彼の思いやりとして、用いられたことでしょう。
キリスト教講座
- 第1回 旧約聖書の語る神(1)語りかけ約束する神-アブラハム物語を通して-
- 第2回 旧約聖書の語る神(2)苦難を共にされる摂理の神-ヨセフ物語から-
- 第3回キリスト教講座 旧約聖書の語る神(3) 共にある神-モーセの召命物語を通して-
- 第4回キリスト教講座 主題『旧約聖書を貫く信仰-写本伝達に見る神の言葉への信仰-』
- 第5回キリスト教講座-主題 『十戒-キリスト教信仰と倫理、そして現代倫理を考える』
- 第6回キリスト教講座『恵みと憐れみの神-新約聖書の福音理解と宣教の架け橋ヨナ書』
- 第8回キリスト教講座 『今、平和を考える-聖書から見た現代世界における平和-』
- 第9回キリスト教講座『預言者、その時代と使信(1)エリヤ』
- 第10回キリスト教講座『預言者、その時代と使信(2)アモス-主の正義と公平-』
- 第11回キリスト教講座『預言者、その時代と使信(3)ホセア-愛する神-』
- 第12回キリスト教講座『預言者、その時代と使信(4)アモツの子イザヤ』
- 第13回キリスト教講座『イエスの最初の弟子となった人間ペトロ-その人間性と信仰-』
- 第14回キリスト教講座『闇から光へーバビロン捕囚とイスラエル(1)哀歌・申命記史家』
- 第15回キリスト教講座『闇から光へーバビロン捕囚とイスラエル(2) 破局の時代を生きた預言者エレミヤ』性と信仰-』
- 第16回キリスト教講座『闇から光へーバビロン捕囚とイスラエル(3) 神の見張り人エゼキエル』
- 第17回キリスト教講座『地震と教会とコミュニティー-東海・南海地震への備えは大丈夫なのか-』
- 第19回キリスト教講座『闇から光へーバビロン捕囚とイスラエル(4)神の慰めを告げた預言者第二イザヤ』