キリスト教講座

第12回キリスト教講座『預言者、その時代と使信(4)アモツの子イザヤ』

日時 2007年3月11日(日)午後2時-3時30分
場所 日本キリスト改革派八事教会
講師 鳥井一夫牧師

 

1. はじめに

イザヤは、激動の時代を生きた人物預言者です。イザヤは、巨大な世界帝国の侵略の中で、この歴史を支配し、動かしているのは誰か、その根源に立ち帰って考え、神が歴史を支配しておられる事実を発見し、その支配の前で静かな心で神の導きに委ねて生きる道を人々に示し、立たせようとした預言者です。イザヤが獲得した視座は、何が確かなものか見えにくくなっている現代においてこそ、回復しなければならない大切な視座です。巨大な歯車のように、今世界はグローバル化して動いています。その中で小さな人間存在は、無力に感じ、絶望したり、無気力になるか、あるいは時流に乗って、その巨大な歯車に乗ろうとする生き方を求めるか、いずれかであることが多い。しかし、それはいずれも神の歴史支配を信じないという点で、人間に絶望するか、人間の力にどこまでも頼ろうとする生き方への選択に帰結してしまいます。そうではない、神の歴史支配を信ずる静かな心で生きる、神の正義と公平に一致する調和の取れた生き方を探求する第三の道があります。それは時代を超えた、時代に流されない、また国家の動きや、国際社会の動きに左右されない、真の世界のあり方を示すことのできる確かな道です。イザヤが示そうとしたのはそのような生き方への促しです。以下に、時代の中でイザヤが探求した神の歴史支配を信じる静かな心とは何か、共に見ていきたく思います。

 

2. イザヤの生きた時代とその使信

イザヤ書の表題(1:1)によりますと、イザヤはウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤという4人の王の治世のもとに預言者として活動しています。イザヤの召命はアモスより20年ほど遅く、その預言活動の前半は、ホセアの活動と重なっています。イザヤ書6章の冒頭の記述に寄れば、イザヤの預言者としての召命は、ウジヤ王の死の時からはじまったということになります。ウジヤ王の死の時がいつかはっきりしませんが、紀元前740年頃ではないかといわれています。イザヤは紀元前701年のセンナケリブによるエルサレム包囲の後、間もなくして世を去ったと思われますので、イザヤの預言者としての活動は40年余の間であったと考えられます。

ウジヤ王の時代のユダは、ヤロブアム二世の北イスラエルとともに、ダビデ・ソロモン時代に匹敵する繁栄の時代を謳歌していました。しかし、それは見せかけの繁栄でしかありませんでした。事実、その繁栄は急速にかげりを見せるようになります。前745年に、アッシリアで全西オリエント地方を支配下の治めようとの野望を抱くティグラティ・ピレセル3世が出現し、パレスチナ地方も支配下に置こうとしていたからです。イザヤが預言者として登場したのはまさにこの時代です。イザヤが生きた時代は、パレスチナ地方の小国は絶えず、アッシリアの脅威にさらされ、エジプトにつくかアッシリアにつくかで揺れ動いていました。その事情はイスラエルとユダにおいても同じでした。この脅威の中、北のイスラエルは内部分裂を繰り返し一直線に滅びへと向かっていきましたが、南のユダにはまだ猶予が与えられていました。時間的な余裕がない中で、アモスとホセアは近づく審きを警告することで手一杯でありましたが、イザヤには社会のゆがみの根本原因を見つめる余裕がまだありました。ユダ王国には、イスラエルに見られるような分裂はなく、貧富の差も北のイスラエルほどひどくはありませんでしたが、さまざまな社会の歪みや悪が根深くはびこっていました。イザヤはそれを「ぶどう畑の歌」(5章1-7節)で歌っています。

この歌では、主のぶどう畑として愛され、主によってよく耕されていたのに、実ったのは「酸っぱいぶどうであった」という主の嘆きが歌われています。主の正義と公平が曲げられ、不正な富で繁栄する者がいる一方で、貧しい者が苦しむ現実は、ユダにおいても見られました。この歌において、その回復を実現すべく主の裁きが行なわれることも明らかにされています。主がなさる裁きは、悪を悪とし、善を善として裁き分けることです。この場合、正義は、神が共同体に持っておられる誠実な愛に基づき、共同体の成員がよりよく生きることができるよう富を配分し配慮していくことによって実現するものであると考えられています。人々の間に訪れる平和は、その知恵を持って、主を畏れつつ良く配分する王が出現することによって実現することを、イザヤは後に預言しています(11章)。

2-5章には、イザヤの初期の社会批判に関する預言が集められていますが、5章8節以下には、富む者の富の独占とその高慢な振る舞い、富の力にものをいわせて貧しき者を蹂躙する生き方への厳しい批判の言葉が記されています。

イザヤは当然のごとく、このような生き方を改めないユダ、特にエルサレムの人々に向かって、悔い改めを求めて厳しい主の審きを語りました。しかし、イザヤの預言を民が受け入れることはありませんでした。6章の「イザヤの召命」の物語は、そのような預言者の立たされた現実を語っています。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くべきか」という主の声を聞いて、イザヤは、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」と答えますが、その時示された主の答えは、

「行け、この民に言うがよい
よく聞け、しかし理解するな
よく見よ、しかし悟るな、と。
この民の心をかたくなにし
耳を鈍く、目を暗くせよ。
目で見ることなく、耳で聞くことなく
その心で理解することなく
悔い改めていやされることのないために。」(イザヤ書6章9-10節)

というものです。預言者が人の心を頑なにするために主の言葉を取りつぐということはありえないことです。御言葉に人々の心と目が開かれて、今起こっていることを良く見て、鋭敏な心で物事を判断し、主の前に正しく生き、人間や社会の関係を良く築く者となることを願って、預言者は御言葉を語ります。だからこの時与えられた主の御言葉は、イザヤの思っていることとまったく逆のことを語っています。それは、彼が主の御旨を告げれば告げるほど、人々の心はかたくなになり、悔い改めない、というありがたくない主の約束です。イザヤの語る言葉は、その意図とは逆に、人々の間に不信仰を助長する結果をもたらすというのです。イザヤは、「主よ、いつまででしょうか」と問いますが、その時与えられた主の答えは、「町々が崩れ去って、住む者もなく、家々には人影もなく、大地が荒廃して崩れ去るときまで。」続くというものです。

牛は飼い主を知り
ろばは主人の飼い葉桶を知っている。
しかし、イスラエルは知らず
わたしの民は見分けない。(1章3節)

牛やろばでさえ、飼い主が誰であるかを知って、本能に従って、その恩を覚え、従うことを学びます。神は人間に自由意志を与え、自由意志に基づき、心からの喜びを持って、主である神に従うものとなることを期待しましたが、ユダのしたことはまったくその主の御心に添わないものとなったという、神の戸惑いと嘆きをこの言葉は示しています。パウロは神に背く人間の罪性を、その知力(理性)と心の全面的な腐敗堕落として描きましたが(ローマ1:18以下)、イザヤは、それを体全体に及ぶ腐敗堕落として描いています。

何故、お前たちは背きを重ね
なおも打たれようとするのか
頭は病み、心臓は衰えているのに。
頭から足の裏まで、満足なところはない。
打ち傷、鞭のあと、生傷は
ぬぐわれず、包まれず
油で和らげてもらえない。(イザヤ書1章5-6節)

しかし、その罪を見るイザヤの目は、パウロと同じように、その根源にある宗教性に向けられています。体全体を動かす指令を与えるのは、「頭」です。命を支え、体全体に血液を送る働きをするのは、「心臓」です。旧約聖書の信仰においては、それは霊的命を授かる「こころ」の座として考えられています。その二つが機能不全になることによって、知性が暗くなり、霊的な命が衰えるのです。だからイザヤもまたパウロと同じように、真の宗教性、心の問題を視野に入れて論じています。心から悔い改めず、砕かれない心で犠牲を捧げる形だけの礼拝を、主は喜ばれないとイザヤは告げています。砕かれない心で捧げる祈りも主は喜ばれません(1章14-15節)。それらは、生き方全体の問題として、根源的な批判の対象にされて、主の公平と正義が共同体的生の問題として論じられています。特に体の「頭」と、民の指導者の「頭」性を同質に見るイザヤは、指導的立場にある人間にとりわけ厳しい目を向けています。

罪深い人間は一度徹底的に裁かれる必要があります。そうしないとその罪が簡単に取り除かれないからです。しかし、主の裁きは、滅ぼすことを目的としているのではありません。その背後に赦そうとする主の愛があります。シオンの罪に対する主の嘆きと、それに対する主の審判が次のように歌われています。

どうして、遊女になってしまったのか
忠実であった町が。
そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに
今では人殺しばかりだ。
お前の銀は金滓となり
良いぶどう酒は水で薄められている。
支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり
皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。
孤児の権利は守られず
やもめの訴えは取り上げられない。
それゆえ、主なる万軍の神
イスラエルの力ある方は言われる。
災いだ
わたしは逆らう者を必ず罰し
敵対する者に報復する。
わたしは手を翻し
灰汁をもってお前の滓を溶かし
不純なものをことごとく取り去る。(イザヤ書1章21-25節)

イザヤは、「主の日」を主の裁きの日として語っています。しかし、それは絶滅の日でありません。イザヤの語る裁きにはいつも希望があります。それは、主によって新たにされるという希望です。主の裁きが実行されるところには、その正義と公平が本来のあるべき形に戻され、新たな出発が与えられるという希望が同時に語られます。このシオンの審判の言葉は、次のように続いています。

また、裁きを行う者を初めのときのように
参議を最初のときのようにする。
その後に、お前は正義の都
忠実な町と呼ばれるであろう。
シオンは裁きをとおして贖われ
悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。(イザヤ書1章26-27節)

「シオンは裁きをとおして贖われ、悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。」のです。イザヤは預言者として、いつまでも悔い改めようとしない者の前に苦しみ、自分が告げる主の言葉が聞かれず、退けられるという苦しみに耐えねばならないのですが、この希望を胸に語り続けたのです。

召命の日にイザヤが聞いた厳しい主の言葉は、次のように結ばれています。

なお、そこに十分の一が残るが
それも焼き尽くされる。
切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。
しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。

絶滅寸前まで裁きは厳しく行なわれるが、それでも「十分の一が残る」といわれます。しかし、「それも焼き尽くされる。」といわれます。一度の裁きに懲りず、民の繰り返される罪に主の裁きも続くことが語られています。切り取られ、焼き払われ、その跡に残る最後の切り株は「聖なる種子」だといわれています。

11章には、エッサイの根から育つ若枝に関する「平和の王」の出現の預言が記されています。エッサイの株は、「主を畏れる霊に満たされ」、失われていた主の正義と真実と公平を回復し、彼が実現する平和は、動物たちの間にも争いのないものとして実現すると語られています。イザヤの召命の日に示された主の聖性(カドーシュ)、至上性、荘厳性、全世界を包括する王的主権と歴史を支配する力として、そのように現されることが明らかにされています。このエッサイの根がもたらす平和は、自然界だけでなく、世界の国々にももたらされる救いでもあります(11章10節)。すべての民の旗印として立てられ、国々がそれを求めて集う、そのようにして、そのとどまるところは栄光に輝くといわれています。

 

3. 神の歴史支配を信じる静かな心

イザヤは預言者として、次の4つの大きな戦争を体験しています。

(1) 前734年のシリア・エフライム戦争

(2) 前722年の北イスラエルの滅亡

(3) 前711年のアシュドドを盟主とする反アッシリア戦争

(4) 前701年のアッシリア王センナケリブのよるエルサレム包囲

いずれの戦争も攻めてくるのは、北の世界帝国アッシリアです。このアッシリアの脅威の前に、パレスチナの周辺の小国は、同盟を結んで対抗しようとしたり、エジプトを頼りにして逃れようとしたり、あるいはアッシリアに従属することによって滅亡だけは免れようとしました。ユダも例外ではありませんでした。これに対して、イザヤはいずれの場合も、主の歴史支配を信じ、落ち着いて、静かにするよう王と民を説得しました。

前734年、アッシリアの王、ティグラティ・ピレセル3世は、南西パレスチナまで押し込み、ここでペリシテ人の都市ガザを支配下に置きました。この事態に恐れを抱いたダマスコ(アラム)のレツィンとイスラエルの王ペカを中心とする、多くのシリア-パレスチナ小国家による反アッシリア同盟が組織され、ユダにもこれに加わるよう呼びかけましたが、ユダのアハズ王はそれを拒みました。そこでペカとレツィンはエルサレムを包囲し、自分たちの息のかかったタベアルの息子を王位につけようとしました。これがシリア・エフライム戦争です。その時の事情が7章に記されています。

アハズ王はこの事件に巻き込まれる2年前、父ヨタムの後を継いで弱冠20歳で王となったばかりです。まだ若い経験不足な王がいきなり難問にぶつかったわけです。だから「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した。」(7章2節)のも当然です。籠城に備えて水路の確認のために上貯水池に出向いていたアハズと、イザヤは、息子のシェアル・ヤシュブ(「残りの者は帰ってくる」の意)を伴なって会い、アハズに「落ち着いて静かにしなさい。」ペカとレツィンは「燃え残ってくすぶる切り株」にすぎず、彼らのたくらみは実現せず、成就しないからだと告げ、「信じなければ、あなたがたは確かにされない」と語っています。このイザヤの「静かにしなさい」という忠告は、4回の戦争で常に変わることがありませんでした。

最後の前701年のセンナケリブによるエルサレム包囲の時も、イザヤは次のように語っています。

まことに、イスラエルの聖なる方
わが主なる神は、こう言われた。
「お前たちは、立ち帰って
静かにしているならば救われる。
安らかに信頼していることにこそ力がある」と。(イザヤ書30章15節)

センナケリブの時は、王はヒゼキヤでした。彼はアハズより主への信仰は篤い人でした。しかし、エジプトに頼り、その戦車や軍馬に頼ることは、「主に尋ね求めようとしない」罪として、イザヤは叱責しています。

災いだ、助けを求めてエジプトに下り
馬を支えとする者は。
彼らは戦車の数が多く
騎兵の数がおびただしいことを頼りとし
イスラエルの聖なる方を仰がず
主を尋ね求めようとしない。(イザヤ31章1節)

イザヤが述べる静けさとは、どちらの陣営にも与せず、「洞ヶ峠を決め込む」(争っている有利な方に追随しようと形勢を伺うこと)ことによる静けさではありません。神を信じる静けさです。その出来事のうちに神の働き、支配を見る静けさです。イザヤはアハズに「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。」(7章10節)とさえ語りました。しかし、アハズは敬虔ぶって、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」とかたりました。この時与えられる主のしるしとは、おとめが身ごもって、産む、「その名をインマヌエル(神はわたしたちと共におられる)と呼ぶ」男の子です。まさにこのおとめが産む男の子は、神を信じる者と共におられるしるしとなり、救いのしるしとなるはずでした。

しかしアハズは、イザヤの忠告に従いませんでした。彼はイザヤの示す神の救いを落ち着いて、静かに信じることができなかったので、ティグラティ・ピレセル3世に使者を送り、「わたしはあなたの僕、あなたの子です。どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを救い出してください。」(列王記下16章7節)と告げさせ、援軍を頼んだのです。アハズはイザヤの差し出す言葉(神の言葉)よりも、ティグラティ・ピレセル3世の差し向ける軍隊と武器の方が安全ですぐに役立つと考え、神の僕であることをやめ、ティグラティ・ピレセル3世の僕となる道を選びました。確かにそれによって、ペカとレツィンの脅威からは守られたかもしれません。しかし兄弟国イスラエルの滅亡を早めることになりましたし、アッシリア王のために祭壇をエルサレム神殿に築き、異教の神を礼拝し、アッシリアに完全に従属せざるを得なくなりました。

20年後、前713年に、ペリシテ人の町アシドドがアッシリアの大王に反抗して立ち上がった時、ユダの王ヒゼキヤは、アッシリアの支配からの解放運動に加わりました。その背後で反アッシリア運動なら何でも喜んで支援するエジプトが扇動していました。この時イザヤは、3年間、裸、はだしで歩き回り、大国エジプトがアッシリアにより捕虜として連れ去られる時の恥辱を実演して見せ、エジプトを頼ることの空しさを示しました(20章)。この時ヒゼキヤは、イザヤの忠告に従って、アッシリアに降伏したので、危機を免れることができました。

前705年、アッシリアのサルゴン2世が死に、その息子センナケリブが王位についた時、シリア・パレスチナの属国たちはアッシリアから解放される好機が到来したと考え、貢物を送るのをやめました。センナケリブは3年間東方で自分の支配を固めるのに専念しなければならなかったため、対抗手段を直ちに講じることができなかったが、前701/2年になって軍隊を西へ動かしました。シリアとヨルダン川東の小国は、センナケリブが近づくや否や彼に忠誠を誓いましたが、ペリシテ人の町アシュケロンとエクロンだけが抵抗し、ユダのヒゼキヤは反アッシリア勢力の頭としてその抵抗を指導しました。ヒゼキヤはエジプトと固く同盟を結んでいました。センナケリブはまず海岸の平野に侵入し、ユダ軍の代わりに近づいたエジプトの軍隊をエルテケの近くで破り、ユダの46の町々を征服し、その住民の大部分を捕虜として連れ去り、最後にヒゼキヤを「籠の鳥のように」首都エルサレムに囲い込みました。エルサレムが突撃される寸前にヒゼキヤは降伏しました。センナケリブはユダの国をエルサレムだけを残すまでに縮小しましたが、ヒゼキヤを王位から下すまではしませんでした。しかし彼は重い税を送らねばなりませんでした。

イザヤはこの時ヒゼキヤがエジプトを頼りして結んだ契約を厳しく批判しています。それを、エジプトの神が陰府の神であることをもじって、「死の契約」と呼んでこれを結んだことを、次のように厳しく批判しています。

嘲る者らよ、主の言葉を聞け
エルサレムでこの民を治める者らよ。
お前たちは言った。
「我々は死と契約を結び、陰府と協定している。
洪水がみなぎり溢れても、我々には及ばない。
我々は欺きを避け所とし、偽りを隠れがとする。」
それゆえ、主なる神はこう言われる。
「わたしは一つの石をシオンに据える。
これは試みを経た石
堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。
信ずる者は慌てることはない。
わたしは正義(ツェダカー)を測り縄とし
恵みの業(ミシュパート)を分銅とする。
雹は欺きという避け所を滅ぼし
水は隠れがを押し流す。
お前たちが死と結んだ契約は取り消され
陰府と定めた協定は実行されない。
洪水がみなぎり、溢れるとき
お前たちは、それに踏みにじられる。」(イザヤ書28章14-18節)

洪水の破壊をもたらすのは、天候の神アダドの道具です。この神の助けを借りてアッシリア人は戦争をどうするか決めます。イザヤはこの神から逃れ、死の神を頼りとすることは馬鹿げたことだと言っているのです。イザヤはそれよりもずっと安全な場所を知っています。それは主が臨在を約束されるシオンです。主がシオンに新たに基礎を置かれることを信じ、その主の中に自らを固くするものには、ミシュパートとツェダカーが豊かに与えられることをイザヤは語ります。このように表わされる主の救いを「信じるものは慌てることがない」と、イザヤはここでも語ります。

イザヤは、アッシリアという当時の世界帝国に翻弄されたユダ、その首都エルサレムにあって、徹底的に主を信頼する静かな心を持つよう王に向かって語り、また民に向かって、次のようにも語っています。

人間に頼るのをやめよ
鼻で息をしているだけの者に。
どこに彼の値打ちがあるのか。(イザヤ書2章22節)

アッシリアという強国を前にして、それに媚びることも、また同盟によって、その難局を乗り切ることも、結局は、神を信頼せず、「人間に頼る」道を選択することになります。鼻で息をしているだけのものに、究極的助けを与える力はありません。ただ危機から救うことができるのは、この世界を支配し歴史を支配している主なるヤハウエのみです。

だからイザヤは、「落ち着いて静かにしなさい。」「信じなければ、あなた方は確かにされない。」と語るのです。

あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを
何一つ同盟と呼んではならない。
彼らが恐れるものを、恐れてはならない。
その前におののいてはならない。
万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。
あなたたちが畏るべき方は主。
御前におののくべき方は主。(イザヤ書8章12,13節)

本当に「畏るべき方は主」です。だから、本当に信頼を置くべき方も、このお方です。このお方は、「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ書30章15節)と今も変わることなく、わたしたちに向かっても語りかけてくださるお方です。

今わたしたちが生きる時代がどんなに激動し、すべてが不確かで、どう向かうか見えなくても、神はこの歴史を支配し導きを与えておられます。この神の歴史支配を信じる静かな心をもつよう、イザヤは今もわたしたちに向かって語りかけています。

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