キリスト教講座

第8回キリスト教講座 『今、平和を考える-聖書から見た現代世界における平和-』

日時 2006年7月9日(日)午後2時-3時30分
場所 日本キリスト改革派八事教会
講師 鳥井一夫牧師

 

1.はじめに

わたしたちの国は、2003年に有事法が成立して以来、実質的に戦争のできる国へと変貌していきましたが、今憲法を変えて、その正当化を図ろうとしています。そして、教育基本法を変えて「愛国教育」を強要しようとしています。こうした動きは本当に国を守り、平和を創り出すことに役立つことになるのか。その影響をもろに受ける私たち自身の問題としてその検証をする必要があります。こうした議論がそもそもどこから、どの様にして出てきたのかということを検証し、また世界の平和がどういう状態にあり、どのような方向に向かおうとしているのか、ということをきちんと頭の中に入れておかないと、非常に狭い、間違った形での憲法論議に終始することになりますし、間違った形での平和(戦争)を追求することになりかねません。そこで今日は、まず改憲議論がどの様な世界情勢の背景から生まれたのかを見、特に同盟関係にあるアメリカとの関係から、それがどの様に扱われようとしているのかを検証したく思います。そして、イラク戦争に、日本は「イラク特措法」という特別法で、陸海空の三軍の自衛隊派遣を初めて行いましたが、そのとき何が行われ、この戦争は一体何であったのかを検証したく思います。そこで起こった様々な問題は、戦争というものが起こるとき、わたしたちの周りにどういうことが起こるか、現代の戦争でわたしたちの生活がどう変わるのかなどを考えるようにしたく思います。そして、冷戦終結後世界にこれで平和が戻るという夢がなぜ破れることになったのかという問題を、戦争の民営化という問題とあわせて、現代における新しい戦争、平和の問題を見ることにしたく思います。そしてこれら現代世界に起こっていることを、聖書の視座からどの様に見ていけばよいのか、共に考えるときをもち今日の話をまとめたく思います。

 

2.有事法成立の背景としての冷戦終結後の平和の枠組み

第二次世界大戦後、アメリカとソ連という二つの超大国を頂点とする東西冷戦の時代が長く続きましたが、ソ連では1985年にゴルバチョフが共産党書記長兼最高幹部会議長に就任して、思いきった改革「ペレストロイカ(立て直し)」路線をかかげ、国際緊張の緩和を目指す軍縮を呼びかけ、西側との対立的な関係は急速になくなり始めました。そして、1989年11月9日、「ベルリンの壁撤去」が始まり、1991年12月26日、ついにソヴィエト連邦最高会議はソ連邦消滅を宣言し、冷戦時代に終止符が打たれることになりました。冷戦時代の終結により、多くの人はこれで平和な時代が到来するだろうと期待しました。しかし、1990年8月、イラクのクウェート侵攻・全土制圧・併合が起こり、91年1月16日、国連決議に基づくアメリカを中心とする「多国籍軍」が、イラク空爆を開始し、湾岸戦争が勃発しました。この湾岸戦争は、冷戦終結後の世界では、アメリカが唯一の超大国となったことを示す画期となりました。湾岸戦争を契機に、日本では国際貢献の名の下に「PKO協力法」が成立し、イラク戦争の時には、「イラク特措法」で、陸海空の三軍を始めて海外派兵しました。そして、2003年には、憲法では認められないにもかかわらず、日本は有事法をもつ国家となり、戦争のできる国家へ変貌しました。どう考えても、わが国にとって、この二つの戦争は、直接危害を及ぼすようなものでありませんでした。戦争による直接的な被害の可能性としては、東西冷戦時代のほうがはるかに強く感じられたのに、また有事法制が検討されることはあっても実現することはなかったのはなぜでしょう。そこには冷戦終結後のアメリカの世界戦略の問題を見ていかないと、そのなぞは解けません。

 

3.アメリカのグローバル戦略に追随する日本

(1) 変容する平和秩序-アメリカの平和の問題

戦後の日米の同盟関係の基軸は、それを肯定的に受け止めるか否定的に受け止めるかという問題はあるにしても、日米安保体制であることは誰もが認める事実です。しかしこれは非軍事と民主化により平和な国家を建設することを世界に約束してポツダム宣言を受諾し、その具現としての平和憲法を持つ国となった日本の歩みを根本的に変えるものでありました。アメリカは日本の平和国家への舵きりに大きな影響を与えましたが、東西冷戦時代の到来により、早くも自陣営にとどめ、日本を北東アジア極東の重要な軍事拠点とするために、本来軍隊をもてないはずの日本に軍事化を要求し、基地の永続的使用を認めさせようとして、日米安保条約の批准を求めました。それが、「片面講和」によるサンフランシスコ講和条約によって日本が国際社会に復帰する同じ日に結ばれたところに大きな問題が内包されています。この日米安保と旧ガイドライン(1978年)は東西冷戦構造を前提としていました。しかし、東西冷戦時代が終結し、湾岸戦争後、アメリカ一国が超大国として残ってから、アメリカは冷戦構造を前提とした軍事態勢に変わる新たな枠組みを同盟諸国に求めました。このアメリカの要請に沿って生まれたのが、「新たな日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)です。1997年9月23日、ニューヨークで署名され、日米軍事同盟の新たな枠組みが決められました。新ガイドラインの最大の特色は、「日本周辺地域における事態での日本の平和と安全に重大な影響を与える場合(周辺事態)における日米両国の軍事協力関係の具体的あり方です。旧ガイドラインでは、安保条約第5条の「日本有事」における日米共同軍事行動を定めたものであり、条約第6条の「極東有事」に関しては、日本は米軍に基地使用を許すにとどまっていました。しかし、96年の「日米共同宣言」で安保条約の対象地域を「アジア太平洋地域」にまで拡大し、新ガイドラインでは、「極東」を漠然と拡大して、「日本周辺地域」としています。「周辺有事」において日本は民間空港や民間港湾の使用を認め、広範な後方支援など積極的な軍事行動を引き受けることになっています。そして、「後方地域支援」において、「地方公共団体が有する権限及び能力並びに民間が有する能力を適切に活用する」ことが謳われています。しかし、新ガイドライン自体は、日米間の取り決めに過ぎず、これを具体的に実行するためには、日本側で法的整備が必要でした。1999年の第154国会で周辺事態法が成立したのはその実行のためです。

ところが、新ガイドライン成立を切望していたはずのアメリカは、周辺事態法が成立して見ると、同法に対しても、さらに新ガイドライン体制そのものにも強い不満を表明するようになりました。その代表的なものがいわゆる「アーミテージ報告」といわれるものです。2000年10月16日、ブッシュ政権の対日政策を先取りする形で、「アメリカと日本-成熟したパートナーシップに向けて」と題する報告が発表されました。この報告は超党派のアメリカの軍事学者16人によって作成されたものです。そしてこの報告作成に中心的な役割を果たしたのが、後にブッシュ政権の下でアメリカ国防総省副長官となり、対日政策の要の位置に座ったアーミテージです。

(2) 日本に新たな軍事分担を求めるアーミテージ報告

アーミテージ報告(2,000年10月16日)は、安全保障について次のような対日評価と要求を述べています。

①日本が提供している基地使用により、合衆国は、太平洋からペルシャ湾に至るまでの安全保障に影響を与えることができる。

②ガイドラインの改定は、太平洋をまたぐこの同盟で日本が果たす役割の増強に向けた上限(シーリング)ではなく、基盤(フロア)と見なすべきである。

③日本が集団的自衛権を禁止していることは、同盟国の協力にとって制約となっている。この禁止事項を取り払うことで、より密接で、より効果的な安全保障協力が可能になろう。これは日本国民のみが下せる決定である。

④(日米)同盟のモデルは合衆国と英国の特別な関係(以下は、そのために必要の要素)

・ 防衛への制約の再確認

・ 新ガイドラインの誠実な実施。これには有事法の成立も含まれる。

・ 合衆国三軍すべてと日本の全自衛隊との強固な協力

・ 平和維持活動や人道的救援活動への全面的参加。日本は1992年に課した自己抑制(著者注「PKO協力法案を通すために、PKF活動への参加凍結、既存の保守政治の枠を大きく踏み外さないなどの条件をつけたこと」)を取り払い、他の平和維持活動参加国に負担をかけないようにする必要がある。

・ 用途が広く、機動性、柔軟性、多様性に富み、生存能力の高い軍事構造の構築

・ 日本が防衛技術を優先的に利用できるようにする

・ 合衆国と日本のミサイル防衛協力の範囲の拡大

このアーミテージ報告に如実に表れているように、アメリカが日本に期待するのは、米軍の軍事行動を助ける、自衛隊の協力のみならず、民間企業や、地方自治体を含む全面協力の体制を求めるアメリカの意向に沿ってできた法制を整備することです。そして、そのアメリカの意向に沿うようにしてできたのが、2003年から2004年にかけて整備された有事法制です。この有事法は日本国民を外国の侵略から守ることを主眼としたものではなく、あくまでもアメリカの軍事行動を支援するためになされた法整備の一環でしかないという認識を持つべきです。これによって、自衛隊だけでなく、民間企業や地方自治体までアメリカの意向に沿って戦争協力させられる道が開かれることになりました。特にアメリカが、今、日本に期待しているのは、港湾や空港の使用、物資の輸送、ハイテク技術の供与です。

(3) 憲法は誰のために、何のためにあるのか

こうした有事法の成立によって、アメリカに軍事支援する体制は、実質的に法的に整備は進みました。しかし、この有事法は憲法の精神に根本的に対立するものですし、憲法自体からの授権がないままです。今、憲法を変えようという議論は、この大きな流れの中から生まれた問題であることを基本認識として持つことが大切です。何よりわたしたちの国の歴史と現在の憲法成立の背景を考える時、その時世界に約束したことを変えようというのですから、誰のために、何のために変えようとしているのか直接影響のある日本国民に十分に明瞭に説明する必要がありますし、非軍事の国家として歩みますと約束して国際社会に復帰したのですから、なぜ今、日本が戦争に参与する国になるのかという説明をする責任があります。

日本国が有事法を持つということは、ポツダム宣言の受諾と、その具現としての日本国憲法の非軍事、不戦の国際平和主義の理念を捨て、戦争のできる国家、戦争に関与する国になるという、国の基本的立場を変えたことを意味します。今問われているのは、そのような変更を許してよいかどうかという問題であり、この流れの中でなされていることを事後追認し正当化するための憲法改悪論議とどのように国民が向かい合うかということです。その態度決定が、日本という国が、これまでアジアの諸国になしてきた戦争犯罪に対して、どのような反省の思いをもっていたのか、もたなかったのかを明らかにすることになります。その判断を下すことの意味、責任の重さを考えることが、今平和を考える上で重要な意味をもっています。

そもそも憲法というのは、国家的為政者にとって、自らの政策立案(その実行には法律の制定が不可欠)には、可能なものと不可能なものがあることを明らかにするものです。だから憲法に授権されていないことを政府や議会が行うことは、信託違反の違憲行為となります。本来、法案審議以前に、憲法改正が必要です。それが立憲主義の根幹に関わる問題として不可欠であるという認識が欠如していることこそが、より深刻で看過できない問題です。国の基本とする憲法改正を、主権者である国民に国民投票において問うという手続きを経ないで行う有事法制化は、日本国憲法が定める手続きを否定する、立憲主義の根本を否定する暴挙です。

有事法を先に通してしまってから、国民投票法案を提出して、その実態に合うよう憲法改正をしようという議論は逆立ちしていますし、憲法とは何かという理解がそもそもできていないという根本的な問題があります。

 

4.イラク戦争とは何であったか

(1) インド洋へのイージス艦の派遣が意味すること

日本は、米国が行使するアフガニスタンへの制裁的武力行使に協力するために、2年間の時限立法とする「テロ特措法」に基づき、後方支援の目的で参加しました。その活動内容は、米軍への補給、物資輸送と米艦船での修理・整備・医療、港湾業務などとされていました。その時、その燃料補給とも護衛のためともおよそ関係ないと思われるイージス艦の派遣も決められました。補給船を護衛するにはイージス艦は攻撃能力が高すぎるので、これまで専守防衛のためと政府が説明してきたこととその派遣が矛盾するからです。そこで政府は窮余の策として、隊員の快適な生活環境を確保することと、護衛艦派遣ローテーションの緩和のためと説明をしました。しかし、その後テロ特措法は延長され、現在も日本はインド洋にイージス艦を派遣し続けています。そもそもそれは、イラク戦争における米軍の活動を支援するためのものであったからです。イージス艦は、他の護衛艦より強力なレーダー搭載し、それは従来艦より水平方向で5倍、垂直方向で4倍広い範囲を探知する。目標が敵か味方かの識別もコンピューターが処理するため、時間が大幅に短縮できます。それは、米軍の持つイージス艦をペルシャ湾にシフトし、手薄になるインド洋の軍事情報をカバーするための措置で、米軍に軍事情報を提供するために派遣されたもので、これは明らかに憲法に禁じられている集団的自衛権の行使にあたります。

海上自衛隊の艦船の多くは、「リンク11」ないし「リンク16」と呼ばれる米軍との情報共有システムを有しています。後者の方がより格段に性能の高く、短時間に多くの情報を送ることができます。「リンク16」を有する海上自衛隊の艦船が、まさに「こんごう」や「ちょうかい」などのイージス艦です。それまで海自が「テロ特措法」でインド洋に派遣した艦船のシステムは、すべて「リンク11」でした。それでも米軍との情報共有は可能でしたが、この古いシステムでは「米軍からもらう情報が圧倒的に多かった」が、「リンク16」を有するイージス艦が派遣されると、これまでとは逆に、「自衛隊艦船から高度な戦術情報を米軍に与えることが可能になった」といわれます。

2002年12月16日、イージス艦「きりしま」は、インド洋に向け横須賀基地を出発しました。それはイラク攻撃が開始された後の派遣で、ペルシャ湾方面にシフトとされた米軍間の「穴埋め」の役割を十分に果たしたといわれます。

(2) ブッシュ・ドクトリンに基づく戦争

「9.11」より丁度1年後、2002年9月17日、ブッシュ大統領は、アメリカがテロ攻撃に遭わないことを最大の目標とする総合的な安全保障戦略を発表しました。軍事面では、次の3項目を実行に移すことを明らかにしました。

①大量破壊兵器及びその前段階のものを入手するか使用することを試みるテロ組織、テロリスト個人、およびテロを支援する国家を攻撃対象とする

②脅威が米国の国境に到着する以前に、米国はその脅威を発見し、破壊する。米国単独で行動し、先制攻撃をかけることを辞さない

③諸外国には主権国家としての責任を受け入れることを強制し、テロを支援したり、テロリストの根拠地を提供したりするのを止めさせる

(3) 大義なき戦争

①湾岸戦争には、イラクのクウェート侵攻を止めさせるという大義がありました。アフガン侵攻には、タリバン政権がオサマ・ビンラディンを匿っているという大義がありました。そのいずれの戦争にも、国連の決議に基づく多国籍軍の参加を得ることができました。

②しかしイラク戦争にはそのような大義はない。そのため考案された「大量破壊兵器」をイラクが隠しもっているという大義ですが、それは発見されなかっただけでなく、その情報も虚偽に基づくものであったことをブッシュ政権も認めました。

③またイラク国民を、フセインの圧制から解放し、イラクを自由で民主的な社会にするための戦争であるとブッシュ大統領は言ったが、戦後のアメリカの占領は、イラクの自由を規制し、民主化を促進することに失敗しています。今もイラクは内戦状態のように混乱に陥ったままです。

(4) メディア・コントロールの問題

①湾岸戦争でのプロパガンダの典型的事例は、ペルシャ湾に浮かぶオイルまみれの水鳥の映像。サダム・フセインは水鳥にまで石油をかけた環境破壊者、精神異常者、野蛮人、犯罪者というイメージを与え、「環境保護に挑戦するテロリスト」という評価を与えた。しかし3日後のイギリスで、この映像は、「嘘」情報であることが判明、アメリカ政府とメディアが一体となって行った宣伝であった。

②イラク戦争の米人女性兵士ジェシカ・リンチ救出も、戦争喧伝(けんでん)のための捏造された事件であった。

③「プール取材」(代表取材)によるメディア規制の問題

それは湾岸戦争以来行われた報道規制の一つの形態。登録された記者だけ戦争報道にあたらせるもので、戦場で移動する際には軍のエスコートが必要とされ、取材した内容に機密性があるかどうか軍が決定するので、当然のことながら軍が独断で戦争物語を作り上げていくことになる。現地のジャーナリストは、軍のユニフォーム着用が義務付けられ、独自に取材するものは拘留され、以後の取材は不許可となる。プール取材は、ジャーナリストに軍に好意的でない報道を思いとどまらせ、戦争ニュースを管理するための先例のない取材システム。これはイラク戦争でも適用された。それは、ゲームのようなピンポイント爆撃の映像は認めるが、もがき、苦しむ、あるいはショック状態にある兵士の撮影、記録を禁じる。判別可能な負傷者、死者の撮影も禁止する。ましてや、そこでは、攻撃された側のイラク国民の惨状や、苦悩の姿などは報道されることはない。米軍関係の戦死者や、負傷者の数は公表されるが、イラク軍や、イラク市民の戦死者の数は数えない方針であるので公表されることはない。だからこれは、戦争の悲惨な実態は伝えないための、戦争プロパガンダのための取材システムでしかない。

(5) 戦争の民営化の問題

①91年の湾岸戦争では、参戦した米兵の50人乃至100人に一人は、民間企業からの派遣社員。しかし2003年のイラク戦争ではその割合は10%に達した。開戦直前には、民間企業の社員2万人以上が中東に向かうアメリカ軍に同行し、60を超える企業が参戦している。その多くは比較的単純な後方支援活動であるが、侵攻作戦の計画およびその準備に重要な部分を担った企業もあった。民営軍事請負業の参戦者の数は、「有志連合」の参戦したものより多く、米軍に次ぐ多さで、非アメリカ兵士全体の数にほぼ匹敵するといわれる。

②サダム・フセイン体制が崩壊して数ヵ月後、多国籍企業ノースロップ・グラマン社の子会社ヴィネル社はフセイン体制後のイラク軍を訓練する任務を米政府から4800万ドル(52億円強)で委託契約を受け、それに基づき、「アメリカの陸軍と海兵隊を除隊した兵士たち」に向け求人広告を行った。ヴィネル社は1975年より、サウジアラビア政府から国家警備の訓練に関わる契約を交わしている。2003年5月12日、サウジアラビアのリヤドで起きた自爆テロで10名が死んだが、それは同社の施設を含む3社の「西洋風居住地域」を標的としたもので、その被害者のアメリカ人8名、フィリピン人2名は、いずれもヴィネル社の社員であった。

③民営軍事請負企業(PMF)は世界中に展開し、諜報活動や政権転覆活動や武器輸出活動を盛んに行っている。国連すら財政上の理由からPMFを利用している。

④ブッシュ政権の副大統領チェイニーは、石油会社ハリバートンの社長を務めているが、その傘下のケロッグ・ブラウン社は、兵力輸送と警備業務、石油パイプライン修理と戦犯収容所の供給を担当している。その契約の透明性と説明責任が欠如しているという批判が米国でも問題になっている。

⑤2004年3月31日、イラクのファルージャで、四人の米「民間人」が怒り狂った民衆に殺害されたが、その殺害の残忍ぶりが世界中のメディアにより報道されたが、この四人を雇用したのは、ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルティング社で、同社は軍関連の「特殊工作」を主な営業領域とするその世界では著名な民間企業だった。殺されたうち二人は、米陸軍と海軍の「特殊部隊」をつい最近除隊したばかりの者。米軍はその報復としてファルージャ住民に戦闘機また武装ヘリコプターによる無差別空爆を行い、死者731人(総合病院による統計)を出した。そのうち半数ほどが女性と子供だった。

(6) 劣化ウラン弾使用の問題

天然ウランは、濃縮過程の中で核兵器や原子力発電用の燃料となるウラン235と低レベル放射性廃棄物となるウラン238に分離される。高レベル放射性同位元素U235は、全体の1%にも満たず、残りはほとんどがU238である。大量に生み出される強い毒性を持つこの金属物質は「劣化ウラン」(以下「DU」という)と呼ばれる。このDUは民間の軍需産業にただで支給され、砲弾の弾芯などに利用されている。DUは鉄の約2.5倍、鉛の1.7倍の比重があり、このため砲弾の弾芯などに利用すると強い運動エネルギーがえられ、頑丈な戦車でも貫通する。しかも貫通時に高熱を発して燃焼し、戦車内の兵士も殺してしまう。DUは湾岸戦争ではじめて使用され、コソボでも使用された。DU弾は通常兵器で、戦車から120ミリ砲や105ミリ砲を発射。戦闘機からは30ミリ砲と25ミリ砲で空爆する。湾岸戦争では少なくとも戦車から1万個、戦闘機から94万個のDU弾が発射された。120ミリ砲だとDU貫通体の重さは、約4700グラム、30ミリ砲だと約300グラム。衝撃による燃焼で、このうち70-20%が酸化ウランの微粒子となって大気中に飛散する。一旦酸化ウランの微粒子を体内に取り込むと肺などにたまり、放射線や強い科学毒性による影響で、癌などの健康障害を引き起こすといわれる。湾岸戦争に参加した米兵69万6千人のうち、DU弾による汚染地帯に身を置いた兵士は、43万6千人とされる。そのうちDUを残留して被爆した25万人強が、健康障害を訴え、退役軍人省に治療を要求しています。また、18万2千人が、疾病・障害保障を請求しています。このうち9千人以上は、既に亡くなっています。DU被害は当人だけでなく、性交渉などで女性にも感染し、またそれによって生まれた子にも様々な健康障害を引き起こします。米政府も、NATO軍もDU弾は環境や人体に危険な影響を及ぼすことはないと公言してはばかりません。しかし、実際には深刻な環境への影響を懸念しています。被弾したイラクの実体について米政府が調査することもないし、その保証をする考えもない。しかしその被害は米軍兵士の数をはるかに上回り、DU弾による被害地域の汚染処理がなされていない地域ではさらに被害が拡大することは明らかです。イラク戦争でも湾岸戦争よりもはるかに大量のDU弾の使用があったとされています。

 

5.冷戦終結後世界に紛争がなぜ増えているのか

冷戦の終了により、国家の軍隊は1989年に比べ700万人もの兵士を削減しました。削減が特に大きかったのは、旧共産圏で、ソ連とそれに依存していた国の多くが本質的に消滅しました。西側の列強も軍の抜本的削減を行いました。米国軍は冷戦時のピークに比べ3分の1ほど兵士が減っています。軍務に長けた元兵士たちが洪水のように解雇されて彼らは一体どこに行ったのでしょう。ある高級将校たちは、軍事請負業(PMF)を自ら設立したり、既存のPMFに就職しました。職を失った旧KGBの7割近くがPMFに入ったといわれます。軍縮と旧東欧圏の消滅により、その大量の在庫兵器は、公開市場に出回り、機関銃、戦車、ジェット戦闘機さえ誰でも買えるようになりました。特に、ソ連製のものは安価で手に入り、旧東ドイツ軍の兵器庫にあったものはほとんどすべての兵器が売られていて、大部分が民間の買い手によって安値で売り渡されました。今や多くの民間部隊が最新の兵器を手に入れ、そこには戦闘機や高性能火砲類も含まれ、国家の軍隊さえ打ち負かすことさえできる能力を保有しています。かつての軍も兵器も、PMFが受け皿となって、戦争の民営化は世界規模で行き渡っています。

かつてソ連の援助や支援に依存してきた国は泉を失い枯渇してしまい。西側諸国からの支援もまた冷戦後激減しています。現下の世界体制においては大多数の国家が驚くほど弱体化しています。こうした国家は主権国家としての基本的な機能を果たせなくなっています。その大多数は、米国の一流企業は勿論、大きな都市や大学の予算にすら比べられるだけのGNP(国民総生産)をもたない状態です。特にひどい弱体化にあえいでいるのはアフリカです。しかし、資源のない国だけが貧しいわけではありません。アンゴラは天然資源に恵まれた国で、経済が盛んになって当然の国です。ナイジェリアに次ぐアフリカ第二の産油国で、最近の発見によってまもなくアフリカ最大の産油国になるはずです。しかし、アンゴラはこうした富の恩恵にこうむるどころか、この30年間戦乱に明け暮れ、生活の質は世界で160番目という低さです。リベリアとシエラレオネは、「アメリカ・ライベリアン」と呼ばれる解放奴隷がつくった国家です。1822年米本土から黒人の子孫が居住し、現地住民を取り込んで1833年にリベリア連邦となった。1847年にはアフリカ最初の共和国として独立。その後は解放奴隷の子孫が多数の現地住民を支配する形で長く存続された。そのために帰還黒人の支配に不満も多く、内戦に明け暮れた歴史があります。シエラレオネは、リベリアに対抗して英国が作った解放奴隷国家になりました。シエラレオネは、世界最高品質のダイアモンドがキンバーライトの形で大量に埋蔵されている国です。この国もアフリカで最も富んだ国であるべきですが、その富は住民のためには全く役立っていません。シアカ・スティーブンが率いる政権は、意図的に軍隊を弱体化させ、自分と取り巻きを脅かさないようにし、自分と取り巻きだけが富を楽しみ、他の国民は呻吟(しんぎん)していました。ここはどんな尺度で測っても、生きていくには地球上で最悪の場所であるといわれます。国連の人間開発報告書では、世界のどん底に位置し、幼児の死亡率は千人の出生に対して、164人という高さで、成人で字が読めるのは30パーセントに過ぎません。平均寿命はたったの37歳です。冷戦終了以来この国はほとんど紛争と混乱の中にありました。反乱を始めたシエラレオネ革命統一戦線(RUF)は、民間人をターゲットに殺人、強姦、拷問を行うことを公然とし、攻撃に子供の兵士を使い、捕らえた民間人の腕を次々に切り落とす残虐極まりない行為をしました。1995年までにシエラレオネは完全な無政府状態に陥り、夜間の村人皆殺し、鉈(なた)による手足の切断という行為さえなされました。ろくな給料ももらっていない政府軍の中には、反乱軍に寝返ったり、勝手に民間人を狙ったりするものも現れ、どちらも略奪をほしいままにするのでほとんど区別がつかない有様でありました。この状況を解決する力を政府は持たなかったが、南アフリカに本拠を置くPMF、エグゼクティブ・アウトカムズ社は、わずか2,3ヶ月で反乱軍を完全に制覇してしまった。

PMFの活動は今やあらゆるところに及んでいます。政府軍にも反乱軍にも麻薬のマフィアにも、その業務を請け負っています。アメリカは自国の利益になる地域には軍事介入をしますが、そうでないところには、非人道的な残虐行為が行われていても介入しません。正義と自由と民主主義を世界に実現するというのは、アメリカの常にとる政策であるといえません。それゆえ、不介入の空白地域には、PMFがそれを埋め合わす働きをしています。しかし、国家主権とシビリアン・コントロール(文民統制)の点からも、またときにPMFが行う非人道行為を誰がさばくことができるかという点でも、大きな問題が残っています。

1990年代には空前の規模の民営化が見られました。「民営化革命」はグローバリゼーションと手を携えて進みました。それは、効率と効果を最大化するという概念を内包し、国内のエリートたちの多くは社会的義務を放棄し、己の経済的支配を守ることに集中し、外注化をいっそう促進しています。その富は、途上国の一部の特権階級と多国籍企業に蓄積され、その企業が本来属する国の利益に必ずしも還元されていません。安価な商品を確保するための手段ですから、途上国の労働者の賃金は低く抑えられる傾向にあり、その利益をほとんど被らず、相変わらず貧しい状態から抜け出ることができないでいます。

アメリカでは刑務所から郵便事業に至るまで民営化されています。米国における民営化と外注化の始まりは1980年代の「日本株式会社」の挑戦に対応するものだったといわれます。アジアのライバルに競争力つけるために踏み切った企業の生き残り戦略です。外注化はまもなく支配的な企業戦略になり、それ自身が自ら巨大産業になって行きました。軍の民営化もこの大きな流れの一つに過ぎないと、ピーター・シンガーは言っています。PMFは、警備、軍事的助言、訓練、兵站支援、隊内治安維持、専門技術、情報収集など幅広いあらゆる軍事業務を提供している。ここ数年間、米国防総省は物資集積や基地の維持から軍の飛行訓練の7割まで外注に委ねています。B-2ステルス爆撃機、F-117ステルス戦闘爆撃機、K-10空中空輸機、U-2偵察機および、数多くある水上艦艇などといった戦略的兵器の整備がすべて民営化され、無人偵察機グローバルホークを実際に飛ばしているのは民間企業の社員です。

しかし、アメリカの軍事支出は削減されず、増大する一方です。日本においても同じ現象が見られます。2001年のアメリカの軍事費支出は、世界の全軍事支出の約39%を占め、その軍事費総額は、2位のロシアから11位の韓国まで合わせた軍事費支出の合計3143億ドルよりも多い3224億ドルで、他の追随を許さない圧倒的な軍事力を誇っています。ちなみに、憲法上軍隊も兵器ももてないことになっている日本の軍事費は、中国についで4位で、イギリス、フランス、ドイツよりも上位です。純粋に軍事力だけを見れば、アメリカは同盟国など必要としていません。アメリカが軍事費を削減しないのは、第一に、その軍事支出が実質上、経済規模の4%近い水準に達しており、軍需産業との結びつきが強固な歴史から、それを削減できない事情が背景にあります。第二に、アメリカの一国支配による安全保障システムを維持しようという、アメリカ自身の意思が反映しています。

この軍事巨大化は本当に平和に役立っているのか、誰のための何のための平和か、その実態はますます不透明になっています。経済のグローバル化は、貧富の差をますます拡大し、繁栄する国においてもその拡大は深刻なほど進んでいます。ましてや途上国はもっと深刻です。「グローバリゼーション」は、多くのものに報いたが、均質な世界経済や文化を創り出していない。逆に多くの者が取り残された。貧困の中に生きている13億人から現在飢えている8億人まで、地球規模で放置されたままでいる人々の不安定さと奥行きの深さと規模の大きさは、どう測定しようが胸もつぶれるばかりのものがある、とシンガーはいっています。

非常に深刻なのは、そうした社会問題の矛先が若年層に向かうことで、若者が戦争の歩兵の供給源になっていることである。世界の子供たちの相当部分は、教育が足りず、栄養状態が悪く、社会から疎外され、不平不満を抱いている。のけ者にされた人々は非合法経済や、組織犯罪、武装紛争などの巨大予備軍となっている。日本におけるニート問題の本質もここにあることを看過すべきでないと思います。

 

6.教会と平和-聖書からの視点で考える

キリスト教会は、ローマ帝国時代公認の宗教とされるまで、戦争や信徒が兵士として従軍することに否定的態度を取りました。しかし、公認の宗教となってから、戦争に協力的な姿勢をとり、アウグスティヌスは「正戦論」についての神学的見解を明らかにしました。それは一面で、正統な根拠のない戦争を防ごうとの意図もありましたが、為政者に都合のよいように戦争の正当化のために利用される面も有していました。近代の国家は、世俗性と人間の営為による法治主義による支配を目差し、かつての時代のような正戦論を許容する余地はありません。

戦闘行為と直接関係のない市民を巻き込んで多数の死傷者をもたらす兵器の使用や、その使用による様々の健康障害、また戦争による人権侵害や道徳的な不正の問題には、聖書の光からみて極めて重大な看過しえない問題が多くあります。それらを教会とはかかわりのない政治の問題であると片付けられる問題でもありません。戦争の原因としての貧困、様々な経済的な搾取や不平等の問題は、福音の光からみても放置できません。こうした問題が放置され、経済のグロ-バル化による更なる貧富の格差の拡大化は、テロの温床になっています。また貧しい国や家庭に育った若者が十分な教育も受けられず、結果として就職差別を受け、非合法経済や、組織犯罪、武装紛争などの巨大予備軍となっている構造的問題が横たわっています。その解決を図るよう国家に辛抱強く求めていくことも、それらの問題が放置される状態に絶えず預言者的警告を与えることも、教会のこれからの重要な宣教課題として覚えていく必要があるでしょう。

柳父章は、「『ゴッド』は神か上帝か」という著書の中で、西洋諸国における植民地侵略には、一つの決まったパターンがあって、先ず商人が出かけて行き、ついで宣教師が行き、終わりに軍隊が行く、という構造を明らかにしています。キリスト教は欧米で支配者の側に立つ宗教としての歴史を歩んだ現実が、戦争との結びつきを強くし、それによって引き起こされる様々な問題に沈黙している面もあります。しかし、グローバル化は、キリスト教の宣教の本質でもあります。国境を越えた平和の実現に教会がなしうること、なさねばならない多くの責任を真摯に考えないと、中東やアジアでの貧しい人々に希望を与えることも、その中に平和を実現していくことを断念することを意味することになります。そうした努力を断念して、こうした地域に福音を語るということが真の意味でできなくなります。

聖書は平和の問題について決して単純な答えをわれわれに与えてくれてはいません。山上の説教におけるイエスの、「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」という言葉は、それは終末に向かう世を、「過ぎ去る」(Ⅰコリント7:31)もの、暫定的なものとして相対化しています。またそうであるが故に、この世で平和を創り出す大きな意味と課題があることを考え、常に平和実現に向かって真摯に生きよという、主イエスの挑戦の言葉として受けとめる必要があります。そこに、「地の塩、世の光」としての教会の預言者的な務めと責任があることを覚える必要があります。そのために世が苦悩している現実の中に共に立ち、目を開いて見る責任もあることを共に覚える必要があります。

戦争という事態は、十戒のうち「殺してはならない」という戒めだけでなく、すべての戒めを破る事態を創り出します。そして、現在行われている、経済のグローバル化がもたらした、全地球的規模で貧しい国が多発している現状は、聖書が求める「貧しい者に福音」をという教えに根本的に逆行しています。小泉改革がもたらした民営化や福祉や医療費の打ち切りや縮小は、まさに、富の効率的利用という発想です。ハンディキャップを持つ者が、社会にとって効率的でないという考えは、まさに共生の考えの根本的否定につながります。貧しい者も、貧しい国も共に生きることができる、そういう世界を実現する、それは「寄留の人々」を大切にすべきと教える十戒の精神に最も合致した社会のあり方です。それは安息日(礼拝)をどうして守るかという問題ですが、その礼拝を守るために、等しく生きる環境を整えるのは、神の前に生きる人間の責任であり、また政治のなすべき最も基本的な問題です。このためには社会のコスト、富める者、富める国が応分の負担をすべきだという発想もつことが必要です。今アメリカや日本が、用いる軍事費を仮に10パーセント削減しただけでも、世界の大部分の貧困問題は解決します。

1994年の時点で、すべての人が基礎教育を受けて識字率を高めるために必要な追加支出は1年で50億から60億ドル、5歳未満時の死亡率を大幅に下げるための追加支出が50億から70億ドルなどと試算されています。この年の世界の軍事支出は約8000億ドルです。2004年は9500億ドルといわれています。その数パーセントでも削って人間開発にまわせば、それは可能です。そして、世界には約8億人の人々が飢え、12億人の人々が衛生的な水を確保できず、毎年1200万人の子供が5歳未満で死亡し、8億5000万人の成人が字も読めない状態にあると国連開発計画は訴えています。

もちろんそれは援助という形で簡単に実現するものでありません。健全な雇用の再分配や、その機会の均等、インフラ整備にも力を貸し、世界のすべての人が平和で人間らしく生きる環境を整えていこうという発想を持つことが大切です。銃を突きつけ合っても人の心は変わりません。それで生まれるのは恐怖と敵愾心だけです。しかし心からの共に生きようというメッセージの伴った、神のかたちとしての人間存在を大切にする援助や支援は多くの人の心を動かすことができます。その人間愛は、神によって愛されている他者の存在を思う心からしか生まれません。今本当に必要なのは、テロへの不安をあおることでも、敵からの攻撃をどう防ぐかということでもありません。本当に強い人間、強い国というのは、弱者の心を思いやり、言葉の本当の意味での自立支援に手を貸し、テロや敵意の原因となる貧困を取り去ることのできる人間であり、国家であります。わたしたちの国がそのような国になるために、憲法9条と基本的人権を本当に重んずる国として歩むよう祈りつつ、今日の話を終えたく思います。

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