詩編講解

55.詩編138編『あなたは魂に力を与え』

この詩編は、詩人が神殿の建物を仰ぎ見ながら、祈りが聞かれたことへの感謝を歌った歌です。

導入部の1-2節は、詩人が感謝の歌を神に捧げた、外的、内的状況が歌われています。かれは神殿の前庭にいて、聖所に目を向けています。彼は神の御前にひれ伏し、御名を告白します。ひれ伏すことと神への告白とは、礼拝の最も基本的本質的な要素に属します。彼はその行為をもって神への真実を表わします。

彼が聖所においてそのように行動するのは、神が聖所に現れ、御名と慈しみとまことをもって臨まれることを信じているからです。この祈り手は、ひとり神に向かうのではなく、会衆と共に神殿において神礼拝に参与し、神が現在する中で、祈りが聞かれ、救いがもたらされることを確信するのです。

神の現臨、御名の啓示がなされ、そこで神の慈しみとまことが示されることを信じる一団の民が存在する所に真実の礼拝があります。この詩編の詩人は、そのような一団の民と共にある存在であることを自覚しています。自分の祈りが聞かれたことを、民の間にあって神に向かい感謝の告白をしています。この民の間に御言葉がさらに多いなるものとされることを祈り求めています。彼はそれを信じて祈っています。

神は期待するより多く与えられるお方です。詩人は3節でそのことを告白しています。神は、彼の命を敵の怒りから守られることによって(7節)、祈りを聞き届けるだけでなく、彼に救いをもたらし、それまで知らなかった新しい魂の力を与えられたのです。

この体験は、詩人には、あまりにも素晴らしく、大きな喜びでありましたので、心から感謝し、「呼び求めるわたしに答え あなたは魂に力を与え 解き放ってくださいました」(3節)と声高く告白するのであります。

この神の偉大な救いの力は、地のすべての王も及ばないほど桁はずれて偉大なものであるため、神の口から出る御言葉をほめたたえ、感謝を捧げると告白します。主の示される道を誉めうたい、主の栄光をたたえると告白します。地上のどのような偉大な権力者の力をもしのぐ、主の偉大な救いの力と護りの御手の力こそ、この詩人の「魂に力を与え」、あらゆる苦しみ、逆境から「解き放つ」力となります。

イスラエルの民を助け導く神に、地のすべての王もその御言葉をほめたたえ、そのみ救いの偉大な力に敬服し、主の道を誉め、栄光を帰し奉るほかないと告白することによって、詩人は神が世界と歴史を支配していることを告白します。神が礼拝祭儀の中で現在されると言うことは、民の歴史全体を支配し助け導かれることを意味します。それは、現在だけでなく、将来においても変わりなく、その守りと導きがあるという不動の信仰を導きます。

主は高くいましても
低くされているものを見ておられます。
遠くにいましても
傲慢な者を知っておられます。」(6節)

この言葉が、詩人の神の歴史支配に対するゆるぎない信仰を示しています。神は、どんなに小さな存在とされている者にも目を留め、神の審きを信じない傲慢な者が小さき者を虐げるどんな行為をも知っておられ、それを公平に裁かれる、と彼は信じ告白するのであります。

このような信仰を持つ者の祈りは、祈りが真剣にならざるを得ません。自らの歩みに対しても、真剣にならざるを得ません。神は、その者の真実さも、不真実で怠惰でいることも、すべてご存知だからです。

しかし、彼はどんなに大きな試練や苦しみに囲まれるような状態におかれても、勇気を持って祈ることができます。神のみ手が、長く、強く、遠く、伸びて自分を助けることができる事を知っているからです。神の御目がどこにいても注がれている事を知っているからです。だから彼は、

わたしが苦難の中を歩いているときにも
敵の怒りに遭っているときにも
わたしに命を得させてください。
御手を遣わし、右の御手でお救いください。(7節)

と祈ることができます。

彼はこの信仰において、自分の救いを、全世界の一部、神の栄光の一部として理解することを学びました。彼は決して個人主義的な救いの願望に生きる信仰者でありません。常に民と共に、その救いに与かることを祈り願います。そして世界が、神の救いの業に与り、神がその業を完成されるであろうという信頼と期待の中で生きています。

主はわたしのために
すべてを成し遂げてくださいます。(8節)

という祈りは、そのような彼の信仰から出た祈りです。だから彼は、主の慈しみがとこしえに民とこの世界にあることを祈ります。

神の業が継続されること、それが彼の救いであり、世界の救いです。彼はその神の事柄を自分の中で見ます。神の業は自分の救いです。そして、神の業には終わりがない、ここに彼の望みがあります。そしてそれは、同時に、民と世界の希望でもあるのです。神が、世界に目を注ぎ、働かれるのでなければ、わたしたちに希望はありません。しかし、神は、わたしという小さな存在をとおして御手の業を行い、それを世界の救いの一部とされる、ここにわたしたちの希望と喜びがあります。神はそのようにして、いつもわたしたちの「魂に力を与え」続けてくださるお方です。

旧約聖書講解