詩編講解

29.詩編71篇『神信頼に立つ祈り』

この詩篇は嘆きの歌に属しますが、全体を通じて神への強い信頼がみなぎっています。「主よ、御もとに身を寄せます。」という主への信頼に満ちた最初の言葉が、後に続く願いの特色を定めています。

この詩篇の詩人は、聖所において神のもとに避けどころを探して、見出しました。それによって、信頼の足場を得ました。それ故、詩人は、祈りが聞かれ、救われ、そして、神を信じない凶暴な敵の迫害からの解放を祈り求めることができました。

神を岩とし、砦とする彼の信仰は、単なる言葉だけのものではありません。彼の心の奥深くでとらえられた確信から出たものです。

主よ、あなたはわたしの希望。
主よ、わたしは若いときからあなたに依り頼み
母の胎にあるときから
あなたに依りすがって来ました。(5-6節)

この詩人の神信頼の歴史は、母の胎にあるときに至るほど古いのです。彼は母の胎にあるときから、神のみを希望とし、信頼してきたというのです。

そして神は彼を覚え、彼の命を守ってきた事実を、彼は見つめています。この信仰が、彼の神信頼の源であり続けます。

この神信頼の信仰は、老いの日に至るまで、神が見放さず、敵の攻撃の手から守られるように願う9-13節の祈りの中に強くあらわれています。

しかし、この祈り手にとって最終的に問題なのは、生命を脅かす敵からの救いではありません。むしろ、自分の老いを感じる日々を送る中で、今神から棄てられ、投げ出されるのではないかという心の憂いです。

「神が彼を捨て去ったら、追い詰めて捕えよう。彼を助ける者はもういない」(11節)という理由で敵の攻撃の機会を与えることは、神ご自身の信頼を失わせることになるからです。

「老い」という現実の中で、自分を神の守りの中にあると確信することこそが、敵の攻撃の力を失わせ、面目を失わせ、敵を滅ぼすことになると考えているからです。この詩人はそのために神の助けを求めています。

この詩人は、その様な信仰をどこで自覚し、ゆるぎないものとして得たのでしょうか。それは14-19節において明らかにされています。

神よ、わたしの若いときから
あなた御自身が常に教えてくださるので
今に至るまでわたしは
驚くべき御業を語り伝えて来ました。(17節)

このような信仰を彼が得た場所は、若い頃から守った礼拝においてです。そこで彼は神の救済史の伝承を知らされ、彼はそれ以来ずっと心の中でそれを思い巡らし、信仰のよりどころとしてきました。創造の神の力、出エジプトの神の救済の生ける力は、わたしという一個人の歴史の現実にも表されることを、彼は信仰の目で見ています。それゆえ神の御業を彼は誉めうたいます。

わたしは常に待ち望み
繰り返し、あなたを賛美します。
わたしの口は恵みの御業を
御救いを絶えることなく語り
なお、決して語り尽くすことはできません。(14-15節)

この救いの伝承を大切にして、更に来るべき世に語り伝えることが、残る人生を与えられている彼のなしうる唯一の使命であると詩人は信じているのです。

たぐいなき神の威光を語り伝えること、証することは、詩人にとってきわめて重要なつとめでありました。

これが果たせるよう詩人は、今一度神の助けを乞い求めて祈ります。

わたしが老いて白髪になっても
神よ、どうか捨て去らないでください。
御腕の業を、力強い御業を
来るべき世代に語り伝えさせてください。(18節)

詩人はまだ生きたりないから、死ぬのがいやだから、神の助けを乞うているのではありません。神の恵みの御業を語り伝えたいからです。

最後に、詩人は会衆とともに神の救いの歴史を顧み、感慨のこもった賞賛の中で、多くの苦しみと不幸を追憶し、神の民の救い、次のような道をたどることを告白します。

あなたは多くの災いと苦しみを
わたしに思い知らせられましたが
再び命を得させてくださるでしょう。
地の深い淵から
再び引き上げてくださるでしょう。(20節)

それは、苦難の彼方に復活の命の恵みとして与えられることであると述べています。この神の霊感を受けた信仰は、楽観的な心と明るい希望の目を与えます。

それ故、この詩人には、生存の暗い暗黒面に目を閉ざす必要もないし、それに心を奪われることもありません。それどころか、苦難の歴史が神の救いの道を完全に照らし出し、すべての救いが、その苦難の歴史から生れることを詩人は知っています。

彼はこうした認識によって、自分が迫害と不安を通って歩んでいかねばならなかった道を、神がその民を洪水から救われたように、そのように救ってくださるであろうと、自分をその歴史の中にはめ込み、将来を見通します。

その見通しにおいて失望に終わるのは、詩人の信仰ではなく、彼の敵の信仰でありました。神は祈り手を見棄てられず、慰めをもって向かってこられました。これがこの詩を感謝の歌としている根拠であり、内容であります。

彼はこの希望の見通しのゆえに、主への感謝を表し、この詩の結びの言葉とすることができました。

わたしの唇は喜びの声をあげ
あなたが贖ってくださったこの魂は
あなたにほめ歌をうたいます。
わたしの舌は絶えることなく
恵みの御業を歌います。(23-24節)

わたしたちも、主イエスによってそのように贖われている事実を見、そこから未来に希望ある見通しをもって、平安を得るようにされていることを覚えたく思います。

旧約聖書講解