キリスト教講座

第16回キリスト教講座『闇から光へーバビロン捕囚とイスラエル(3) 神の見張り人エゼキエル』

日時 2008年2月10日(日)午後2時-3時30分
場所 日本キリスト改革派八事教会
講師 鳥井一夫牧師

 

1.バビロンのほとりで-エゼキエルの召命

今回、本講座は、「闇から光へ-バビロン捕囚とイスラエル」という主題の3回目にあたり、バビロンに捕囚とされたエゼキエルという預言者の話をします。バビロン捕囚というのは、1回だけで終わったのでなければ、ユダのすべての人が捕囚にされたのでもありません。それは、3回にわたってなされ、捕囚にされたのは、主として、王、高官、祭司、専門的な技術を持つ国の指導的な立場にある人々です。だから大部分の人は国に残りましたが、繰り返されるバビロンによる攻撃と占領で国土はすっかり焦土と化し、紀元前587年に、エルサレムの町も神殿も破壊され、ゼデキヤ王をはじめ多数の指導者たちが第2回目の捕囚とされ、ユダの国は完全に滅びてしまいました。国に残ったのは貧しい無力な人たちで、再建する力をもたない人たちばかりでした。エゼキエルは、その10年前の597年にバビロンによってエルサレムが占拠された時に、ヨヤキン王と共に第1回の捕囚とされています。

エゼキエルの人物像については、エゼキエル書に記されている極わずかな情報からしか得られませんので、その多くは推察するしかありません。捕囚にされた時点では、エゼキエルはまだ預言者として召命を受けていませんが、彼の父ブジはエルサレムで祭司をしていましたので、彼自身も既にエルサレムで祭司をしていたか、あるいはその訓練を受けていたか、そのいずれかであった可能性が非常に高いと考えられます。祭司職は世襲されていたからです。また、エゼキエル書に記されている彼の祭儀や律法に関する知識の豊かさから考えて、その可能性を否定することの方が難しいでしょう。エゼキエルの預言者としての召命は、捕囚後5年目の30歳の時と考えられます。それゆえ25歳までエルサレムで生活していたと考えられます。彼の誕生の時、ヨシヤ王の宗教改革(紀元前622年)が丁度なされていた時であり、その改革を彼の父が祭司として王と共に熱心に取り組んでいる様子を見ながら少年時代を過ごしていたのかもしれません。そして、青年時代、政治的・霊的指導者たちの堕落腐敗ぶり、ヨシヤ王によって遂行された宗教改革が破綻していく現実を目撃し、また偽りの楽観主義に対して厳しく糾弾する預言者エレミヤの働きなどを間近に目撃し、将来、祭司としてその改革に携わらなければならないという強い志を抱いて過ごしていたのかもしれません。エゼキエルが預言者として召命を受けた、捕囚後5年目(エゼキエル1:1,2)の紀元593年の頃は、エルサレムは偽りの楽観主義に酔いしれ、偽りの平和を語る預言者たちが活動していた時期です。しかしエルサレムの大破局は6年後の587年に起こります。

国の滅亡と神殿の破壊とバビロン捕囚という出来事は、イスラエルの歴史にとって未曾有の大打撃であり、捕囚とされたものにも、国に残ったものにも、絶望の淵に立たせることになりました。特に、捕囚の民は、永遠に存続すると考えられていたダビデの血統を引くユダ王国が滅び、祖国から切り離されて生きていたわけですから、神は果たして自分たちのことを覚えておられるのか、そもそもヤハウエは無力であったのではないか、そうした疑問を打ち消しては、また心の奥深くから湧き上がる中で、自分は一体何者か、そのアイデンティティの問題と格闘せずには生きていくことができません。主の臨在が約束されたエルサレムの神殿を失い、しかも異国の穢れた地と考えられるところで、主に捧げるべき犠牲祭儀も行えない状況の中で、果たしてヤハウエをどのように礼拝していけばよいのか、それは真剣な問いとなり、ふさわしい答えを見つけ出すことがなかなかできないでいました。その心のわだかまりを、自らを異教化させることによって、ヤハウエ信仰を棄て、ユダヤ人であることをやめて克服しようと考える人たちもいました。しかし、そこでなおヤハウエの民として生きようとするユダヤ人にとって、これらの疑問に答えてくれる指導者が必要でした。

エゼキエルは、そのような状況の下で、捕囚の民を指導する責任と使命を主から託され、捕囚の意味と、彼らの歩むべき方向を指し示す預言者として立てられました。

エゼキエルが預言者として召命を受けたのは、「第30年の4月5日」(エゼキエル1:1)といわれています。エゼキエル書には多くの日付が記されていますが、クラインという学者は、この箇所以外は、ヨヤキン王の捕囚の日から計算されているといっています。この場合の「第30年」は、エゼキエルの年齢と考えられます。そうであれば、「ケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間に」5年間過ごし後に、預言者として召命を受けたことになります。

詩編137編には、捕囚の民の嘆きが次のように歌われています。

バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思って、わたしたちは泣いた。
竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
わたしたちを捕囚にした民が
歌をうたえと言うから
わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして
「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。
どうして歌うことができようか
主のための歌を、異教の地で。
エルサレムよ
もしも、わたしがあなたを忘れるなら
わたしの右手はなえるがよい。
わたしの舌は上顎にはり付くがよい
もしも、あなたを思わぬときがあるなら
もしも、エルサレムを
わたしの最大の喜びとしないなら。(詩編137篇1-6節)

バビロンの地に捕囚とされたユダの民の生活は、それほど制限を受けていたわけではありません。王や貴族の中の何人かは、とらわれの身となって監視されていましたが、捕囚民すべてがそのような厳しい監視の下に置かれていたのではありません。その多くは、土地に定着し、エレミヤがいうように、家を建てて住むことも、果樹を植えてその実を食べることも、ある程度の富も得る自由も与えられていたようです。だから捕囚生活は、想像よりも実際は大きな自由が与えられ、宗教的にも自治的な生活をすることも許されていたようです。このとき民を指導していたのは、長老たちでした。

エゼキエルが預言者として召命を受けた「ケバル川の河畔」の場所は、バクダッドから南へ90キロのところにあるニップルという町です。ケバル川は、ユーフラテス川から引かれた運河で、ニップルの町を貫いて流れていました。その河畔にあるユダヤ人居留地はテル(丘)・アビブとして知られています。捕囚のユダヤ人たちはそのほかにも、テル・メラとテル・ハルシャにも住まわされていたという事実が確認されています(エズラ記2:59)。これらは廃墟となっていた古代都市で、バビロンの支配者は、捕囚民をそのような場所に住まわせ、廃墟となっていた町を再興させていたのではないかと現代の研究者は見ています。ニップル地方の28の居住地にユダヤ人共同体が存在し、そこにはアッシリアによって滅ぼされたイスラエルからの捕囚の民も共に住み、他のパレスチナの地から連れ去られた捕囚民もその周辺にいたといわれています。

彼らはそれぞれの居住地で、ある程度の自由を保証され、宗教生活も自由を与えられていましたが、ユダヤ人はそこを神殿のない異郷の穢れた地と考えていました。だからそこで祭儀的な礼拝は守ることはできませんでした。神殿には主が臨在を約束されていましたので、異郷の地バビロンには主はおられないのでは、と疑う人が多くいました。前5世紀にエジプトのエレファティネにユダヤ人の神殿があったことは確認されていますが、バビロンでは確認されていません。ヨシヤ王の宗教改革で、地方の聖所を破壊され、エルサレムの神殿だけで祭儀を行うことがゆるされていたとすれば、また申命記12章において、いくつも宮を建てることを禁じられ、ただ一つの場所に詣で、そこで祭儀を行うように命じられていることを勘案すれば、イスラエルの民は日常的にはどこで礼拝していたのか、そのことは聖書を読んでいて大いに気になるところです。新約聖書には、会堂(シナゴーグ)で礼拝が守られていたことが記されています。捕囚時代に会堂が捕囚の地にできたと考える学者もいないではありませんが、会堂の起源ははっきりしません。エルサレムの神殿だけで祭儀礼拝が認められたのであれば、日常の信仰生活はイスラエルの各地に会堂が造られ、そこで礼拝が守られていた可能性があります。だから、ユダの地にも既にその時代に会堂があって、そこで礼拝が守られた可能性を考えることができます。勿論捕囚の地でも、会堂が重要な役割を果たした可能性は考えられます。しかし、ユダヤ人が異郷の地の河畔で礼拝を守っていたようです。そのことは、いろんなところで報告されています。それゆえ、1章3節の「ケバル川の河畔で」のエゼキエルの召命と、ユダヤ人共同体の礼拝の場所との関係が十分考えられます。そこでユダヤ人はヤハウエを礼拝していたのでしょう。その場合の礼拝は、ダニエル書に見られるような、共に祈る礼拝が中心であったと考えられます。詩篇137編は、そうして礼拝を守っていた時に、自分たちを捕囚にした民のさげすみを受けて、その礼拝者たちが示した嘆き悲しみを歌ったものであると考えられます。

エゼキエルは、祭司として、ユダヤ人共同体の礼拝を指導する立場にあったということは十分考えられます。預言者として召命を受ける前も、その任に当たっていたということも考えられます。エゼキエルは、同胞の民の間にあって主の言葉を語る預言者として召しを受け、そこでユダとイスラエルの民に向かって預言し、諸国民に向かっても預言するものとなったと考えられます。つまり、バビロンに捕囚とされたすべての人に向かって主の言葉を告げる務めを担わされて、預言者として召されたと考えることができます。

2.エゼキエルの預言者としての使命と特質

エゼキエルの預言者としての活動は、エゼキエル書に記されている日付から、ほぼ紀元前593年から571年までの22年間であったと考えられます。つまりエゼキエルは、前587年のエルサレムの最終的破壊の前と後にその預言を語ったことになります。エゼキエルは、エレミヤ(前626-580年)より若く、少し遅れて現れた同時代人で、第二イザヤ(前550-540年頃)よりほぼ一世代先輩格に当ります。エゼキエルは、ヨシヤ王の宗教改革(前622年)のころに生まれ、彼の少年時代を、祭司の家で、ヨシヤ王の改革を共に情熱を持って進める父ブジの教えに従って祭司としての訓練を受けて過ごし、青年時代はエレミヤの神殿説教など、その活動を身近で目撃し、エレミヤから多くの感化を受けて過ごした、と考えられます。エゼキエルの使信が基本的にエレミヤと同じであるのはその生い立ちから来るものであると考えることができるでしょう。しかし、エゼキエルはエレミヤとはまったく別の性質をもった人物でありました。彼はエレミヤのように苦しみにさいなまれる人間性をほとんどもっていません。彼は徹底して神の口として語り、主の言葉は必ず成就するという確信に立って語り、栄光をただ主にのみ帰することを第一に考えて行動する預言者でありました。彼のことを「旧約聖書のカルヴァン」(ツィンマリ「旧約聖書神学要綱」)と呼ぶ学者もいます。

エレミヤとエゼキエルは、祭司の子として生まれたという共通点がありますが、祭儀に対する二人の態度は全く異なっています。エレミヤは祭儀に対して最後まで厳しい批判者としてとどまりましたが、エゼキエルは祭儀や律法に関して強い関心を示し、彼の見た神殿の幻(40-47章)は、彼が自分の使命を祭司的預言者であることを自覚していたことを示しています。

エゼキエルは、捕囚の民に、なぜユダの国が滅びエルサレム神殿が破壊されることになったのか、その理由は、出エジプト以来バビロンの捕囚に至るまで、彼らがそこで異教の神を礼拝し、ヤハウエの神殿の名に値しない穢れたことばかり行っている事を告げています。エゼキエルは、587年の大破局まで徹底して、ユダとエルサレムに対する主の裁きを語りました(1-24章)。しかし、エルサレムの町の破壊と神殿の破壊後は、一転して、イスラエルの救いを語っています(33,34,36-48章)。このようにエゼキエルのメッセージは、神殿崩壊後全く変化しています。

エゼキエルの預言者としての使命は、イスラエルの家の見張り人としての、主の口となることにありました。預言者は皆その特質を持っていましたが、彼の場合特にそれが際立って強調されています。「主が言われる」という言い方ではなく、「わたしは」と1人称で主の言葉を告げるそのスタイルがそれを物語っています。

「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない。わたしが悪人に向かって、『お前は必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたがその悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。しかし、あなたが悪人に警告したのに、悪人が自分の悪と悪の道から立ち帰らなかった場合には、彼は自分の罪のゆえに死に、あなたは自分の命を救う。また、正しい人が自分の正しい生き方を離れて不正を行うなら、わたしは彼をつまずかせ、彼は死ぬ。あなたが彼に警告しなかったので、彼は自分の過ちのゆえに死ぬ。彼がなしてきた正しい生き方は覚えられない。また彼の死の責任をわたしはあなたに問う。しかし、あなたが正しい人に過ちを犯さないように警告し、彼が過ちを犯さなければ、彼は警告を受け入れたのだから命を得、あなたも自分の命を救う。」
(エゼキエル書3章16-21節、33章も参照)

エゼキエルは神の見張り人として、このように徹底して神の口として語ることを求められました。もし彼が主から命ぜられた語るべきことを語らず、人が罪を犯すなら、その責任は彼自身にあるといわれています。時代の民の中にあって語る預言者の責任、その使命がそこにはっきりと示されています。これは、今日、時代の民の中で、キリスト者が神によって立たされている預言者的な使命を考える上で、非常に重要な意味を持っている言葉です。

 

3.神の見張り人としてのエゼキエルの使信

(1)召命の日に見た幻

エゼキエルは、召命の日に、四つの顔、四つの翼を持つ四つの生き物の幻を見ています。それらはいずれも車輪があり、向きを変えずに自由にどの方向にも移動でき、それらが動く時、嵐のような風と、地震のような音、全能の神の御声のように聞こえる、といわれ、その動力は「霊」であるといわれます。この四つの生き物の顔は、人間(創造の冠)、ライオン(百獣の王)、雄牛(家畜の最上のもの)、鷲(鳥類の王者)で、生き物の最上のカテゴリーを表わしています。預言者が目撃したのは、ヤハウエの栄光であり、その玉座であります。それはケバル川のほとりに現れたということ、そして霊の力でどこにでも自由に動いていくことができるという、この二点は、ヤハウエはどこへでも自由に移動でき、バビロンにおいてさえ現在することを示しています。この幻は、ヤハウエの現在を疑う捕囚民に、捕囚の地でもヤハウエの栄光を見ることができるし、ヤハウエの臨在のもとでその御声を聞き、ヤハウエを礼拝することができることを示すメッセージとしての意味を持っています。

 

(2)ヤハウエの任命

エゼキエルは、ヤハウエから「人の子」と呼びかけられています。この称号は、後の時代のメシア像(ダニ7:13-14)とは異なり、圧倒的な神の前で死すべき弱い人間にすぎないエゼキエルその人を指し、彼の「僕」としての立場を指すものとして用いられています。エゼキエル書にこの称号は93回でてきます。エゼキエルは、次のようなヤハウエの任命の言葉を聞いています。

「『人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる。』彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。主は言われた。『人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。人の子よ、あなたはあざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされても、彼らを恐れてはならない。またその言葉を恐れてはならない。彼らが反逆の家だからといって、彼らの言葉を恐れ、彼らの前にたじろいではならない。たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。彼らは反逆の家なのだ。』」(エゼキエル書2章1-7節)

エゼキエルは「自分の足で立て」と命じられています。後にエゼキエルは枯れた骨に預言して、それは生き返って「自分の足で立った」(エゼキエル37:10)といわれています。「自分の足で立つ」とは、主の声に心から聞く者が、偶像に迷わされずに自律した信仰もち、自己の責任において神の前に生きる人間となることを意味します。しかし、その自律の信仰は、その者の自覚や悔い改めの結果生じるものではありません。呼びかけたもう神の恵みであり、「霊がわたしの中に入り」、そのものを立たせる働きを受けてそのことが可能となるものであることを、これらの言葉は明らかにしています。このような信仰は、祭儀中心の礼拝の中からは育ちません。御言葉中心の礼拝の中で、その御言葉をどのように生きるべきかを考える信仰の歩みを促す生活の中から生まれるもので、聖霊の導きが豊かに表わされる時代にあって育つものです。この点で、エゼキエルに求められているのはまさに新約時代の信仰につながる道であり、それを指し示す預言者としての働きであります。

しかし、エゼキエルが遣わされる民は、「恥知らずで、強情な人々」で、「反逆の家」といわれています。この民は、出エジプトの日から捕囚の日まで、ずっと主に背き続けたまことに強情な民であるといわれています。エゼキエルは、「あざみと茨に押しつけられ、蠍の上に座らされる」といわれています。エゼキエルは、「たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない」と主から命ぜられています。

エゼキエルはさらに主から、「口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい」と命じられています。彼に与えられたのは、表と裏に記された巻物でした。「それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった」(エゼキエル2:9)といわれています。その「巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ」といわれ、エゼキエルが「それを食べると、それは蜜のように口に甘かった」(エゼキエル3:3)といわれています。「哀歌と、呻きと、嘆きの言葉」のように、苦く、聞くに辛い言葉を、エゼキエル自身が、文字通り食べて、腹の中にしっかりとおさめなければならないということです。民に語る責任を持つ者が、その語るべき者が御言葉を腹におさめていないと説得力ある生ける神の言葉を語ることができません。そして、そのような御言葉は本来口に甘いと感じるはずのない言葉であったはずです。「哀歌と、呻きと、嘆きの言葉」を口に入れて甘いと感ずる人はおそらくいないでしょう。しかし、本来甘く感じることのないはずの御言葉も、腹の中にしっかりとおさめると「蜜のように口に甘かった」といえるように味わうことができます。主の裁きの言葉というのはそのようにして、私たちの現実を変えていく働きをする言葉です。エレミヤもまた、民の拒絶にあって苦しんでいる時、主の御言葉を食べ、心は喜びに躍るという体験をしています(エレミヤ15:16)。詩編にも、「あなたの仰せを味わえば、わたしの口に蜜よりも甘いことでしょう。」(詩篇119:103)という言葉があります。厳しいと思える主の御言葉を腹に深く入れて味わうと、そのように口に甘く感じるように自分の中でその味が変化していく、そこまで深く味わったことがあるか、エゼキエルの言葉がそのように聞こえてくるような気がします。これは今日の説教者にも、それを聞く聴聞者にも非常に挑戦的な言葉です。

しかし、イスラエルの家は、強情で主の言葉に聞こうとしないのです。だから、主は、エゼキエルの顔を「彼らの顔のように硬くし、あなたの額を彼らの額のように硬くする。あなたの額を岩よりも硬いダイヤモンドのようにする」(エゼキエル3:8-9)といわれます。主の言葉に対して、ダイヤモンドのように硬いというのは、「石の心」(エゼキエル11:19)と同じで、無反応で無表情ということを表わしています。ダイヤモンドのように喜び輝くというのではなく、反応がまったく無く無表情で硬いというのです。エゼキエルはそういう民を前にしてたじろいではならないといわれ、彼自身は「すべての言葉を心におさめ、耳に入れておきなさい」といわれています。これが巻物を腹に満たせということの意味です。エゼキエルは主の見張り人として「捕囚となっている同胞のもとに行き、たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、『主なる神はこう言われる』と言いなさい」(エゼキエル3:11)という主の命令に従って語り続けねばならないのです。

 

(3)象徴行動

預言者はしばしば象徴行動によって、来るべき神の審判を指し示すことを主から命ぜられます。エゼキエルにもそのような行動を数多く認めることができます。エゼキエル書4章には、エゼキエルがレンガにエルサレムを刻み、それを包囲するまるで戦争ゲームのような行動をとるように主から求められた出来事が報告されていますが、それは今まさにエルサレムの町を襲う事柄を示しています。わき腹を片方ずつ下にして一定期間寝る行為は、1日を1年と数え、エゼキエルがイスラエルとユダの家の罪を負わねばならない象徴です。5章には、自分のひげを用いた象徴行動が、人びとがどのように町の中で焼かれるか、逃亡を試みたものがどのように殺され、あるいは捕囚に連れ去られるかを劇的に描かれています。12章には、エゼキエルが、白昼、人々の前で荷物を背負って現われ、彼らの目の前で壁の穴をうがち、顔を覆って土地を見ないで行く行動もイスラエルの家に下されるしるしとして示されています。エゼキエルは自分の妻の死さえ、イスラエルの罪を裁く象徴として、喪に服し涙一つ流すことさえ禁じられています。最愛の人の運命に対して涙一つ流さない彼の反応を人々からいぶかられた時、彼は間近に迫った神殿の崩壊について語り、彼らもまたそのように愛する者を剣によって滅ぼされ、自分がしたように彼らもそのようなことに涙を流せないようになると語っています(24章)。

 

(4)なぜ終わりが来なければならないか

これらのエゼキエルの象徴行動は、すべてエルサレムの終わりを告げるものです。エゼキエルはなぜその終わりが来なければならないと告げるのでしょうか。エゼキエルはそれを、いたるところで繰り広げられているイスラエルの罪の審きとして示しています。

終わりが来る。地の四隅に終わりが来る。
今こそ終わりがお前の上に来る。
わたしは怒りを送り
お前の行いに従って裁き
忌まわしいすべてのことをお前に報いる。
わたしは、お前に慈しみの目を注がず
憐れみをかけることもしない。
お前の行いをわたしは報いる。
お前の忌まわしいことはお前の中にとどまる。
そのとき、お前たちは
わたしが主であることを知るようになる。(エゼキエル7章1-4節)

エゼキエルはこのように主の審きとしての「終わりの日」の到来を告げていますが、それは高き所や犠牲の祭壇で捧げられた偶像崇拝の罪(6、8章)、そのほかにも、忌むべき、憎むべき数々の罪が指摘されています。エゼキエルはその審判の厳しさに耐えかねて、「ああ、主なる神よ、エルサレムの上に憤りを注いで、イスラエルの残りの者をすべて滅ぼし尽くされるのですか。」(9:8)という叫びの声すら上げています。しかし、主はその理由を、エゼキエルに、「イスラエルとユダの家の罪はあまりにも大きい。この地は流血に満ち、この都は不正に満ちている。彼らは、『主はこの地を見捨てられた。主は顧みられない』と言っている」(9:9)といって、悔い改めずにその罪を犯し続ける彼らの罪に原因があることを明らかにしています。

しかし、主の終わりは、正しい者とそうでない者とを区別をつけずに行われるのでないことを、亜麻布をまとい、腰に書記の筆入れを着けた主の使いの者に、「都の中、エルサレムの中を巡り、その中で行われているあらゆる忌まわしいことのゆえに、嘆き悲しんでいる者の額に印を付けよ」(9:4)と命じ、そのしるしをつけられた者だけが主の審判を免れるようにされています。

15章には「役に立たぬぶどうの木」の譬えが語られています。ぶどうの木の幹は何かの器物をかける釘としても使えないくらい、それ自体は何の役にも立ちません。ましてそれが火に焼かれ、焦げたなら、それにどんな価値があるだろうか?と主は言われます。イスラエルは、自分たちが神の前に特別な価値があると主張していましたが、その主張を神は否定されます。597年の第1回捕囚以後のイスラエルに残された唯一の特別な地位は、それが火にくべられて投げ捨てられるだけだといわれています。

エゼキエルは、エルサレムが前721年に滅びたサマリアよりも、あのソドムよりも罪深いと語ります(エゼキエル16:48以下)。23章の「オホラとオホリバ」の二人の姉妹は、それぞれサマリアとエルサレムを表わしていますが、いずれもエジプトや外国の力を頼りにする精神的な罪が問われています。特に、エルサレムがその最後の日々にエジプトと空しい同盟を結んだことへの批判がなされています。

バビロンにおいて民の指導に当っていた長老たちがエゼキエルのところにやって来て神の御心を尋ねた時、彼は、エジプトを出たイスラエルが、偶像崇拝や、神から与えられた安息日を守らず汚したことにふれ、それゆえ、主は憤り、イスラエルを滅ぼそうとしたが、「わが名のために、諸国民の前で、わが名を汚すことのないようにした」(エゼキエル書20章9,14節)という主の言葉を明らかにしています。エゼキエルは厳しい審きの原因はすべてイスラエルの側にある。しかも、エジプトにいた時代も、荒野時代も、約束の地においても常に反抗的であったと告げます。だから、終わりの日に、神の臨在を約束するエルサレムの神殿をバビロンによって破壊させることを許すことは、「わが名のために、諸国民の前で、わが名を汚すこと」を自ら容認する行為であるということになります。しかし、そのような決断をヤハウエ自らがしなければならないほど、エルサレムの罪が重いことが明らかにされています。しかし、この審きが「わが名のために」なされたことが、そのかなたに一つの希望を残しています。

エゼキエルは主の審判を通してイスラエルが「主を知るようになる」という言葉を繰り返し告げています。しかし同時に、救いにおいても「主を知るようになる」とエゼキエルは用いています。エゼキエルにとって主を知るということは、単なる知識の問題ではありません。その罪と救いを表わす神の行為の中で、人は自らの罪を知らされ、また神の恵みの支配を深く知らされていく、神を知る信仰の知識のことが述べられているのです。

エルサレムの神殿において御名が汚されている状態をこれ以上許すことができないので、主はバビロンを僕として用い、それを裁かれるのです。しかし、捕囚の地で罪を深く受けとめるなら、それは真の救いとなります。罪の自覚がどのように深まるか、20章の結びにそのことが明らかにされています。

わたしは、宥めの香りと共に、お前たちを受け入れる。わたしが諸国の民の中から連れ出し、散らされていた国々から集めるとき、わたしは諸国民の前で、お前たちに自分を聖なる者として示す。わたしが、先祖に与えると誓った地、イスラエルの土地に導き入れるとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。その所で、お前たちは自分の歩んだ道、自分を汚したすべての行いを思い起こし、自分の行ったあらゆる悪のゆえに自分を嫌悪するようになる。お前たちの悪い道や堕落した行いによることなく、わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、イスラエルの家よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる」と主なる神は言われる。(エゼキエル書20章41-44節)

イスラエルが救われるのは、彼らが悔い改めるからではありません。「お前たちの悪い道や堕落した行いによることなく、わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、イスラエルの家よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる」といわれています。そして、救いに与ったイスラエルは、自ら行ったあらゆる悪の故に「自分を嫌悪するようになる」といわれています。神はそのようにして、イスラエルをわが民として聖なるものに変えられます。その救済の目的は、「わが名のため」であり、失われたご自身の栄光の回復のためです。神はこのように、その審きにおいても、救いにおいても、ご自身を知るように民を導かれます。言い換えれば、歴史におけるすべての幸不幸の究極の原因は、どのように神を知るか、そのことと深く関わっています。神の名を汚すとき、私たちは神の存在を忘れて生きています。神以外のものにより頼み、御名を汚す罪をそうして行っています。それは神を必要ないものとする行為です。しかし神は、その者に現在と救いの手を遠ざけるということにおいて、汚される「わが名」と守られます。そして、それはご自分の民を救うためにされるわざです。そのものを聖とするために捕囚の地から導くとの約束、救いの言葉は、その審きを境にして語られています。「わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、イスラエルの家よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる」という救いが、そこから始まるのです。その救いが、ダイヤモンドのような硬い顔でなく、恵みによって自己嫌悪をする顔に変えるのです。

 

(6)新しい契約

エゼキエルはその捕囚からの解放を次のように告げています。

イスラエルの家よ、わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。
(エゼキエル書36章22-24節)

神はイスラエルをどのように聖なるものに変えようとされるのか、救われたイスラエルは再び罪を犯すことのない民として次のように整えられると、エゼキエルは告げています。

お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。(エゼキエル書36章26-29節)

エルサレムから散らされた捕囚の民にとって、救いは、罪赦され清められて、エルサレムに帰り、再建された神殿で心からの喜びをもって主を礼拝することです。イスラエルはそこで再び罪を犯すものとならないよう、「石の心」が取り除かれて、柔らかい「肉の心」を与えると約束されています。それは、霊が置かれてなされる恵みとして行われるといわれています。このことが行われるのは、「お前たちのためではない」(エゼキエル36:29)といわれています。

18章で、捕囚の民が現在の苦難の原因を「先祖が酢いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」ということわざを引き合いに出して、なぜ子が父の罪を負わねばならないのかとって抗議していたのに対して、エゼキエルは、「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。」(20節)と答えています。たとえ悪人であっても、主の掟と正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。主の裁きを行い、主の掟に従って歩むなら、その者は父の罪のゆえに死ぬことはない、必ず生きる(17節)、と各人の責任だけを語っています。

その際、エゼキエルは、悔い改めて、すべての背きから立ち帰れとの主の言葉を告げています。

お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。
(エゼキエル書18章31-32節)

ここにはっきりと主の裁きは、それが目的ではなく、立ち帰って救われるためであることが語られています。「お前たちは立ち帰って、生きよ」この愛に満ちた言葉にはっきりと、主の真の意志を知ることができます。その救いを受けるために必要なのは、うわべだけの敬虔さや信仰ではありません。心底から主に従う信仰です。そのような信仰の歩みをするために、「あらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ」と主は言われます。しかし罪の中に堕落しているイスラエルの民がそのように自分の力で、自分を造りかえる事はできません。救いは新しい創造として、その心自体を聖霊によって造り変えられないと「あらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ」という主の命令に答えることができません。主はそのために「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。」(エゼキエル36:26)といわれるのです。このエゼキエルの「新しい心」の理解の背景に、エレミヤの心に記す新しい契約があります。

この新しい心を与えられた者が、聖別された羊として廃墟であったエルサレムの町に満たされるようになる。その救いによって、新しいイスラエルは、「わたしが主なる神であることを知るようになる」(エゼキエル36:38)と、いわれています。

 

(7)枯れた骨の復活

創世記2章の人間創造の物語は、土の塵で造られた人間の鼻に、主なる神が命の息を吹き入れられたので、最初の人アダムは生きるものとなったと告げています。人間は、主の霊を吹き入れられて生きるものとなる、これが聖書の示す人間観の基本です。主の民としてのイスラエルの再生もまた同じようにして与えられます。エゼキエル書37章に物語られている枯れた骨の復活の話は、主に命じられてエゼキエルが枯れた骨に向かって預言すると、その骨の中に主が霊を吹き入れられ生き返ったという話です。エゼキエルは預言者として立てられたとき、「自分の足で立て」という命令を聞いて立ち上がらせられましたが、実際には、主の言葉に聞く彼の中に霊が入って、自分の足で立たせられた、といわれています(エゼキエル2:2)。枯れた骨であるイスラエルの全家に、主に命じられてエゼキエルが預言すると、主の霊が入り、生き返って新しい命を与えられて、自分の足で立つ集団として整えられたと言われています。新しい霊による創造に与らなければ、イスラエルの新しい出発はありえません。自律する主の民としての再生はありえません。

主の霊は、御言葉が語られるところで働き、主の民は一つにされ、分裂したイスラエルとユダの家は一つにされ、一人の牧者の下に民は一つにされます(エゼキエル37:22-24)。イスラエルは悪しき牧者によって、その羊の群れが散らされることになりましたが、主は悪い牧者に立ち向かい、彼らに群れを飼うことをやめさせ、「わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す」(エゼキエル書34章11-12節)と主は言われます。主は失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱いものを強くする、羊飼いとなられます。その牧者は、「僕ダビデ」であるといわれています。エゼキエルは、ダビデ契約が依然有効でヤハウエの約束の一部として理解しています。エゼキエルにとって、来るべき時代の預言者の像の中心をなすのは、「神の現臨」の観念であり、それに比べれば王の職務の役割はるかに小さくなっています。しかしこれは永遠の契約として、永遠にイスラエルの真ん中にご自身の聖所を置き、諸国民はそうして、主がイスラエルを聖別する方として認識するようになる、と主は言われます(エゼキエル37:26-28)。これは来るべきメシアに関する預言です。再来のダビデは「指導者(ナースィー)」(エゼキエル34:24)と呼ばれています。「エゼキエルは、このナースィーに王でもなく、祭司でもなく、長老や高官でもない、あえて言えばモーセに比べられる新しい理想の指導者像を重ねた」(月本昭男「エゼキエル書」岩波書店)という学者の見解もあります。新約聖書はイエスが自らをよい羊飼いとして示されたことを告げています(ヨハネ福音書10章)。

 

4.まとめ

捕囚時代には、イスラエルの先祖たちの歴史物語や、王国史などが編集されていきました。そして、後のユダヤ教を特色づける安息日、割礼、食物規定などの律法が、この時期に集大成されていきました。それは思想的・神学的営為の中から生み出されました。ユダ捕囚民は民族解体の危機の中で、回復の希望と民族の同一性を保持し続けることができたのは、その営為の産物であるということができます。ほぼ50年にわたる捕囚時代の思想的・神学的営為を最初に方向づけた人物はエゼキエルであったと月本昭男は評しています。エゼキエル書には、エゼキエル以外のその弟子集団による書き加えが予想されますので、どこまでがエゼキエル自身のものか区別がつきにくい面があります。いずれにせよ、彼の祭司的な関心は最後まであり、礼拝における主の臨在の問題にエゼキエルは強い関心を持っていたと考えられます。神殿再建についての幻、あるいは捕囚後のイスラエル民族の同一性の問題は、ユダヤ主義的な律法主義の新たな問題につながるものを含んでいますが、エゼキエル書には新約聖書の福音理解に大きな光を投げかける重要な教えがたくさん含まれています。民としての礼拝の一つ性と個人の責任、「自分の足で立つ」信仰の自律の問題を、聖霊の働きとの関係で論じている点などは、パウロの福音理解や新約聖書の信仰理解に大きな導きを与えるものであります。こうした点を考えると、エゼキエル書は今後さらに深く研究される必要があると思います。エゼキエル書47章1-12節の神殿の下を流れる川の話は、神の現臨がもたらす奇跡的な変容力を表わしています。ユダの不毛な荒野を豊穣にし、その名自体が生命を否定する海(死海)にさえ、命を与える。それは御言葉が語られ聞かれ、それに委ねて生きるものに礼拝を通して与えられる聖霊による豊かな実として、新約聖書の光において聞くことができますし、詩篇1篇によれば、主の教えを愛する者に与えられる主の恵みとして理解されています。

エゼキエルは神殿を失った民に、神殿が与えられる希望を勿論語ったでしょう。そして捕囚の民にとって、エルサレムに帰り、そこで再建された神殿で共に神を喜び賛美できることが最高の喜びであり、その希望を抱いて捕囚の苦しみを耐えて生きる正しき者のあり方をエゼキエルは語り続けました。それは世にあって、生きる現代の主の民に与えられる恵みの問題でもあります。安息日の礼拝を守る生活を欠く生き方は、文字通り何の実も結ばない不毛の荒れ野の生活となります。しかし、異国に地「ケバル川の河畔」にあっても、そこで主を共に礼拝する者に、主の恵みは豊かにされ、新しき人として豊かな命を宿す聖霊の恵みに満たされる歩みが与えられます。そうであるなら、祖国イスラエルへの帰還、エルサレム神殿の再建がたとえなされなくても、その命を神によって豊かにされる道は開かれています。その中で希望に生きることができます。その信仰こそが、新約聖書の、キリスト・イエスにあって一つの民として整えられていく信仰につながることを覚えたく思います。

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